2016年08月18日

オリンピック放送

久々に、長時間TVつけっぱなしという方多そうです。
私は蟻のハートなので、結果を観てから録画放送を観るというヘタレです。

人生をかけて闘っている姿。それぞれ選手の性格が垣間見えるのが興味深い。
リオの街中や街の人の様子があまり映ってないのは…仕方ないかな。残念。

会場に来ているブラジル人は、オリンピックを楽しんでいる感じでいいですね。

せっかくのオリンピックなのに、日本だけじゃなく、
もっと、フルにいろんな試合を放映してくれるのがよいなあ。
それと、感動を熱く語ったり、家族の話をしたりさせたりするのはやめて。

競技のことを、節度を持って、静かに解説・放映してほしい。
どこかに、専用チャンネルがあるのかな…。


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2016年08月17日

「キレる私をやめたい〜夫をグーで殴る妻をやめるまで〜」(田房永子)を読んで

読んだのは少し前で現在人に貸し出し中。よかったです。

作者ほどではないけれど、キレることってある。
私の場合、怒るタイミングを逃し、怒りがたまって爆発って感じだったりする。人に怒りをぶつけることは大変下手です。一人でいるときも叫んだりもの投げたりしませんが、まさに血管キレそうに頭に血が上ることは…ある。よく、道歩きながらぶつぶつ怒っている人いるけど気持ちはわかります。
自分の頭の中に怒りしかなく何も手につかない、それは本当に非生産的な時間。
作者が試みている方法、とても参考になりました。ある程度知ってはいたけどより具体的だったので。
今、の状況に注目する、ということ。怒りは、たいてい過去を思い出したりこれから起こることを想像してワナワナとなっているわけだから、自分腹立ててるなあ、という現在の状態を冷静に見る訓練。
そう簡単に完璧成功はしないけれど、理屈を理解しておくだけでも違う。仏教の座禅にもつながる境地です。
キレる=自分を最悪の精神状態に置く、ということなしに、きちんと怒ることは続けたたい。

身近にキレる人がいるのも辛いもんです。作者のように、キレる自分をやめたいと意識している人だといいのだけれど、ただただキレる人だと厄介。
この本を読んで、しょっちゅうキレる人って心が満たされていない、というのはとても合点がいきました。
自分をふりかえってもわかるし、心が満たされているときは怒りに支配される度合いが弱まる。

「状況」ではなく「心」に注目してほしいというのもわかりすぎる。
あれ…これ以前にも同様のことを投稿した気もしますが…悩んでいるときは、ただただよりそってほしいので、意見はされたくない。どうしてもいくばくかの上から目線が入るから、とても傷つくので泣きたくなる。

すべての人間関係はケースバイケース。その都度、自分で考えなきゃいけない。人も思いも状況も、ひとつとして同じじゃない。

私は私自身の心と人間関係に、うまく折り合いをつけて生きていかなきゃ、です。


2016年08月16日

「リオデジャネイロという生き方」(中原仁/ケイタ☆ブラジル)を読んで

リオのオリンピック、もう後半戦ですね。
私は、ブラジル人が大好き。ブラジルではなくブラジル人の心。ブラジルの音楽もサッカーも、まったく詳しくありません。
ブラジル人好きの説明にいつも苦慮するのですが、私が伝えたかったエッセンスがたっぷりつまっているのがこの本です(ちょっと悔しい(^_^;)…)。まさにこの通り! 表紙の副題は「不安も悩みも笑顔に変える幸福の個人技」。

著者のお二人は、音楽でのブラジルつながりが深く、音楽の記述部分がたっぷり。でも、その部分をすっとばしながら読んでも十分楽しめます。

リオは遠いというだけでなく危険だからと、オリンピックの応援に行かなかった人も少なくないようです。そのイメージがブラジルのカラーとしてますます強く残ってしまうと悲しい、とブラジルびいきとしては思いますが…。
でも、きっと大丈夫。日本人がブラジルに行くとたいていブラジル人のファンになって帰ってくる。おそらくリオにいる選手や関係者の人達もそうなると想像します。

“みんなと同じであることを「拒否している」と言うよりは、ナチュラルにそうした意識がない” など。 楽しい気分になる言葉がいっぱい。

カリオカ流で生きよう! と きっと感じられると思います。


2016年08月15日

ツイッターのおすすめフォローは…

ツイッター愛用者は、著名人をフォローされている方も多いと思います。

私が影響を受けている方の一人が、漫画家の上田宏氏。
TIGER&BUNNYを連載中の漫画家さんです。つぶやきが楽しくときにたいそう深く、映画評もかなり参考になります。おそらく見知らぬ者からのリプライは望んでおられないと思うので、一方的に楽しませていただいている。

最近一番役だったのは、足の裏が温かいと眠くなるから、冷却材3個足の裏に置いて冷やすと眠くならない、というもの。生かしています。たった今(^_^;)
そして、落ち込んでいるときは減点式より加点式で生きることを少し心がけると楽な気持ちになる…言い回しが若干違うと思いますがそういう主旨…。

いつ読んでも、心持ちの良さが感じられて和むのです。
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2016年08月14日

「君はどこにでも行ける」(堀江貴文)を読んで

堀江本、どれもとても売れているようです。今なら新書「99%の会社はいらない」とか。
彼の逮捕騒ぎのとき逃げ足早かった取り巻きたちは、今頃ほぞを噛んでいることでしょう。それを思うと、人知れず悦に入る黒い私です。
いえ、特に彼のファン、というほどではありません。でも、彼の存在は痛快。こんな風に日本で生きている人がいるというだけで、気持ちが救われる。堀江氏が語る「好きなことを好きなだけやる」生き方しようという主張には、年齢を重ねるほどに強く頷けます。

この本を読んだのは、堀江貴文氏とヤマザキマリ氏の対談部分目当て。私はヤマザキマリ氏が作品もエッセイも大好き。生き方の指針が似てそうなお二人対談が盛り上がらないはずない、と確信していました。
対談の章のタイトルは「ブラック労働で辛い日本人も、無職でお気楽なイタリア人も、みんなどこにでも行ける件」。
社会にそぐわない生き方は良くない、我慢して真面目に働くことこそ正義…そこから解き放たれることで日本人は随分幸せになれる。100年くらいかかりそうというヤマザキ氏に対し、若い層は10年で変わるという堀江氏。
「日本には、まず社会に認められない人間はダメなんだという暗黙のルールがある」という、冒頭でのヤマザキ氏の言葉が心に残りました。
社会=世間で、世間とは実体のないもの。義務教育、進学、就職と人生を歩み、結婚し親となり家庭を築き、すべて滞りなく人生をまっとうし…って枠に沿って、人を判断し値段をつける。他人からの値段付けはコントロールできないしなくすことは不可能だけれど、それより深刻なのは、その枠を基準にして自分自身に値段をつけてしまう習性が私たちを辛くしていること。
自分は世間にokと認められる範囲におさまっているかどうか。「正社員」「既婚」「子供を持つ」あたりが代表的なもので、それが満たされないと親不孝の言葉に自責される。
(「とと姉ちゃん」の台詞でもありましたね。「結婚して一人前」「そうでなきゃ親は死んでも死にきれない」「親ならみんなそう思ってる」。脚本家の確信犯的な台詞でした。)
今の時代多くの人が「人はそれぞれ生き方がある」「自由に生きていい」と言うし、本当にそう思っている。でもいざ自分のこととなると…。
その思考から完全に解放されるのは難しいけれど、そうしなければ生き難い人が日本には大勢いて、そういう人を堀江貴文氏やヤマザキマリ氏の言葉は元気づけてくれます。
機嫌よく人生楽しんで生きること。誰もができる、一番の社会貢献なのは間違いない。

堀江氏が語る「なぜ、日本の飲食店のレベルが高いのか」という話も面白かったです。確かに、誰もが参入しやすい業界かもしれないな。
それにしても初版が今年の3月末。なのに、時代の変化スピードが速すぎて、すでに今の状況にそぐわない部分もあるのが驚きです。
人生もたもたしていると、寿命があっという間にきちゃいますね。


2016年08月13日

「シン・ゴジラ」 現代の、無理なく観られる怪獣映画

*若干ネタバレあり。
先週観ました、話題の「シン・ゴジラ」。

破壊の場面に郷愁。
それだけでもう、ごちそうさま、です。一番の見どころはそこ。あとは、おまけみたいなもの。
遥か昔、よくTVで怪獣ものを観ていた頃を思い出します。

小学低学年のとき、ウルトラマン(帰ってきた、だったかな…)を観ていた私に、祖母が怪獣を指さし聞きました。「これは、ほんまにあるんか?」。
…「あるわけないやん!!」。そんなんあったら大パニックやんか〜。
毎週毎週こんなに怪獣がビルや電柱を壊しまくっていたら、世界はとっくに焼野原瓦礫の山。死者や怪我人続出。でも、そこは”つっこまない”お約束ってことは、子供心にちゃんとわかっていた。人間の恐怖はリアルに描かない。想像しない。

そういう大前提をちゃんと踏まえての、「シン・ゴジラ」。
懐かしい怪獣映画の気分を、きちんと味あわせてくれました。

ゴジラの造形を楽しむ映画なのです。それが、肝。
昔のまんまの撮影技術では、あまりにちゃちでしらけてしまうし、最近のハリウッド映画のようなもろSFX的リアル感じゃ、私たちが親しんだ”怪獣映画”じゃない。
その加減が素晴らしかった。
変態していくゴジラから、血液がぐにゅっと出る感じはたいそう気色悪かったけれど、それもギリギリOK。あれくらいはあったほうが、シン・の名にふさわしい。

冒頭の津波を連想させる場面に、はっとさせられ心が痛くなります。
でもあまりの生々しさから、私たちは瞬時に「東日本大震災以降の日本を描く強い意図」を汲み取り納得する。その期待を裏切らない台詞の数々が展開されていきます。
息苦しい日本社会。真正面からの批判も、皮肉やお笑いで茶化すことも許容されない中で、怪獣ファンタジーが、もの申してくれた。観終わった後のいくばくかの爽快感は、日本人ならではでしょう。
あくまで”いくばくか”であり、すかっと爽やか、ではありません。現実があまりに重たいからね。でも、今の時代の日本の空気と私たちの良識・常識を、作品に残してくれてことに感謝したくなります。

日本人なら、”あるある”の連続です。
ばかばかしい会議のうんざり感。杓子定規で眠たげな会議進行、途中で暗転、黒バックに白抜き「中略」の文字にニヤリとさせられる。そうそう無用の長会議!まともに聞いていたら身が持たん。きっと多くの人が小さく溜飲を下げる。

男ばっかり出て来る映画だけれどそれが日本の現実だし、全然嫌な感じはしない。主要女性3名は特異なキャラ、漫画チックでとっても楽しい。それぞれが怪獣との戦いの場で、ちゃんと重要な役目を担っている。
(闘いの場で戦力にならない女子キャラが出てくる映画やアニメはほんと観る気が失せる!)

一点これはちょっと〜と苦笑いしてしまうのが、クライマックス。ゴジラの巨大さからいって無理でしょ、これでとどめをさせるとは到底思えない。
でも、この、子供だまし的な展開と絵もまた、昔のドラマへのオマージュなのかな。映像に違和感があってもうまく脳内補完して観るべし。心和ませて鑑賞するのがたぶん正解です。
映画館出るときに、あれってどうよと笑いあった私たち。

「シン・ゴジラ」は、怪獣ドラマを観て育った人を楽しい気分にさせる。監督も同世代だしね。そして、「アオイホノオ」ファンの私としては、島田和彦氏、岡田斗司夫氏などに、ぜひ「シン・ゴジラ」について、詳細な解説と座談会をしてもらいたいです。

2016年08月12日

ブログ復活します

ブログ、ながらく休止しておりました。

昨秋以来、週5日の通い仕事+少しのライター仕事の日々でしたが、
自分のテーマに沿ってきちんと作品を書こう!という当初の意気込みは続かず。

ハードだった通い仕事はひとまず終了したので、新たな気持ちで。

身近な人間関係、親族・家族問題、取り巻く環境変化、都市と地方…
などなど。

書くことの習慣化を復活させます。

posted by kei at 11:51| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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