2012年11月03日

ベルばらを読んで@(オル窓話)

「ベルばらを踏まえてのオル窓」(ネタバレあり長文)

*ここではクラウスで統一。
 音楽学校時代が好きなので、アレクセイよりクラウスってよびたくなる。


ベルばら、やっぱりいいですね。でも、今日はオル窓のお話。

今秋は、久々に「オルフェウスの窓」を再読しました。
そこから勢いづいて、「ベルばら展」「マリーアントワネット物語展」に足を運び、「池田理代子の世界」のムック本を買って…と、にわかになにやら池田理代子祭り。池田理代子の作家論にも目を通している最中。
でも、そういえば「ベルサイユのばら」ちゃんと読んでないなあ…ということでベルばらも一気読み。そして今、ベルばらにどっぷりはまっております。

オスカルがあれほどそして今もこれほど愛されるキャラである理由が、よーくわかった!! オスカル&アンドレの恋模様もいいですね♪
回りからは、えっ!なんで今更ベルばら??と不思議がられつつ…。

が、しかし!ベルばら話は後日としまして。今日は、ベルばらを読んだ上でのオル窓話です。ネタバレあり長文、個人的勝手な思い入れたっぷりです。

「オルフェウスの窓」、大好きです。(2012・9・24で熱く語りましたが)
しかし、70年代に少女マンガを読んで過ごした同世代には、ベルばらの方が圧倒的に人気のよう。オル窓の分はかなり悪い。オル窓は…
@暗くて悲劇的 
A同じ男装の麗人なのにオスカルに比べユリウスが情けない。特に第三部。
                    …理由は、このふたつに集約されるでしょう。
わかるけれども、
そしてベルばらは、確かに名作だけれども、
オル窓だって十分すてきな世界なのですよ。

ベルばらのすがすがしさに対して、オル窓は「哀愁」。しっとりと憂いを感じさせ、ベルばらとは違った魅力があるのです。

そりゃあ、ヒロインの人気度は段違い。ユリウス大好き!って人はそんなに多くはないかと…。主人公がこんなグダグダ他力本願でいいのか?とも思うんですが。男装の麗人ということでオスカルと比べられるからよけいに、期待外れ感が大きいのかもしれません。
ベルばらが陽としたらオル窓は陰。オスカルとユリウスも然り。ベルばら大ファンの人で、オル窓を今一つ好きになれない人が多いのは、理解できます。

昔、私は、ベルばらに、まったくはまれなかった人です。
大筋のストーリーは知っているし、一応ざっと読んではいたはず。マリーアントワネットとルイ16世がかわいそうというのはとても印象に残っているけれど、オスカルやアンドレについてはうろ覚え…男装の麗人という設定にピンとこず、オスカル様♡というファン心理にも違和感があったのです。
70〜80年代のベルばら人気は一大社会現象でした。宝塚でもたびたび上演され、テレビ放映をちらちらと観た記憶もある。そして、その宝塚舞台での、愛をまっすぐに高らかに歌い上げる場面を観て、かなり気持ちがひいてしまった。私はダメだこの世界…と思わされてしまったのです。
すべてが直情的、愛も正義もまっすぐな感じで、その象徴としてのオスカルというイメージ。マンガの絵柄がかわいらしく感じたこともあり、ベルばら=こどもっぽいという先入観を当時は持っていました。

対して、「オルフェウスの窓」。
愛蔵本を買い一気読みしてはまったのは、20代になってからです。
まず、絵がステキだった。少女マンガらしい華麗さを残しつつ、とても洗練されていて大人っぽい。もう、すっかりこの世界に夢中になってしまいました。

作者は、ベルばらを描いていた頃、資料のみで背景を描いています。日本の家屋しか実際には見たことがないのに、想像力で補ってあのベルばら世界を構築したのがすごい!(それがかえって大ヒットの要因だったと思うのですが、その点についてはまた後日)
ベルばらヒット後に訪欧した作者は、本物の建物の重厚さに驚いたそう。“オル窓では、建物の大きさを意識して描いた”と、作者は語っています。そして、オル窓の頃には、作者自身の探究心や年齢を重ねたこともあり、歴史や人物に対する洞察のあり方もより深いものに変わっていたはず。
夢のようなベルばら世界とは、違った佇まいをもつオル窓。歴史の重み・空気感というものが、作品全体ににじみ出ていると感じます。

主役級の登場人物が死ぬって点では、ベルばらもオル窓も同じですが、悲壮感はオル窓の方がはるかに強烈です。そのことに抵抗感がある人もいるようですが。

私はゴージャスな悲劇感を堪能することができました。
悲惨な死に方をする主人公のユリウスも、クラウスとの愛の日々があったわけで、救いがないとは私は思わない。幸せな人生とは言い切れないけれど、そもそも、完全に幸せだったと言い切れる人生など現実にはほとんどないわけだから。
そういう意味でも、とてもリアルに感じられるのです。

ベルばらのオスカルがとても魅力的なのは、すごくすごくよくわかります。
奇跡的な美貌、武術の腕前は抜群、申し分ない家柄…なのにおごり高ぶり一切なく、心優しく前向きでチャレンジ精神に満ちている。責任感強く誇れる仕事を持ち、本当に非の打ちどころのない最高のヒロイン。最期は自分の信念に従い、命を投げうって闘う凛々しさ。アンドレの前でだけ“デレ”を見せるかわいさも含めてうっとり〜。(元祖ツンデレ!)
オスカルの回りには愛がいっぱいです。家族をはじめ多くの愛に包まれ、周囲の人々とあたたかな交流を持って生きていく。元来陽性な性格で、人に愛される天賦の才があったとも感じます。
そして、このあまりに恵まれかつ超越したキャラゆえに、昔の私は、はまれなかったようにも思うのです。

対してユリウスといえば、周囲は策略がいっぱい、生育環境も悲惨です。
母親には愛されているけれど、この母親冷静に考えたら変。ユリウスに男のふりを強制している時点で、もう立派な虐待ですよ…(←オスカルパパとはまた違う!)。
ユリウスは、そんな母親に対して、まったく猜疑心を持たない。母親の愛情だけが生きるよすがだから、疑うなんてことは意識にのぼらなかったのでしょう。親に対する反抗心を持たないまま成長し、綱渡りのような人生を続け、ついに母親に先立たれてしまうユリウス(またその死に方がショッキング)。
大人になりきれないまま、二人の殺人を犯したことを永遠の秘密としその罪にも苦しみながら(途中からは記憶喪失)、年を重ねていくことになります。

オスカルファンなら、男装のユリウスに「どんなに不幸に見舞われても、そこからはいあがる雄々しいキャラ」を期待したかもしれません。でも、作者は、そうはしなかったんですね。
正義感の強さはあっても、オスカルとは違う精神の弱い女性としたのです。

オスカルは、仕事を通じて社会のありかたと自分の生き方をみつめ、我が道を選びとっていく。信念を持ち自立した大人の女性。対して、ユリウスの精神はあまりにも幼すぎる。死ぬまで不安定な心を抱えた少女のまま。
もし、と仮定して考えてみる…もし、ダーヴィトのように音楽を心から愛していたなら。たとえイザークのような天才的な才能はなくても、生きる希望にできるほどピアノに対する情熱を持っていたなら。ユリウスの人生は、もっと足取りの確かなものになっていたでしょう。多くの人と確かな愛情で結ばれる心豊かな人生を、創っていけたんじゃないかと思います。

でも、そうではなかった。そして、現実にはそういう人の方がずっと多い。
人生の目的を持ち確信を持って生きられるのは理想だけれど、人はもっと弱弱しくてずるい。誰もが、右往左往しながら生きている。何に対してどの程度耐えられるか、力を発揮できるかという器は、人それぞれに違う。思い通りにならない人生を、そのときどきの局面で、その人なりの判断をくだして歩んでいくしかない。

ユリウスは、母親が亡くなったとき絶望の極みにいたはず。人にとって、もっとも残酷なのは孤独です。ユリウスにとって、もうクラウスだけが生きる支えになっていった。だから、祖国ドイツを離れ危険なロシアへ渡ることに、何の躊躇もなかったでしょう。

母親が亡くなったことは、ユリウスにとって大きな悲しみだったけれど、自分の意志で動ける=クラウスを追ってロシアへ旅立てる、というのは、生まれて初めての精神の解放のときでもあったと思うのです。

その証拠に、第一部でロシアへ旅立とうとするユリウスの表情は、とても生き生きと輝いていると思いませんか。
すくっとしっかり前を見据えている。
愛はどんな弱い人間をも奮い立たせてくれる。

ユリウスは、好きな人を追いかけて追いかけて突き放されても追いかけて…(とまあ追いかけ続けられるのも、自分への愛を確信していたからでしょうが)。クラウスをただただ愛する、というだけの人生だったけれど、それが、ユリウスにとっての生きる情熱のすべて。
そして短い間とはいえクラウスと愛の日々が送れてよかった。ユリウスなりに精いっぱい生きたんだねと、私は抱きしめてあげたくなってしまうのです。

オル窓のお話は悲劇的です。
多くの人が志半ばで死んでいきます。でも、登場人物が不幸だったとは私にはあまり思えない(ゲルトルートとか、かなりかわいそうなキャラもいますが…)。逃れられない過酷な運命の中で、それぞれが、幸せをつかみ取ろうと必死に闘っていると感じられて、深く感動するのです。

男キャラを比較すると…
クラウス、けっこう好きです! 革命を闘う男…いいじゃないですか。現実はさておき。
ベルばらのアンドレは単独では萌えられない。
オスカルあってのアンドレ、オスカルとアンドレはペアだからこそすてき。アンドレの愛の深さや、オスカルの幼なじみから恋人へと意識が変わっていく恋心にドキドキします。アンドレは、オスカルへの愛が人生のすべてのようで、その点においてはちょっとユリウスみたい?平民だけれど、革命に対する強い意志というのはほとんど描かれていません。
対して、クラウスは、自分のなすべき仕事に対する意識が明確です。
命の危険を顧みず、革命に全人生をかけている。シベリアに6年も送られたりして…。うーん、男が仕事に打ち込み、“女よりも仕事”の感じが、けっこう私は好きかも。現実はさておき。

作者いわく「私は、理論左翼心情保守」。女性差別や社会的弱者に敏感で社会意識が高い作者ですが、わかりやすい“強い男と守られる女”という構図も、作者好みのひとつとしてあるんじゃないかな。
自立したオスカルはもちろん、ユリウスもまた、作者の中で矛盾なく存在できるキャラなのだと思います。

オル窓で感じた作者のポリシー。それを感じるセリフを、ベルばらの、オスカルが亡くなる寸前の、心の声にみつけました。

一瞬たりとも 悔いなく あたえられた生をいきた
人間として それ以上のよろこびが あるだろうか


作者は、“人生はあっという間。歴史の中では小さな存在だけど、だからといっていいかげんに生きていいわけではない。一生懸命生きなきゃいけない”という主旨のことを、語っています。ベルばらもオル窓も、ベースにある作者の強い思いは同じですね。

歴史の大きなうねりの中では、ひとりひとりは無力な存在。いやそう見えるけれど…。ひとりひとりが、その時代のそれぞれの境遇の中で、精いっぱいに生きること。人を愛すること。それこそが歴史の大きなうねりをつくる一筋の風でもあるんじゃないか。
歴史も人生も正解はわからない。ただ、自分の思いに忠実に生きる。失敗を恐れて何も動かないのはおろかなこと。たとえ浅はかだとしても。
人それぞれに、最大限の情熱を持って生きる…それが、池田理代子の世界では、絶対的真理と強く感じます。

★ほんとにユリウスはね…ダメダメ女子ですよ。天国でも(天国と信じましょう)、きっとクラウス大好き!ってばかりの毎日だろうなあ…。でもまあ、初恋の男をずっとそんな風に愛し続けられる人生、っていうファンタジー、ちょっと夢みるところです。

★ベルばらの、オスカルと病弱王子のキスは、少し少年愛っぽいシーンを描きたかったと作者は語っていますね。ロベスピエールとサン・ジュストのアヤしい関係ももっと描きたかったそうで…。その思いがオル窓で炸裂?…オル窓がBL(ボーイズラブ)っぽい雰囲気を漂わせていることに、激しく納得です。

この記事へのコメント
はじめまして^^
『オルフェウスの窓』を検索して、こちらのHPさんに辿りつきました。記事のほう、興味深く拝読させていただきました。

今更ですが、最近ひょんなキッカケで『オルフェウス』を読みかけ、あまりの面白さに ぐわ〜っと一気に最後まで読んでしまいました者です^^;
初めて触れるロシアの歴史や、重奏的な物語、、、たくさんのキャラクターたちの心理描写と人生模様にただただ圧倒され、読後には、最近の漫画とはひと味違った深い感動を味わい、しばしば華麗な世界の余韻にひたっていました…(笑)

しかし、ユリウスの最期など、どこかスッキリしない思いが悶々とあったのも事実で、「あの物語を読んだ方々は、どんな受けとめ方や感想を持ったのかな〜」と思っていた時に、この記事を拝見し、ミョーに納得といいますか、つっかえていた思いがスッキリ!としました。ありがとうございます^^

そうなんですよね、ユリウスのキャラクターも、情けないかもしれないけれど その弱ささえもどこか愛しい…と、私も感じました。物語の中では、最期まで好きな相手と一緒になり ハッピーな人生を全うできた人たちは殆どいませんでしたが、だからこそ一人一人が愛おしいというか、自分のすべてをさらけ出し 精一杯生きることを全うしていく人間たちの姿に圧倒され、感銘を受けました。
そのことを、kei様の記事を読み、改めて再認識させていただきました。

最近の漫画には珍しいような、この重厚的な人間描写、耽美な世界…可憐な絵柄…。池田理代子作品に、どっぷりとハマってしまいそうな予感です^^;(笑)

突然の書き込み、長文失礼いたしました。改めてKei様の記事に御礼を申し上げたいです^^
Posted by ヨシカ at 2013年05月15日 19:20
ヨシカ様 コメントありがとうございます!

オル窓にはまってくださり、とてもうれしいです♪ほんと、ぐわーっとどっぷりはまってしまいますよねえ。


いろいろと矛盾点を突くこともできますが、それをおぎなってあまりある勢いがある。最期が納得できない、4部が駆け足…という声も聞きますが。たぶん当初は4部の大構想(イザークとユリウスの恋模様??)があったんだろうなあ〜。でもこれはこれでよし!と私は思います。これだけの物語を創造しちゃんと着地させたってすごい!

ユリウスの最期はやはりかわいそうですが…。レーゲンスブルクから離れた街で殺され、たぶん行方不明として処理され…。
アレクセイもユリウスも殺され川に落ち…たぶん遺体は見つからないまま…ってとこに、またロマンを感じる。水の流れが時の流れでもあるような。永遠に続く(というより繰り返される)愛の物語を象徴しているような。

ベルばらと同じく、ヨーロッパの歴史に関心を持つきっかけにもなりますよね。日露戦争なんかのセリフも出てきたりして。ラスプーチン、もうこのキャラでしか想像できない。ユスーポフは歴史上とはずいぶん人物造形が違うようですが。

池田理代子作品をすべて読んだわけではないのですが、やはり、ベルばらとオル窓が、2大作品と思います! 友人が、この2作品はオペラだ、と言っていましたが確かに(オペラ観たことないんですけどね)。うっとり陶酔できる華麗な物語。

仰々しい台詞、やたら泣いて愛を語るなど、今の漫画のテイストとは大分違いますが、だからこそおもしろい!この魅力を知ってもらいたい。ぜひぜひ、多くの人にオル窓を読んでもらいたいと思っています。




Posted by Kei at 2013年05月16日 01:40
初めまして(^^)
何回目かのMyオル窓ブームになり、「オルフェウスの窓」で検索しているうちにたどり着きました。

まずは便利な世の中になったな・・・と。パソコンでちょっと調べると、いろんな方の思いがわかって、一人で「やっぱりそうだよね!!」と頷いてました(^^ゞ

クラウスが大好きで、オル窓も大好きで、読み始めると止まらない。でも、大人になってから読むと後に残るのはものすごい自己嫌悪。誰とも話したくなくなり、消えてしまいたいくらい。
大好きなお話なのにどうしてなんだろう??とまた自己嫌悪。。ひたすら悪循環。いつも抜け出すのにしばらく時間が必要になります。

でも、Kei様の記事を読んでその理由がわかったような気がしました。
登場人物の全員があまりにも一生懸命に精一杯生きてるからだって。幸せをつかんだ人を探すほうが難しい物語の中でも、皆が何かの為に必死になって一生懸命に生きていこうとする姿が今の私とはかけ離れすぎているんです。

何かに必死になったことがない、40代半ば(×1)の今まで親の顔色ばかり見て、やりたいことが見つかっても、始める行動力もなく親に反対されれば諦めてきた人生でした。

結果はどうあれ自分の信じたことの為に必死に生きていく登場人物の姿に憧れ、それにひきかえ何の目標もなく、ただ何となく生きているだけの自分に嫌気がさし、生きてる意味さえわからなくなりました。いい歳をして情けない話ですよね・・

でも、Kei様の言葉に救われたかもしれません。
「人それぞれに、最大限の情熱を持って生きる」今からでも間に合うでしょうか?「失敗を恐れて何も動かないのはおろかなこと。たとえ浅はかだとしても。」
何か目標を見つけて、この言葉を思い出して、恐れずに行動できる日が来ることが今一番の望みです。
そして、人生の最期の時にオスカルのように思えれば幸せな人生だなと思います。


突然なうえに長文、オル窓にあまり関係ない書き込みで申し訳ありませんでした。

またブログ、拝見させていただきます。
ありがとうございました。
Posted by みぃちゃん at 2013年07月30日 00:16
みぃちゃん様 コメントありがとうございます!

情熱を持って生きるって本当に憧れますよね!私は、私自身のことはふりかえらず(^_^;)、お話としてすてきだな~と非現実物語の世界に心を遊ばせています。

情熱的に生きる…って、なかなか体現できる人はいないですよ、きっと。
ダーヴィドのように、世を覆う才能がなくてもいいからこのことに一生懸命になろう!と決めたことがあるってすばらしいけれど。もちろんそれは恋愛でもよくて(あまりにむごい片思いは人格を壊すから注意が必要だけれども)。

目的を持って情熱的に生きる人生、ってもちろんいくつになっても可能性はあると思います。でも、目的がなきゃ情熱的に生きなきゃ人生に価値がない、ってことではないと思うのです。

私の大きなコンプレックスのひとつは、根性が足りないつめが甘い!ってことでした(今も完全になくなったわけではないけれど)。そういう意味では、私の人生は情けなく、私のことを、取るに足りないつまらない人間と思う人もいるでしょう。実際に軽んじられているなあ私…って思わされる態度をとられることもありますしね。
でも、自分を否定しないってことを意識的に心がけています。
今のままの私でいいや!…と開き直りすぎるのはどうかとは思いますが、自分本来の持ち味を否定しちゃいけない。

こんな私でも、一目置いてくれる人がいたり、すてきだと言ってくれたり、応援してくれる人がいたりする。その人たちのことを思うようにしているのです。

池田理代子先生は、自分は努力するのが大得意!っておっしゃっていますよね。それは、本当にすばらしい。私の従姉妹は高校生になってから音楽の道に入りたいと決心し、勉強とピアノに打ち込んで今ピアノの先生なんですが、自分はこれ!という1点をみつけてそれを人生の核として生きていけるって、なんて幸せなんだろうって感じます。

でも、そういう人生じゃなくても…いいんですよ。

ある呑み会で、とても場の雰囲気を良くする同年代の女性がいたのです。話してみると、職業は定まらず、工場の作業員とか自分の気の向くまま生きてきた人。でもどの職場でも人気者だったんだろうなと思われ、かなり高齢になってから、職場の人たちのすすめもあって結婚されたそうです。
そのとき思ったのは、何かに打ち込んで、世に認められたり誰もが賞賛する何者かにならなくても、十分すばらしい人生だってこと。大きな成果をあげるとか一心に打ち込むとかって自分の誇りになるけれど、それはその人自身の、言ってしまえば自己満足でもあり、周りからすれば、「気持ちの良い大人の人格を持った人」であればいいんだと思うのです。

どんな人生でも、自分の人生にちゃんと納得している大人でありたい。
自分はだめなんだ、とか、思わないようにする。なかなか難しいけれど、意識しているとできてくるように思います。

長くなりました。説教臭く感じたらごめんなさい。

マンガの世界を楽しめる!これだけでも、きっと私たちの人生はすてき♪だと思います。
Posted by Kei at 2013年07月30日 23:33
初めまして
ユリウスは遺体発見されないままと言う事?
ダメダメ女子は、酷過ぎるでしょう。
レナーテさんのした事は虐待ですね〜。
ユリウスは、反抗心はありましたよ
さらりと嫌味を言うシーンもあって。
ユリウスには優しい母 その母に、こんな事を
させた父親への恨み怒りの方が大きいかったと。
レナーテさんへの非難の気持ちは私もありましたよ。
権力ずくでお妾さんにされて、ユリウスを身篭らされて
挙句捨てられて。見知らぬ遠い町に追放!
ベルばらにも、貴族に権力ずくで愛人にされた女性が捨てられて、家もお金も全部取り上げられて、着の身着のまま無一文で追い出されて。そんな感じ想像しましたけどね。知らない町で、一人で子供を育てて。
計画上手く行って 財産手に入れた ユリウスをそこで女の子に戻せるのか?色々考えましたよ。
レナーテさんは決して悪い人では無かった…
寝たきりの夫の世話をして、キツい臭い汚いの
3Kの介護をして来た。死んだ時、泣いてくれたのは
レナーテさんとユリウス二人。
アネロッテもマリアバルバラさんも泣かなかった。
他の人だったらどうだろうかと?
理由状況はどうあれ 彼女がユリウスにしてきた事は
許されない事ではありますが。
じゃあ、女の子として性別を偽らされる事無く生きて
幸せつかめたろうか? けいさんは 貧しくても
人並みな幸せをつかめたかもと思われるのですね。




Posted by ミント at 2015年06月02日 20:27
ミントさま

コメントありがとうございます!

私はユリウスもアレクセイも死体はあがらず誰の目にもふれないまま、愛の伝説として語り継がれていった…と想像したい派です。
二人の魂はどこかで寄り添い永遠に生き続けている、と信じたい。たとえ肉体は消えても、愛の精神は世界に余韻として残っていると、感じます。これは漫画の世界の話ですが、現実話だったり、言い伝えだったり、ほかもろもろの創作物も同じく、愛の物語はすべてそうじゃないかなと。

もし、ユリウスが女子のままでかつうまいこと貧乏脱出できたとしても(それはそれでおもしろい物語世界があったかもだけれど)、贅沢でも平穏で退屈な毎日だったとしたら、この作品世界的には“生き切った”とはいえない人生。オル窓の作品世界には、「情熱的に生ききることこそ人生」というポリシーが、根底に強くあると感じるので。
ユリウスにとって受難ではあっても、男装して闘ってという第一部のふるまいは、とても魅力的です。そして、全編を通して、「悲劇ではあっても命がけの愛を全うした生はすばらしい」ということを、壮大な物語の中で語り尽くしているので、お話やキャラにいろいろと矛盾があったり、これはどうよ、と思う部分があっても、もうすべて許される気がしています。
作品で詳細に描かれない部分は想像するしかないのですが(その妄想が漫画の楽しさなのですが)、レナーテとユリウスのおとうさんの心情と行動については、やはり私には、理解しがたくて…不思議、というか感情移入しづらいです。レナーテがマリアバルバラにペンダントをあげるのもなんだか…私には理解できない心情。それを喜んで受け取るマリアバルバラも。
ユリウスがおとうさんがなくなって涙する場面は印象的ですね。私もぐっときます。
レナーテとユリウスの共依存的な母娘関係も強く感じてしまって…。私はレナーテに対して、見方が相当厳しいです多分。ミントさんのように深く優しく考察したことがなかったので、興味深く拝読しました。ありがとうございます。

そうしたこともろもろ考え始めるときりがなく…。もしこうだったらとか、ああしたらよかったのに、とか、やきもき考えて自説を語るのも、漫画の醍醐味と思います。

ユリウスが皮肉や啖呵を切って逆襲する場面が多い第一部が大好きなので、どうしても第3部のユリウスがはがゆく感じますが、同時に女性としての素直さかわいさも前面に出ているなと思います。「オスカルとは違い精神の弱い女性を描きたかった」という作者の意図が物語の進行につれどんどん強く表れてきていると感じます。

最近オル窓を読み返していなかったので(愛蔵版も文庫版もずっと人に貸していて)、またじっくり読み返してみようと思いました。もしかして実はこうだったのではないかという、新しい発見がありそう。ベルばらと比べて、お話が重いし長いので難儀ですが…オル窓世界は、やはり深くて魅力的です。

まとまりがなくてすみません。レナーテ考察等、新しい気付きをありがとうございました。
Posted by kei at 2015年06月02日 23:17
初めまして。
私はユリウスに救いがあったとは思えませんでした。ユリウスは性別を歪められて育てられたことと、それが原因の殺人の記憶のために精神の土台が常にぐらついていたため、アレクセイとの愛は瞬間的な慰めにしかならず不安感は常につきまとっていたと思われるからです。
「クラウスではなく安息を求めていた」というのはそういう意味だと私は受け取りました。
ユリウスは幼少期におかしな育てられ方をしたせいで精神の土台を作ることが出来なかったため、記憶を失ってからは子供のようになってしまって人間として成長することもできなかった。そのようなシビアなお話だと私は感じましたね・・・。
もっとも、あまりにも壮大な悲劇のゆえにユリウスは私にとっては遠い存在なのですが・・・。
子供の時「クラウスではなく安息」というのを初めて読んだ時は大ショックを受けたものですが、大人になって読んでみるとその伏線はMC12巻にすでに登場しています。レオニードに手を踏まれる場面です。「恋の情熱をあざ笑うのもいいだろう。だがあなたにはぼくがこの国まで彼を追って来たわけなどわかるまい」とユリウスは言っています。私はこれを最初読んだ時、え、クラウスを愛してる以外の理由が何かあるの??と引っ掛かりを感じたことを覚えてます。
オルフェウスの窓は今でも色々なことを考えさせてくれるお話ですね。
Posted by rika at 2015年07月03日 11:59
rika様 コメントありがとうございます!

「クラウスではなく安息を求めていた」
そういえばそんな言葉がどこかにあったような…と、確認してみました。愛蔵版では4巻P431,432ですね(マーガレットコミックスは持っていないので手元にないのです)。

ユリウスの心は常に不安感でいっぱい。それはとても印象に残っているのですが、レオニードに手を踏まれるシーンの台詞までは記憶になかったです‥精神を追い詰められていくユリウスの心の描き方が、本当に細やかなんですね。

全編通してユリウスが唯一心から晴れやかになれたのは、女の子であることを公表しようと決めた朝だけ。それ以外は、常に不安がつきまとい、罪を犯してからは、もう絶望や狂気の淵で、ぎりぎりの精神で生きている。唯一の希望がクラウス。

クラウスは安息を得るよすがで、でも、クラウスとラブラブになっても、完全なる安らぎを得ることはできないまま。そして、クラウス亡きあとは精神を病んでしまいました。
ユリウスの精神が弱いというより、ごく普通の人の精神なら、この環境なら当然のことでしょう。

悲劇的にしか、生きられなかったユリウスの人生。

けれど、音楽がユリウスの正気を呼び覚ますことができたのは、音楽学校時代に明るい生の喜びがあったから。それは、救いとよんでいいと私は感じます。

また、死の直前にクラウスのことを完全に思い出すことができたのもよかった。
それは、自分のせいでクラウスを死に追いやったという悪夢の再現ではあるけれど、心から愛し愛される時間があったことを思い出して逝けたから。
「あの天地の裂けんばかりの愛はどこへ…!!」の最期のシーンは、ユリウスの救いというより、お話全体の、愛を求めて生きた人に対しての賛歌であり、どんな人生にも救い…生の素晴らしさがあると語っていると、私は受けとめています。

全編読み直してはいませんが、4巻をぱらぱらとめくりながら…あー私にとって、やっぱりオル窓は特別な漫画だなと思いました。
自分の中で、登場人物が生きている。
おもしろいストーリーや魅力的なキャラクターは、ほかにもたくさんあるけれど、オル窓は、人生を“生き切る”重みを感じさせてくれます。

本当に、いろいろなことを考えさせられますね。



Posted by kei at 2015年07月06日 02:28

愛蔵版には、レオニードの場面はないように思います。MC版から削ってある?
見落としているのかな‥。
Posted by kei at 2015年07月06日 06:15
kei様、丁寧なお返事ありがとうございました!興味深く拝読しました。
「天地のさけるばかりの愛はどこへ・・・!」は私はkei様とは全く逆で、あれほどの愛ですら死ねば無になるのだなぁというか、何というか人生の儚さを感じましたね。だから生きている間を大切に!というメッセージであるともいえるのでしょうが、私はそうは感じず、儚さ、哀しさを強く感じました。かと言ってその儚さが決して嫌いではなく、むしろ心地よささえ感じるというか。うまくいえませんが・・・。
レオニードの場面、愛蔵版にももちろんありますよ。私は連載当時からのしつこいファンで、MCも愛蔵版もそろえていますので間違いないです(笑)!その場面は第3巻です。お時間のある時に見てみてくださいね。
Posted by rika at 2015年07月06日 08:32
アンドレ=ユリウス!うーむ確かに。オスカルなしのアンドレって考えられないのでその点ユリウスは一人の時間長くてがんばったねって言いたいです。
>どんな人生でも、自分の人生にちゃんと納得している大人でありたい。
二人とも精神的に自立した大人なのかっていうとちょっと疑問に思うところがありますが、納得して死んでいくシーンはどちらもすがすがしい。全力を尽くして燃焼していったことを感じます。主役でなくても。。(あ、ユリウスは主役でしたが)。
Posted by KHS at 2016年09月24日 19:55
KHS様

コメントありがとうございます!
お話の最初の方でのユリウスは、
オスカルの凛々しさを彷彿とさせますが
あとにいくほど、
同じ男装の麗人でも
オスカルとはまったく違うメンタリティの持ち主
であることが際立ってきますね。

歯がゆくなること多しですが、
ユリウスなりにとっても頑張ったんだなと思います。

確かに、ロシアでたった一人で、ですもんね。
愛の力はすごい…すべての登場人物に言えることですが。
世界の歴史も、究極は、一人ひとりが自分の愛と向き合い行動することで変化しているんだなと思わされます。

Posted by Kei at 2016年09月26日 01:15
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