2015年05月09日

アサーティブの限界

アサーティブという言葉を知ったのはもう10年以上前。
自分の気持ちを上手に主張する、というのは、そうできなくて、もやもやしぱなっしの人々を勇気づけるものだった。

で、ツイッターでもアサーティブジャパンをフォローしている。
が、うーん、アサーティブな方法論そのものが、日本ではもう行き詰っていると感じています。

この、アサーティブな方法が通用する相手じゃないから、人は悩むのであって。
そういう相手に対してどう対処していけばいいのかは、まったく見えていません。

『「ノー」とは自分と相手に誠実でありたいからこそ伝える言葉』…なんていっても、そういう、通常の良識が通じない相手だから、苦しいのです。

思わず、アサーティブジャパンにリプライし、そのやりとりが下記です。

『アサーティブができるのはある程度理性ある人間に対して。すこしでも自分が攻撃されたと感じると「自分こそ被害者」と罵倒し捨て台詞、あとは完全無視。ときには失神してしまう病的な人も。そういう人は大変多いです。そうした人に対する対処はどういう考えですか。』

アサーティブジャパンからは誠実な回答をいただきました。

『おっしゃる通り、アサーティブが通用しない相手や状況があります。そういう場合は「がんばってアサーティブに!」とひとりで抱え込まずに、誰かに相談する/助けてもらう/協力してもらうなど、自分だけで戦わない方向で対処したほうがよさそうです。』

正直、結局これか…と思ってしまいました。絶望的な気持ちに…でも‥そうなんですね。

以下は私。
『協調性に振り回される結果、場の空気を支配する者と我慢強いられる者が生まれがちな日本において、アサーティブの考え方が広がるのはいいことと思いますが、日本の場合は日本独自のコミュニケーション力が必要とも思います。つまり、どんな人に対しても「人として尊重しなければならない」という人権意識が低い社会であること。その中での実践は非常に困難な場面が多い。権力を持ち自分を優位に立たせて得を取ろうとする人達。そこで忸怩たる思いを持つ人の多くがアサーティブで解決できないかと学ぶわけです。自分の嫌だという気持ちを自覚し吐露する、という、その一歩から先を、知りたい。アサーティブがかなり日本に浸透してきた今、そう期待します。』

良心や良識を持たない人、瞬間沸騰で激高する人、自分は正しいとまげない人…
多かれ少なかれ、そういう点は誰でもあると思うけれど、
もうモンスターの域に至っている人々がいて、それが大変周囲を苦しめます。

人と人がきちんと対峙して話をする、というモラルが日本には育ってきていないので、
その中で、アサーティブ!の実践といっても難しい。

日本独自の、対人関係の改善のあり方、考え方について、
はっとさせられる、方法論が提示されないものかと思います。

心優しい人が、心穏やかに過ごすことができる。モンスターに振り回されない。
どうすればいいのかな、と、考え始めると、八方ふさがりな気分になる。
気にしない=自分の人生を支配されないのがとりあえず一番大事。
そうやって距離を置いていけば生活への影響もなくなってくる。
でも、自分はたまたま一時的に逃れられたとしても、
そういう人がのさばる世の中では、いつかわが身にまた絶対災厄がふりかかる。

生涯かけて追及していきたいテーマ、です。











posted by kei at 02:48| Comment(2) | 今日のお題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは。はじめまして…。
突然おじゃましてすみません。

アサーティブしても通じない相手には、どう対処したら
良いのだろうかと、自分も長年思い悩んでいました。
たまたま検索エンジンで「アサーティブ」「通じない」
という二つのワードで検索して、参考になる記事を
探していたら、このページに辿り着きました。

タイトルにひかれて初めて山口さんのブログの記事を
拝見しました。
山口さんの書かれた記事の内容は、まさしく
「我が意を得たり」という感じですね。

アサーティブが通じない相手に対しては、
「沈黙は金」の作戦で行くのも一つの手だと思います。
アサーティブしないことも、時には意思表示の
一つでもあるんです。野球に例えるなら、
ストレートを打っても通じない場面では、
変化球を投げたり、敬遠球を投げたり、
バントしたりして、時間稼ぎしましょう!

答えにつまったら、あえて何も言わないで
30秒くらい考えている振りをして、
話題を変えてもいいし、急にお手洗いに行きたく
なっちゃった…とか、臨機応変に嘘をついて
その場しのぎをして逃げても構わないと思います。

やっぱり日本の社会では沈黙の活用は大事だと
思います。アサーティブだけでなく、
沈黙を上手に活用して行きたいと思います。

それでは失礼いたします。
Posted by ミルクティー at 2016年01月11日 23:10
ミルクティー様 コメントありがとうございます!

話が通じない、
きちんと話し合う場に座れない、
という者に対して、どう対処すればいいのか。
その方法は、ケースバイケースで、
万人に通用する良策はないなあ、と思います。
本当に難しい。

沈黙は金作戦!
確かに、ときに有効な方法のひとつですよね。
心が疲弊する「戦争」も避けられます。
日本には、議論を好まない、協調性を重視する風土が
根強くありますし、
沈黙を上手に活用しなければ、ならない。
けれど、それに乗じて、
ますます権力をふりまわす人間が少なくなく、
辛いところです。
結局、思慮深い人間が泣き寝入りをさせられる。

ときには、
「いざとなったら、自分は闘う覚悟を持っている」
というところを、みせておかないと、
どこまでも、権力者が幅をきかせます。
友人関係でも、地域でも、職場でも、国でも、世界でも…。
戦争をせず、
毅然とした態度で、平穏な心を持って生きていきたい。

悩ましい人間がいると、究極は、世界平和のことまで、思想が及ぶから、
こういう人に出会ったのは、きっと神の采配に違いない、と考えたりします。
心の怒りを上手に表に出し健全な心で生きていく。
私は今、その練習をしているのだとも思っています。
怒りや悲しみがあまりに強くなると、
相手が、心にぴったりと棲みついてしまう。
それは、本当に苦しく、
ときに、黒く暗いエネルギーとなり、自分自身の人生を陰鬱にさせる。

そうさせないための、何か、
風穴をあけるような思考と方法論がないか、考えていきたいです。

優しい者が受難者になることが、最も耐え難いことです。



Posted by kei at 2016年01月19日 12:07
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