2016年08月13日

「シン・ゴジラ」 現代の、無理なく観られる怪獣映画

*若干ネタバレあり。
先週観ました、話題の「シン・ゴジラ」。

破壊の場面に郷愁。
それだけでもう、ごちそうさま、です。一番の見どころはそこ。あとは、おまけみたいなもの。
遥か昔、よくTVで怪獣ものを観ていた頃を思い出します。

小学低学年のとき、ウルトラマン(帰ってきた、だったかな…)を観ていた私に、祖母が怪獣を指さし聞きました。「これは、ほんまにあるんか?」。
…「あるわけないやん!!」。そんなんあったら大パニックやんか〜。
毎週毎週こんなに怪獣がビルや電柱を壊しまくっていたら、世界はとっくに焼野原瓦礫の山。死者や怪我人続出。でも、そこは”つっこまない”お約束ってことは、子供心にちゃんとわかっていた。人間の恐怖はリアルに描かない。想像しない。

そういう大前提をちゃんと踏まえての、「シン・ゴジラ」。
懐かしい怪獣映画の気分を、きちんと味あわせてくれました。

ゴジラの造形を楽しむ映画なのです。それが、肝。
昔のまんまの撮影技術では、あまりにちゃちでしらけてしまうし、最近のハリウッド映画のようなもろSFX的リアル感じゃ、私たちが親しんだ”怪獣映画”じゃない。
その加減が素晴らしかった。
変態していくゴジラから、血液がぐにゅっと出る感じはたいそう気色悪かったけれど、それもギリギリOK。あれくらいはあったほうが、シン・の名にふさわしい。

冒頭の津波を連想させる場面に、はっとさせられ心が痛くなります。
でもあまりの生々しさから、私たちは瞬時に「東日本大震災以降の日本を描く強い意図」を汲み取り納得する。その期待を裏切らない台詞の数々が展開されていきます。
息苦しい日本社会。真正面からの批判も、皮肉やお笑いで茶化すことも許容されない中で、怪獣ファンタジーが、もの申してくれた。観終わった後のいくばくかの爽快感は、日本人ならではでしょう。
あくまで”いくばくか”であり、すかっと爽やか、ではありません。現実があまりに重たいからね。でも、今の時代の日本の空気と私たちの良識・常識を、作品に残してくれてことに感謝したくなります。

日本人なら、”あるある”の連続です。
ばかばかしい会議のうんざり感。杓子定規で眠たげな会議進行、途中で暗転、黒バックに白抜き「中略」の文字にニヤリとさせられる。そうそう無用の長会議!まともに聞いていたら身が持たん。きっと多くの人が小さく溜飲を下げる。

男ばっかり出て来る映画だけれどそれが日本の現実だし、全然嫌な感じはしない。主要女性3名は特異なキャラ、漫画チックでとっても楽しい。それぞれが怪獣との戦いの場で、ちゃんと重要な役目を担っている。
(闘いの場で戦力にならない女子キャラが出てくる映画やアニメはほんと観る気が失せる!)

一点これはちょっと〜と苦笑いしてしまうのが、クライマックス。ゴジラの巨大さからいって無理でしょ、これでとどめをさせるとは到底思えない。
でも、この、子供だまし的な展開と絵もまた、昔のドラマへのオマージュなのかな。映像に違和感があってもうまく脳内補完して観るべし。心和ませて鑑賞するのがたぶん正解です。
映画館出るときに、あれってどうよと笑いあった私たち。

「シン・ゴジラ」は、怪獣ドラマを観て育った人を楽しい気分にさせる。監督も同世代だしね。そして、「アオイホノオ」ファンの私としては、島田和彦氏、岡田斗司夫氏などに、ぜひ「シン・ゴジラ」について、詳細な解説と座談会をしてもらいたいです。
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