2014年11月11日

ベルばら・作品は作者のもの

マーガレット買っちゃいましたよ。
きっと、昔少女世代が、
ベルばら作品が掲載されるたびに大勢買っているでしょう。

ベルばら新作コミックスは買わないかも、って
思っていたんですけどね。
やっぱりね、こっちも買いました。
私としては、すごくいい!と
手放しでは思えないのだけれども、
ベルばらという一大絵巻が
別視点で深く描かれている興味深さがありました。

作品を創りあげたのは作者であり、
どう表現していくかは作者の自由。
それに対して、一読者が
“完結している話で十分。もう発表しなくてもいいのに”
などと考えるのは、本当におごりたかぶっておりました。

読者が“こうあってほしい”と妄想するのは自由だけれど、
作品をどう描いていくかは作者のものなのです。

別の作者ですが「うさぎドロップ」のこと思い出しました。
映画化もされたし、私も大好きな作品でしたが、
オチは、どうしても受け入れがたかった。
ドン引きした読者も多かったと思います。
裏切られたと感じた人も少なくなかったろうし、
きっと、編集者も躊躇したんではないかな‥。
けれど作者としては、このオチしかなかったのでしょう。

ときには、厳しい評価や反発を受けたとしても、
表現者は自分が信じる表現をやめてはいけないのだと思う。
その覚悟を持った人が、表現者として生きていける。

新作ベルばらは新作ベルばらで、
追いかけていこうと思います。

2014年05月22日

ベルばら新作は…

現在のマーガレットに
また、ベルばら新作が発表されていますね。
買っていませんが。
うーん、以前、ベルばら目当てでマーガレットを購入したものの
ベルばら以外の作品にはどうしても入り込めなかったので、
このところは買っていないのです。

で、なんと新作集めて、新刊本も出るとか。
たぶん、買わないです‥。

最近の漫画って、人気が出ると長くなる。冗長になりがち。
昔は、あの短さがよかった。想像の余地があるのがおもしろかった。

雑誌で新作発表をファンとして楽しむのは、
気持ちとしてわかる部分はありますが、
雑誌だけでとどめておいてほしいなと思ってしまう私は、
少数派だろうか…。
せっかくの完成された世界を壊す、と感じられるのです。

そんなこといったら、
今週シーズン3がはじまるシャーロックだって、
BBCに限らずいろんなバージョンの作品が次々でてるわけで…。
でも、
同じ作者が、年令を経て描いているっていうのが、やはり大きい。

適当なところで、うちどめしてほしい、と願ってしまいます。

読みたい、という気持ちもあるけど‥
読むような気もするけど‥

もんもん。





2013年09月29日

「ベルサイユのばらとその時代」in横浜

講座「ベルサイユのばらとその時代」(朝日カルチャーセンター横浜教室)
行ってまいりました。池田理代子氏のトークで、聞き手は藤本由香里氏。

藤本さんは、生粋のベルばらファンなんですね。
会場の聴衆の心持ちとも同調していて、とてもよい感じでした。

作者の考え(キャラや場面の意図)と私自身の見方は、違う点もありました。
特にアンドレについて。私のは、よしながふみ氏が考えるアンドレ像に近い。

ほかにも、作者としてはこうだったんだ!ということを、多々知ることができて大変興味深かったです。

でも、作者が意図しない読み解かれ方をされる、というのも、創作物のおもしろい部分かと。
作品になった時点で、その作品は読者のものでもあると思うので、心の中での解釈はそれぞれにゆだねられるってことでいいかと。
なので、これからも、自分流に読んで楽しみたい。

池田理代子氏は予想以上の堂々と美しいお姿で、自分の人生を生きている自信がみなぎっておられました。


以前大学の先生が「今はもう講演会で、ここだけの話ができなくなった。すぐにネットでつぶやかれてしまうから」とおっしゃっていました。いわゆるオフレコ話は、まったくできない時代になってきて残念。
今回の講座で、ネット上の二次創作物についてどう思うかという質問がありましたが、その答えも建て前的な感じが…でも仕方ないのでしょうね。公的な場所で発言したことは、すべて広まってしまう。

講演会等の内容もネットですべて書かれてしまったら、受講料払って拝聴する有難さが薄れてしまうし。そう思うと、内容に関することは自重(講演会等の性質にもよる。中には、拝聴した人が詳細にレポートした方がよいものも。今回はベルばらファンのつどい的講座でもあるので‥)。あーでも早く、リアルで誰かと、語り合いたいっ!

2013年09月19日

池田理代子氏の言葉で

池田理代子氏の言葉で
一番印象に残っているのは…
「夢には締切がある」

人生には寿命があるものね。
それに気づくとき、
たいていはすでに年老いてしまっている…ん?これってオスカル…

2013年09月08日

ベルばら展@横浜そごう

本日から横浜そごうで「ベルサイユのばら展」。10月14日まで。

今日は、グッズ売り場だけ見てきました。

すごいね。グッズ!こんなにあるんだ〜。と感心。
昨秋銀座のベルばら展も行ったけど、
そのときはまだちゃんとベルばら読んでなくて、ファンとはいえなかったから‥。

グッズ見てるとなごむね。来ている人たちみんな楽しそう。
やっぱりオスカル。なんか、みんな、それぞれ思い入れあるんだろうな。
グッズでは…
ライト付きルーペなんていいかも。私たちの世代はそろそろ準備しても…。

のぞくだけのつもりだったんだけど…
結局、35周年記念のときに出版されたガイド本「永遠のベルサイユのばら」と、シュテファン・ツヴァイクの「マリー・アントワネット」文庫本を購入。ベルばら本の、完全版と愛蔵版も欲しくなってくるなあ。持っているのは文庫で絵が小さいし。

グッズ売り場だけ立ち寄っている人、けっこう多かったです。そごうに来た買い物客が売り場からここへ流れてた模様。
カップル(たぶん夫婦)もたまにいて、様子はいろいろ。
早くしてと急かせる夫に、むっとしている妻。
その一方で、楽しそうに本をめくって彼女と一緒に盛り上がっている男性も。いいね♪

29日の講座も楽しみだ。作者を直に拝見するのは初めてなのです。

9月は横浜で、ベルばら祭りだな。

2013年08月20日

ベルばらジオ…

えーっ、妄想キャスティング、ちゃんと発表してほしかった〜。
アンドレ西島秀俊、マリア・テレジア松坂慶子あたり、みんな思うことは同じなのね〜。
そして、池田理代子氏が、西島秀俊ファンだということが声の調子からよくわかった。

アランやほかのキャストはどうだったの〜?それぞれのコメントもちゃんと聞きたかったよ。
早くからネットで募集していたんだから、放送開始前に集計してゆっくり話してもらいたかったな。少なくともHPではちゃんと集計発表してほしい。

聞いている人は熱狂的ファンが多いはずだから、マニアからの質問もいっぱいとりあげてほしかった。最後のアンドレのシーンに対しての質問が多いけどマニアすぎて取り上げられない…ってそんな〜(時間もおしてたんだろうけれど)。

マーガレット10月号の、ベルばら話は、ジェローデルとオスカルの子どもの頃のお話なのね。きっと、読んでしまうけど。読んだら後悔しそうな気もする。
二次創作ものでいいっていうか。今になっての公式話に、かつての面白さを期待するのは無理というもの。

うーん。なんか消化不良。

追記
アラン発表されてた忘れてた。中間発表では長瀬智也でしたね。

追記の追記
おお!発表になりましたね。8/23


2013年08月07日

ベルばらジオ・妄想キャスティング

8月19日にベルばらジオあるのね。

キャスト妄想、してみました。
これだと、オスカル、アンドレ、アントワネット、フェルゼンが同年代というのに無理ありそうだけど、舞台化ってことなら大丈夫かも?まあ妄想だし。そもそも日本の役者で考えること自体に無理があるし。

オスカル
天海祐希
かっこよさとちょっと天然(身近な男の恋心に気が付かない鈍感さ)。男からも一目おかれるリーダーシップ。スレンダーで俊敏。ほかに考えられない。

アンドレ
西島秀俊
着替えでオスカルどきどきのシーン→覚馬で魅せた鍛え上げられた肉体美で文句なし!?

マリーアントワネット
深田恭子
砂糖菓子のような愛らしさ。でも愛したらひたむきな芯の強さ。

フェルゼン
錦戸亮
誰が見てもかっこよくて頼れる王子様。

ロザリー
多部未華子
策士じゃないのにいつのまにかいいポジション。本人は本当に純粋でかわいい。でもその清廉潔白さもまた微妙に女の嫉妬をかってしまう風情が…。

アラン
松本潤
気のいい奴でときにワイルドに暴走。きゃあ〜♡

ジャンヌ
黒木メイサ
目力強く何かやってくれそうな雰囲気。この美貌ならどんな男も手玉に取れるよ。

ルイ16世
塚地武雄
心の奥深くに秘めた、屈折した気持ちも表現できそう。

マリア・テレジア
松坂慶子
聡明な政治家としての顔を持ちつつ、娘を愛する気持ちをたっぷりと表現できそう。

ポリニャック夫人
麻生久美子
生まれながらの魔性。人をとりこにさせてしまう術を持っている。ベルばらより、映画「マリー・アントワネットに別れを告げて」のイメージに近いキャスティングかな。

デュ・バリー夫人
小池栄子
迫力の愛人役。でもどこか憎めない感じも出てて、女性の共感もよびそう。

ジェローデル
谷原章介
あのほほえみはまさにジェロ−デル。ショコラをかけられるシーンとか、はまる。

ルルー
(ちびまるこちゃんの頃の)森迫永依
コミカルな演技がぴったり。

2013年06月17日

「ベルばら手帖 マンガの金字塔を大人読み!」(湯山玲子)を読んで

表紙にこれを持ってくるところが、流石わかっていらっしゃる!と思いました。
オスカルの余裕綽々の笑みとセリフ♪
「そう女 女というな うれしくなってしまうではないか 私をしょっぱなから女性扱いしてくれたのは、このフランス衛兵隊だけだ」

女の隊長なんてやってられるか!といきりたつ荒っぽい男たちを前にして、この泰然自若ぶり。シビレます♪

男尊女卑的思考なんて永久になくならない。男女平等をあきらめないことは大事だけれど、完全になくすのは無理。理不尽なパワハラやセクハラと闘わなくてはいけない局面はあっても、基本、このオスカル的態度で生きたいものです。
それを実現されている一人が、西本智実さん。クラシック界のオスカルとして著者と対談しています(なんかちょっと無茶な…ではありますが)。“世界レベルで活躍している女性指揮者はまだまだ少数派。かなりハードでは?”の問いかけに対するお答えは、まさに現代に生きるオスカル魂〜!ほれぼれ〜。一読あれ。

本の内容は、目新しいこといっぱいっていう類ではなく、ベルばらファンなら(←ベルばら展に足を運び、ベルばら関連サイトを相当数チェックしているような)、周知の事実多し(しょうがないか。分析だって多々出尽くしているもんね)。新しい発見はあまりないけれど、でも、そうそう!そうなのよ♪という熱い共感に浸れて、けっこう満足。ファン同士で盛り上がっているノリを楽しめました。巻頭にカラー絵もありますしね。

ベルばらといえば、実在の人物が多数出てきますが。
平民出身のファッションデザイナー、ローズ・ベルタンについての章が面白かったです。もっと深く知りたくなる。センスと実力でのしあがっただけでなく、最後まで王妃に心を寄せたという情の深さにじいん。いい人だったんですね。
それだけ、マリーアントワネットって魅力的な女性でもあったんだろうな。

1カ所間違いを発見。ヨーロッパのマンガフリークたちとの座談会にて、P184「池田理代子先生は、ボーイズならぬガールズラブを描いた『オルフェウスの窓』もありますよね」。
きっとこれは、「オルフェウスの窓」ではなく、「おにいさまへ…」。オル窓はあえていうならBL。そしてベルばらはGLって言えるかも?…うーん。オスカルを疑似男性として女性が慕うって形、BLでもGLでもないような。オスカルって男女を超越した存在だし。

「池田先生はBLに興味がなかったのだと思う」と語るよしながふみ氏に同感!
そうなんですよ、池田理代子氏は、「少年愛ぽいシーンが描きたかった」「ロベスピエールとサンジュストはアヤしい」等おっしゃっているものの、腐女子的要素が感じられない漫画家さん。腐女子(←いわゆるBL好きに代表される嗜好、思考)はもちろんのこと、暴走する思春期女子妄想というのも漂ってこない。
“萌え〜”な部分って、ある一線を越えると、ちょーっとついていけないとか気持ち悪いとか感じる作品もありがちだけど、それが池田理代子作品にはない。男性やカップルの描き方がどんなにロマンチックでも、どこか現実的。BL的シーンも百合さえも。地に足ついている感があって、そのあたりも広い層に受け入れられやすい要因かと思う。

著者と池田理代子氏の対談で、“誘う女”オスカルについても語られている。現代女性はオスカルの域に達していないと言う湯川氏に対し、「常に寝ちゃった責任は男に押し付けようということなんでしょう」と池田理代子氏。よくぞ言ってくれました。
少女マンガも少しお姉さん向けマンガも、不可抗力で身をまかせた的シチュエーションが未だに多いですものね。

どの章から読んでもOK。気の向くままどこをめくっても安心で、日々の癒しになる。占い的分析の章などはあまり興味持てなかったけれど、そういうページもまた読み返すときがあるかも。
ベルばら大事典などと共に、本棚に並べておこうと思います。






2013年05月25日

オル窓に惹かれる理由

*重大なネタバレあり

昨秋「オルフェウスの窓」を再読しオル窓熱再び!の毎日だったものの、半年たって一段落。しばらくは、ベルばらの方にはまっていたのですが。今再度オル窓を振り返り、少し冷静な気持ちで、なぜ私はこんなにオル窓が好きなんだろうと考えました。

オル窓文庫版の江國香織さんの解説を読んだり、コメントをくださった方に返事を書いたりする中で、ああそうかと改めて、そしてはっきりと感じたのは…
このお話の主人公は、ユリウス、クラウス(アレクセイ)、イザークの三人ではないってこと。

ユリウスとクラウス(アレクセイ)は、殺されて河に身を落とす、という最期を迎えます。ふたりの遺体はそのまま、誰の目にふれることもなかったでしょう。これは、奇しくも同じ最期になったというより、この物語の主題を象徴させていると感じます。

昔、地球について、興味深い話を聞いたことがあります。
温暖化がどんどん進んでも、地球は永久に気温上昇を続けたりはしない。温暖化が進めば、北極の氷が溶け、高緯度地方の暖流の水温が上昇。そうなれば、ヨーロッパ大陸はぐんと冷えてしまい、暑くなるどころか気温低下していく。地球そのものにサーモスタット装置があるから、そう簡単には地球は死なない。人類が滅びることはあっても。

長い地球の歴史の中で、人類の誕生と生存はごく一部。さらに宇宙の中では、人は本当にはかなくちっぽけな存在。
幼い頃、毎晩天の川が横たわる空を見上げて(田舎+街灯がなかった)、とても恐ろしく、けれど目をそらせない、不思議な気持ちになったことを思い出します。

樹村みのりさんのマンガ「見えない秋」で、小学4年生の女の子が、布団の中で涙します。同級生の男の子が亡くなったから悲しいのね、と母親が慰めますが、女の子は、本当のところをうまく説明することができません。
男の子が、陽だまりの上を裸足で飛び跳ねていたこと、ふと目があったら、ぼくの家の犬が死んじゃった、と涙をこぼしたこと。あのときの彼の思いは、いったいどこにいってしまったのだろうかと。
心臓の鼓動や息遣い、生きているってこんなにも確かなものなのに。自分の心が感じていることは、死んだらすっかりなくなってしまうのか。すべてあとかたもなく…?

子どもの頃の茫漠とした思い。そこにとらわれはじめると、その強力な磁場から逃れられなくなりそうで。大人は気付いていないの?平気な顔で暮らしているのが不思議だった。
やがてどんな子どもも、現実社会の雑多な日常、具体的に対処しなければならない悩みにまみれて、生きていく。気が付いたらすっかり、大人の年齢になっている。

でも、子どもの頃のあの思いは、心の奥に深く横たわったまま。

ユリウスとクラウス(アレクセイ)は、河の中へ泡沫となって消えていく(…うちあげられた惨たらしい死体、がイメージできない、どうしても)。河はすべてをのみこみゆったりと海へ注ぐ。それは永久に続く生命の営み。
水の流れはときの流れ。過去から未来へと果てしなく続き、その中で、愛も繰り返される。
再び大地に雨が降り注ぐのと同じように、滞ることなく繰り返されていく愛の物語。

「オルフェウスの窓」は、恋愛を成就させられない男女も多数出てくる。つらい思いを抱えながら、愛を求めることをやめられない。どうして人は、こんな苦しい性(さが)を背負わされたのだろうかと思う。どんな喜びも悲しみも、いつかは終わる。一人の人間の限りある“生”の中では。けれど、それは、同時に永遠に続く“生”でもある。

作者が、主役たちを死なせることに躊躇がないように感じるのは、あくまでキャラは壮大なテーマを語る手段に過ぎないからでしょう。その距離感覚が、作品の大きな魅力にもなっているのだと思います。



2013年04月29日

40年ぶりベルばら新作

マーガレット売り切れの書店もあったそう。
今は月2回発刊のようですが、
40年前週刊だったころに
連載していたのが「ベルサイユのばら」。

マーガレット創刊50周年を記念して、
ふろくのマンガ本に、
ベルばら新作16ページが掲載されました。
で、リアルなマーガレット読者の、
母親世代も大勢買いに走った模様。

アンドレの子ども時代!と聞き、
おおっもしかして、ちびオスカルも出るのか?
ちびオスカルのドレス姿(連載時の扉絵で一度登場)の
いわれがわかったりして‥!?
と、ほのぼの話をファンは期待していたかも。
私はそうでした‥でも、作者の好みからいって
それはないんだろうなあ、とも諦めつつ。

えっと、大人オスカル・アンドレが出てくるのは、
うれしい裏切り。
オスカル愛されてるのねって感じます。

かわいそうな切ない新キャラが出てきます。
アンドレ主役?かなあ‥? 新キャラに感情移入するかと。
作者は、ほんとに哀しみを描くのが好きなんですね。

ほのぼの話は、2次創作で満たすのがよいようです。
(追いかけ続けるのは不可能なほど
膨大に‥ネット上だけでも‥ありますから)

マーガレットを購入して、ほかの作品も読み、
今の少女マンガってこんな感じなんだ!
…って、お勉強にもなりました。

ベルばらの次は、
エースをねらえ!の新作が掲載されたりして。



2013年04月27日

「オルフェウスの窓」文庫新装版

先月より待ちわびていたオル窓文庫新装版。

じっくり読みなおして…はいません。今どっぷりはまるのは時間的によろしくないので。
でも、ぱらぱら…とめくっただけで、うわーっとあの濃厚な世界が立ちのぼってくる〜。

うちにあるベルばら文庫版は付箋だらけで、遊びに来た友人が「付箋の意味ない〜」と笑っておりましたが。読み返すたびにいいシーンや言葉があって付箋が増えてしまって。そのベルばらの倍の長さがありますからね、オル窓は。今オル窓世界に浸ってしまったら現実世界に戻ってこれない→社会人としてどうよ状態になりそうで。全巻読破は自制中。

今回の新装版の帯は‥指揮者西本智実さん!ユリウスではなくオスカル的とは思いますが、ぴったりの人選ですね。「自己の闘いが総ての出発であり、それこそが革命の本質」…すてきです。
そして、文庫版ならではの魅力といえは、各巻ごとの著名人による解説。

大島渚氏の、自身の人生と重ねての革命話がおもしろかった。レッドパージなんて、社会科の教科書のイメージしかなかったですよ。でも、彼の若かりし頃は、もっと身近なことだったんですね。「それぞれの心の中にそれぞれの革命が生きている」。革命という言葉もその意識も、若者の心を深く捉えていた時代。
池田理代子氏が学生運動に関わっていたことはよく知られていますが、彼女が極端な左翼思想の持ち主だったわけではないでしょう。大島渚氏の解説を読みながら、池田理代子作品…ベルばらのフランス革命、オル窓のロシア革命…に漂う“革命に対する甘美な響き”は、ある年代のインテリに共通する体験や思想が根底にあるんだろうなあと、改めて感じました。

読者の心情にもっとも近いと思われるのは、江國香織さん。オル窓の主人公は街と時である…という部分に何度もうなずいてしまう〜。街と時の懐に抱かれ生を燃焼し尽くす…そうそうそうそうなんですよ! オル窓ファンの想いを代弁してくれていて、この解説を読むだけでも、きっと長年のファンはうるうるします。

ベルばらとオル窓では、その長さもさることながら‥。悲劇性はオル窓の方がずっと強いので、浸って読むと、やはり3部4部の最期の方がつらくてつらくて。
人生は一瞬。なのにどうしてこんなに悩まなくてはいけないのかと、10代のユリウスは苛立っていましたが。その答えは最後の最後まで、どこまでいってもわからない。誰にもわからない。

あの天地の裂けるばかりの愛はどこへ‥!

オル窓のテーマといえば、この言葉がやはり強く浮かびます。ジャンピングハグシーンとともにね。




2013年04月16日

若者がオル窓読んだら…?

書店に予約中の
「オルフェウスの窓」文庫新装版は
まだ読めない‥昨日問屋に入っているそうで、
今週か遅くとも来週には届くようなんだけど。
先月26日発売!にしては…?

愛蔵版は、新品が入手できなかった3巻のみ、
人生初のネットオークションで購入。
落札価格50円!状態よく帯までついて満足でした。

愛蔵版全4巻を友人に貸したところ、
楽しんでくれている様子。
布教のかいがあるというもの。
昔ところどころ読んでいたそうで、
覚えているシーンもあるそうな。

しかし、このオル窓。
うーんと若い子たちが読んだらどう思うんだろう?
その点については、ベルばらよりも興味深い。

フランス革命は、
年代問わずほとんどの人にとって
遠い国の遠い時代のお話だけど。
オル窓で描かれる、ロシア革命はちょっと違う。

ソ連が存在し、
東西冷戦に脅威を感じつつも
共産主義思想には
少なからずロマンも漂っていた時代。
それを知らない世代にとって、
この物語はどう映るのだろう。

フランス革命と同じくらい、
むしろそれ以上に、
遠い国の遠い時代のお話なのかもしれない。


2013年03月29日

愛蔵版「オルフェウスの窓」第1巻を読んで

20代でハマった「オルフェウスの窓」。一気読みしたのは、中央公論新社の愛蔵版全4巻です。読み返したいのに見つからず残念…(家族が古本屋に売ったかも)。
とりあえず今週、集英社から文庫新装版が出たのでそれは既に予約済。しかしやっぱり、大好きな1部は、文庫じゃなく愛蔵版の大きな判でも読みたい。で、愛蔵版第1巻のみ購入しました。

オル窓…昨秋友人に初版本を借りて以来、久しぶりにしっかり読破。
が!ショックなことに1巻=1部ではなかった。1巻は1部の途中まで。なので、現在、2巻取り寄せ中。ついでに4巻も。3巻は出版社在庫がないので状態のよい中古を探しています。やっぱり愛蔵版は確保しておいた方が後悔なさそうなので。

愛蔵版第1巻を読み返し改めて思うのは…すばらしい…!!! 言葉に尽くせない。少女マンガのある到達点、様式美といっていい完成型。エポック的作品です。
オル窓を知らない、若いマンガ好き読者もぜひ読んでもらいたい! 所蔵している図書館もあるし何しろ新装版は発売されたばかり。この名作を入手して損はない。
ベルばらと違って、ぜひネタバレブログは読まずに一読を。というのも、特に、第1部は、ミステリー・サスペンス色が強いので、あらすじ知ってから読むのはもったいない。

長いお話って読み終わる頃には、最後の方の印象が強くなる。なので、ユリウスも、第3部の庇護される弱い女子キャラ全開イメージが印象に残りがち。でも最初の方では…ああ、ユリウスって魅力的!かっこいい〜♪すっごくいい♪黒いところも含めて。そう、無邪気に見えて、妖気を放っているキャラでもあったのですよ。

けんかっぱやく短気で正義感強く、って部分は、オスカルに通じるものもあって痛快。モーリッツとの殴り合いとか(現実には10代半ばの男女のグーパンチけんかは無理あると思うけどね。ベルばらアニメ版のオスカルアンドレもしてたなあ)、いけすかないお金持ち夫人をやりこめたりとか、もうすかっとする場面いっぱい♪
でも、オスカルより事情が複雑な分、策略家にならざるをえない部分もあって、深い深い苦悩も抱えていく。そのあたりの暗さもよいのですよ。大きな罪を犯したときの、黙示録の引用とか…ここから、大きな闇がのしかかってくることも暗示されていて。

命を狙われながら秘密を探ろうと動くのもいいし。う〜ん、この、すばしっこい頭脳と行動力があれば、3部だってもっと活躍できたよねえ。3部では、記憶喪失とはいえ、なんであんなに危機に対して魯鈍なのかという…。ああ、そこっ!陰謀に気が付けよって歯がゆい場面もあったりして。

1部のユリウスのキャラは、3部では生かされないんだなあ…物語的に難しかったんだろうけど…でも、1部のかっこいいユリウスキャラで3部っていうのも見たかった。ドイツとロシアでは、ユリウスの立場も生活風土もがらりと変わったわけだから、仕方ないかと思いつつ…そうやって納得させている。

多くの要素を含み様々な事柄や人物が絡み合い、そして疑問は数限りなくある。でも、矛盾点が無数にあるにも関わらず、壮大なスケールと勢いで読ませてしまう。

ベルばらは一度も連載を休むことなく短期間で一気に描き上げたけれど、オル窓は7年かかかっているし掲載誌も変わったし。途中何度も息切れしかけながら(たぶん)の作品。作者自身が、創作の産みの苦しみを最も味わったと語っておられる。そしてこれが、自身にとって最後の少女マンガ作品だとも。燃え尽きてしまわれたんですね。

どんなに矛盾があっても、オル窓は、特に第1部は…ひれ伏したいほどすごい。池田理代子氏のストーリーテラーぶりを堪能できる。絵とセリフとコマ割りもすてき…昔のヨーロッパが舞台だからこそ成り立つロマンの世界。たっぷり浸れて、は〜っ。この作品を世に出してくださり感謝します。

もうすぐ、愛蔵版の2巻と4巻、文庫新装版を入手できるけれど…。オル窓祭りは、小出しにやっていかないと廃人になる。レーゲンスブルクも行きたいな。


以下…激しくネタバレです。未読の方は読まないでくださいませ。
愛蔵版第1巻について四方山話。



ほんとグダグダネタバレですよ。



はーっ♪なんといってもあの!ジャンピングハ〜〜グ!!ですよ。
じっくり見ましたよ。映画の1シーンのような美しさ。ただただ浸ってしまう。
続いてミモザの館で、クラウスに自分が女だとバレていたことを知り、驚くユリウス!…いいなあ。

クラウスやっぱりステキだ〜。17歳(くらいだったよね)には見えないけど。大人っぽい〜。でも昔のマンガは、エースをねらえ!の藤堂さんとか大人な10代男子も多かったから。
クラウス(←アレクセイよりも)は、池田理代子作品の中で、もっともすてきな男性キャラ(全作品を読んだわけじゃないけど)。やんちゃでバイオリンの名手でみんなの人気者。ちょっと不良で明るくて頼りがいがあって。理想的。
みんな恋する。実際ロシアでは女にモテモテ。モーリッツもクラウス大好きだから、ユリウスを目の敵にしてて。ほかにもクラウスファンいっぱいいたに違いないね。
一方ユリウスだって美貌で全校の注目の的。すぐ感情的になるのも魅力的。クラウスユリウスは、みんなの憧れ同士のカップルで、これには太刀打ちできないって、イザークじゃなくても思っちゃう。二人とも目が離せないモテキャラ。

殺人を二人も犯すユリウス。ヤーン先生は事故というか仕方ないって感じするけど(ここの暗いシーンすっごくいい。もう後戻りできない人生の分かれ道!)。
アネロッテを…第1巻ではまだこのシーンは出てこないけど…アネロッテを毒殺したときは、ユリウスの心にゲルトルートのことがよぎったはず。ヤーン先生と違って、冷静な意志でもって殺害した。亡くなったゲルトルートを抱きしめ復讐も誓っていたしね。
よかったねゲルトルート…あなたの存在を、ユリウスは気に留めていたきっと。
ゲルトルートが自分に恋していると気づいたとき、それを好都合に利用しようと思っていたユリウス。実際にはそれほど卑劣なことはしなかったけど、そのことへの悔恨はきっとあったと思う。恋する気持ちの辛さを知ったユリウスだから。お話の最初の頃のユリウスって、長年の片思いに悩むマリア・バルバラを揶揄したりしてちょっと嫌な感じするものね…それはまあ、マリア・バルバラも、ユリウスに、殺してやる!なんて言っているし、そっちがその気ならこっちもって感じだろうけれども。

ユリウス母は悪い人だほんとに。
ユリウス、女の子に戻りたかったのにずっと。なんでそのことをおかあさんは察しないのか。おかあさん=レナーテ、そもそもなんで愛人に? アーレンスマイヤ家当主に対しては憎しみだけか愛があったのか。なんだか、根本的なところがとっても揺らいでいる。うーん、お金にすんごく苦労してきた人で、お金に執着する気持ちも強かったのかな。
ユリウスは、おかあさんのために生きるって以外に人生の目標みたいなのもなく。アーレンスマイヤ家に愛着ももちろんないし。ピアノは慰めになってはいても全霊をかけて打ち込めてもいないし。おかあさんへの愛とクラウスへの愛。このふたつだけが、生きている実感を与えてくれるものだったのね。病床の父親が亡くなったとき、“それでもたった一人の父とよべる人だった”と涙を流すシーンに、ユリウスの繊細さを感じる。手をかけようとしたほど憎んでいたのに…。安心して頼れる家族というものを、ユリウスは知らない。

弱い母親を自分が守らねばという責任感、でもそれはひたすら自分の弱さを隠してのこと。ゆえに、それが妖しく危なっかしさの魅力にもなっていて。
警官が発砲した弾が腕をかすみ、けがをしてイザークの家にたどり着くまでのユリウス。クラウス助けて!と心の中で叫ぶ。このときの気持ちが、ロシアにまでクラウスを追いかけようと決意するきっかけになったんじゃないかなあ。それを思いとどまらせていた母親の存在という枷も、のちになくなるしね。

とにかく1巻というか1部は、躍動感あふれるユリウスがとってもよいのです。
そして、もろ女の子な気持ちやシーンがちょこちょこ出てくるのも。
自分が着るクリームヒルトの衣装を見て、宝石飾ったらすてきじゃないかなとつぶやき、イザークに、女の子みたいだねって驚かれるシーン。かわいい〜♪

窓の出会いがあったのに、ユリウスの心をつかめないイザーク。
ユリウスはイザークに対して友情以外にない。辛いよね、でも、まだ、救いがある。イザークの存在は、ユリウスにとって友人として大事なものだから。ユリウスの人生に関わっている。
一方、イザークに片思いのカタリーナは本当に痛々しい‥。イザークにとっては、無関心でしかない相手。どうでもよい。妹にどんな人かと聞かれて、美人かといわれればそうかなあ、って…こりゃだめだって感じ。
フリデリーケも片思いだけど、なんといっても、妹という特別な地位が確保されている。愛する兄者の演奏に見送られて幸せだったでしょう。(このシーンも1巻にはまだない)

わかりやすい悪役のモーリッツもいいキャラ。
彼がいるからお話がするすると気持ちよく進んでいく。ユリウスとの対決シーン大好き!楽しい! モーリッツ、2部じゃ別人です、つきものが取れたように。

ユリウスが女の子ってバレる前から、ダーヴィドはもちろん、イザークもクラウスもユリウス好きだよねえ。クラウスなんて、泣くユリウスを抱きしめたり、髪切った頭をクシュクシュってしたり、演奏前の震える手を握ってあげたり。スキンシップ好きなのは、ロシア人の習慣なのか??
女の子ってわかってからは、3人ともさらに気持ちが燃え上がっていくようですが。つまり3人とも…!?

オル窓話は尽きない。この春はたぶんオル窓祭り。ちょっとベルばらは休憩です。

*友人が、ユリウス、男子校のトイレどうしたんだろう〜?と…。確かにね。そういう都合の悪いところは目をつぶるのだ。

2013年03月08日

ベルばらを読んでI(ロザリーとジャンヌ)

私はオスカル大好きですが恋心は皆無なので、“ロザリーっておいしい”という意見は今まであまりわからなかったけれども…。
オスカルのキャラに、オル窓のクラウスあたりを妄想注入し乙女萌え心を湧き立たせて読んでみると…ロザリーのお得感!よーくわかります。
だってねえ、オスカルの身内的立場になっちゃうわけですから。恋人よりずっといい。生涯その愛情は変わらない。なんていいポジション。

恋人ならうざっ…てひいちゃう甘えも、オスカルは受け入れる。“私の文法見てくださるお約束だったのに!いつも王妃様王妃様って!”と、王妃に嫉妬するロザリー。オスカルは王妃を護衛するのがお仕事ですよ、わがまま過ぎますよ……。急遽王妃の元にはせ参じようとするオスカルに、私も連れてって!とねだるロザリー。それを許すオスカルって、ほんとロザリーにはアマアマです。
ロザリーと好きな人=オスカルとの関係は女子の憧れですよ。氷のようにクールキャラの人気者が自分にだけやさしい。私だけは特別♪という。数多の嫉妬をかうのだって楽しい…って、ロザリーは聖女なので、そういう曲がった根性はありませんが。
これが女から好きな男への態度だったら、読者はムカムカするに違いないのに。やはりオスカルが女だから、というか性別を超えたキャラだから、嫌悪感が中和される。

オスカルはロザリーにどんな感情だったのかなあ。ロザリーの恋心の切実さにはかなり鈍感だけど‥。
末っ子お嬢なのに長男的役割を担わされて生きてきたから、思う存分かわいがることができる妹的存在に和んだのね。自分を無条件に慕ってくる幼き人ってキューンとするものね。二人とも真に清い心の持ち主で、その部分で強く惹かれるものがあったのだろうなと思う。芯が強く行動的なところもね。

でも、でも、部外者(っていうか読者ですけど)からすれば、ロザリーって、うーんなんとなく鼻白む存在でもある…私の性格が悪いからですが。打算や作為なく世の中うまくわたっていてずるいなあっていう。自分の黒い気持ちがふつふつ…。ジャンヌと同じように、ロザリーが妹だったらうっとうしく感じてしまいそう。
ジャンヌが家を出たのは、野心だけじゃなく、いい子の妹ロザリーと暮らす苦痛が大きかったんじゃないかとも思う。ロザリーがもっと悪い子だったら、悪巧みを相談しあえる仲良し姉妹でいられたかもね。
非の打ちどころがなくみんなに愛される妹――姉として立場ないというか。出来の悪い妹の方が、まったく!と腹立てながらも、姉妹関係を続けやすいと思う。

手を血に染め、悪事の限りを尽くし、ようやくベルサイユにもぐりこんだジャンヌ。なのになのに、あのロザリーは、なんの苦労もなく、自分より高い服着てオスカルにエスコートされている…憎悪沸騰でしょう。

ジャンヌって手段は卑劣だけど、社会の不平等に対し真っ向から闘っていて痛快。泣き寝入りしない。呑気な貴族たちの鼻をあかしてやれって、応援もしたくなる。最後の最後までへこたれない。

不思議なのは、逃亡中、ロザリーに、自分の居場所を教えてしまう手紙を出すこと。なぜ、そんな危ないものをわざわざ出す必要が…? あれほど悪知恵働くジャンヌなのに、手紙がオスカルの目にふれる恐れを持たなかったの? 危険を冒しても、ロザリーには自分はうまくやっているってこと誇示したかったのかなあ。いやいや少女マンガ的には、ロザリーへの愛情や信頼が残っていて、つながりを断ちたくなかったからか。
う――ん……まだまた私、読みかたが浅いです。

2013年02月24日

ベルばら二次創作本を求めて

先月、生まれて初めて「まんだらけ」に行きました。二次創作本がたくさん売られているお店。目当ては、もちろんベルばら二次創作本。

よしながふみ氏が、学生時代にベルばら二次創作本を書いていたと知り、「読んでみたいなあ」って話を友人のAちゃんにしたのがきっかけ。
彼女いわく「きっと高いね。でも出回っていることもあるかも」。で、「まんだらけ」の存在を教えていただき、一緒に行くことになった次第。
地下二階にある「まんだらけ渋谷店」は、ちょっとドキドキ。レジの方もコスプレしていたりして…。コミケ的匂いが充満。
コミケは、一度だけ終了間際に行ったことがある。友人が出展していたので…。でも、コミケは終了時間より随分早くに店じまいするところが多いのね。いかにビッグイベントかってことだけはよくわかった。

「まんだらけ渋谷店」には、私が知らないアニメや漫画の二次創作本がずらり。でも、ふるーい昔からの漫画関連本も一通りありましたよ。結局、ベルばら二次創作本は2冊購入。そのうち砧奈々さんの「Moomglow」が、とってもよかったです。このお値段は2600円強…。プロの方なのかな?…今、検索してみました。プロの漫画家さんのよう…。私が購入したのは2004年夏冬に2回に分けて出したものを合体させた再販本で、作者のベルばら本7冊目だそうです。

「Moonglow」は絵が細部にわたりきれいで癒される(以下ネタバレ注意)。数ページ目のフェルゼン登場部分でおおっフェルゼン愛!「(作者は)フェルゼン好きなんだな〜」って感じましたよ。フェルゼン別人…原作では今いち存在感薄いですもんね。アンドレやオスカルやマリーアントワネットもかわいく、この4人の恋模様が楽しい。原作の流れを逸脱せず、ほのぼのギャグ満載で明るくせつない。最後、ツンデレでしめているエピソードも好みです。エロなしで小学生が読んでも安心。

まんだらけ探訪のあと、Aちゃんとベルばら話を満喫。楽しかったあ〜。Aちゃんはコミケ同人誌制作を請け負う印刷会社で働いていたので、二次創作本事情に詳しい。ずいぶん年下ですが(親子?)、ベルばらストーリーも一通り知っていて、思う存分語れました。なかなかね、こんな風にベルばら話をできる相手は少ないのです。

購入した本をネットで調べたら、5千円越えの取引も…二次創作本ですごく稼ぐ人がいるというのも納得。ほんとにすごいマーケットがあるんだなあ…。
二次創作本といえば、著作権問題が取りざたされていますが。今の日本では、原作者が訴えない限りは、罰せられないとか。池田理代子氏は二次創作に関して寛大と、評しておられる方が多いようですね。

二次創作本は興味深いですが、しかし、本格的に収集し始めたらお財布がどんどん厳しい状況に…!! 年2回のコミケでは、この日に数万(たぶん10万以上の人も多数)使う覚悟で来場する人が、全国から集まってくる。そのために仕事をするって人もかなりいそう。
出展者の中には、二次創作をきっかけにプロになる人も少なからずいるようで。日本の二次創作の世界って、相当にレベルが高いんだろうな。

コミケとかアニオタとか腐女子とかBLとかに対し、どういうスタンスかって、大きく3タイプいる。
1すごくはまっている。
2こういう世界もあるよねと、時々近づいてみる程度。
3揺るぎないヘイトの気持ち。
…で、1、2と、3の間には、かなり深い溝があって、混じりあうことは難しい。拒絶反応がある人って世間には結構多い。
今後も、二次創作熱は加速していき、作品レベルもどんどん高くなっていくだろう。好きな作品のサイドストーリーって際限なく読みたい。やはりお話は、キャラの魅力が大きいということ、再認識させられる。コミケやネットの普及で、妄想と創造の情熱が世間に向けて一気に噴き出していて、それが深い宇宙を形成している感じ。

二次創作書かないの?と聞かれるけれど(書いている方から←ベルばらではない)、自分には無理だなあと感じる。物語を書くなら、オリジナルのキャラと世界で書きたい。二次創作の意欲はまったくわかない。
思うに…、たぶんはまり度不足。自分ではすごくはまっているつもりでも、全然足りないんだと思う。作品没入の度合い=作品愛のレベルが違う気がする。もしくは、本当に職人のように、あらゆる物語を紡ぎだせる才能。二次創作を読むのは楽しいけれど…書くのはどこかで飽きてしまう気がするのだ。

今のところは、ときどき二次創作を読む程度で満足している。お財布事情をかんがみつつ廃人にならない程度に…ん?(どこかで決壊するのを恐れる気持ちもあるかも…)。

2013年01月31日

ベルばらファンタジー

大嘘をつくためには、細部が隙なく創り上げられていなければならない…という、ファンタジーの基本構造を知ったのは、いつどこでだったか。
ベルばらって、まさにこのツボをきちんと押さえている。だから、ありえない世界に浸れる。大嘘とはもちろん、軍人女性オスカルの存在。

「ベルサイユのばら」の実写版映画は観ていないが、封切当時TVCMで、白人女優が演じるオスカルを眼にし…非常に恥ずかしかったです。女っぽくて、えーっどうしてこうなるの?と。
オスカルのイメージって…日本の女優さんだと、水野美紀さんとか…確かアクションもできる女優さん、性格的にもオスカルっぽいような…でも、見た目はやはり女性。ほかには、指揮者の西本智実さんが近いイメージだけど、うーん。
私の中では、友人妹のYちゃんが、NO1オスカルキャラ。男並みの体力と運動神経、凛々しい気性、家業の現場仕事を作業服でかっこよくこなす。
しかし、やっぱり、どんなに背が高くすらりとした体形でも、男性に見えるかというと…Yちゃんをもってしても、やはり難しいかもしれない。
どんなボーイッシュな女性でも、軍服姿が男に見えるってありえないことなんだろうな。

ベルばらは、その設定を無理なく信じ込ませているのがすごいです。

ベルばらファンタジーを支えているもの。
それは、男性の素晴らしさが描かれていることだと思う。「残虐で理不尽な暴力性」は、まったく表出させていない。
凛々しく勇気があり、ときにはやせ我慢をしてでも美学を貫き、弱きものを護る紳士な態度。女性の目から見た、好ましい男性像がちりばめられていて、そうした「女性が憧れる男性の美点」をすべて備えたお嬢様軍人が、オスカルなのですね。

衛兵隊長になってからのオスカルは、反抗的な部下に苦労の連続。そしてついに、部下たちに拉致されて椅子に縛りつけられ、「自分が女だということを体で思い知らせてやる」なんて脅される。これって、リアルに考えたら洒落にならない恐ろしさです。でも、少女マンガの世界のお約束で、首謀者のアランは実はいい人だってわかっているし、アンドレの救出も間に合うだろうしと、安心して読めてしまう。こんな貞操の危機場面でも淫靡さは皆無。年下の男なんぞ趣味ではない!と、つばはくオスカルが好ましい。
が、これが、劇画タッチの絵だったり、実写だったりしたら、相当生々しくて見るに堪えないシーン。

池田理代子氏がベルばらの12年後に描いた「栄光のナポレオンエロイカ」。少女マンガではないこの世界では、戦闘の過酷さが詳しく描かれている。まさに命がけの行軍。女性が軍人として、しかも、隊長として闘うなんて現実にはありえない、と思わされる。占領地においては、神経高ぶる兵士たちによって奪略や凌辱が行われがちだったことが、におわされてもいて…。
ナポレオンの部下となったアランが、ときおり、亡きオスカルの面影に話しかける。そのときのオスカルの姿は、ぼんやりとはかない。遠い遠い世界の人のよう。たぶんこれが限界。
世界観が変わってしまっているから、ベルばら世界のオスカル像を、ここに引きこむのは無理なのだ。

オスカルは、ベルばらのお話の中だけで、生きられるキャラなのです。

池田理代子氏が、自分にとっての最後の少女マンガと述べている「オルフェウスの窓」。わき役のロベルタとガリーナが、貧困から娼婦になっていく過程にぞっ。彼女たちの慟哭が伝わってくるようで、胸が痛くなる。こういうことが無数にあった女性の歴史を考えて辛くなる。

ベルばらにも娼婦は出てくるけれど、その暗部には触れられない。
作者は社会と人間の複雑性を理解しつつも、少女マンガのきらめく世界に、うまく物語を落としこんでいった。ベルばらでは、女性を窮屈にさせる「エロス」を一切感じさせない。

オスカルは、近衛隊という王宮のボディガードのような立場だったから、華麗に軍人職をこなすことができ、衛兵隊長になってからも周囲の援護や理解者に支えられている。いわゆる本格的戦闘は、女伯爵の身分を捨てた、死の直前二日間だけ。ここで亡くなったことで、美しいオスカル伝説が完成した。
(いくら少女マンガの世界でも、その後の混沌とした社会の中で、家を捨てたオスカルが生きぬくのは…よほどのご都合主義をよしとしなければ話をつむぐのは難しそう)

私たちは、ベルばらを繰り返し読み、何度でも、この一大叙事詩の世界に浸る。壮大なつくりごと、とわかっているのに、読んでいる間は“ありえるもの”として捉えている。

そしてまた、不思議なことに読後も、現実にありえる世界と捉えている自分に気付くのですよ。

同じ職場で働くなら、美しい人ならよけい嬉しいけれど、一緒に働きやすいことが何より大事だよな〜って思ったり。
筋金入り男尊女卑思考の年配男性が、ある女性の仕事ぷりに感心して、「私はもうあの人に惚れたよ!」と、嬉々として応援していたりする。性差や偏見を超えて、有能さや人柄に惚れ込むって、きっとよくあること。
美しい女軍人というだけではないオスカルの魅力。世の中納得いかないことは多々あるけれど、少なくとも女は不利と憤るより、有無を言わせない能力や人徳で周囲を認めさせる方が清々しい。オスカルのように。

ファンタジーなんだけれど、ファンタジーを超えているベルばら。
優れたファンタジーとはこういうものなんだって、教えてくれます。

2013年01月23日

ベルばらを読んでH(保身と無縁のオスカル)

先日、ベルばらをじっくり読み返し始めたものの、途中で、オスカルの純真さに胸打たれ読み進められなくなってしまい…。
その理由を考えてみた。つまり。

オスカルは「保身のために卑怯なふるまいをする」ということが、生涯通じて一切ない人なのです。
オスカルは、オスカルパパ・ジャルジェ将軍にこう言う。
「たとえなにがおころうとも 父上は わたくしを卑怯者にはお育てにならなかったと お信じくださってよろしゅうございます」
そしてジャルジェ将軍は、死を覚悟して出陣したオスカルに対し、心の中でこう呼びかけるのだ。
「いくがいい おまえの選んだ道を その情熱の命じるままに…」
この時点で、ジャルジェ将軍は、オスカルの選ぶ道が自分とは真逆であることを悟りつつも、その生きる姿勢をしっかり認めている。

ジャルジェ将軍は実在の人物がモデル。投獄されたマリー・アントワネットを救おうと、身の危険を顧みず奔走した。
市民側に味方し戦死するオスカルと、王家への忠誠を護り続けるジャルジェ将軍。
この父だからこそ、オスカルもまた、自らの正義を信じて行動することに迷いはなかった。悩みはしても、"自らの信念に従う"生き方に、迷いはなかったと思う。家族のことを考えると躊躇はあっただろうが、卑怯な生き方などまったく心をよぎらなかったに違いない。

ベルばらをリアルタイムの連載で読んでいた世代は50代、妹世代で40代。
ネット上には多くのベルばらサイトがあり、今もこの世代の多くが、ベルばらへの熱い思いを語り二次創作も多数発表している。どれも深いベルばら愛でいっぱい。オスカルは、私たちが忘れたくない純な気持ちの象徴に思える。

すっかり大人の年齢になった私たちは、もう身に染みてわかっている。
生きることに「保身」はつきもの。ときに「保身」も仕方ないことと、自分に言い訳して生きている。

けれど、たとえば真実を隠ぺいしているであろう人々をテレビ報道で見たりすると、ああこれは自分の姿かもしれないと、心がざわついてしまう。その醜さをつきつけられる。
「保身のための卑怯なふるまい」は恥、という声に、完全に耳をふさぐことはできない。

少女の時代はとっくに過ぎても、いくつになっても、汚したくないものが心にある。それをなくしてしまったら、生きる意味はないかもしれない。オスカルは、そのことを思い出させてくれる。

オスカルは、恋愛においても卑怯な部分がまったくない。フェルゼンやアンドレに対しての計算のなさといったら〜!少女マンガならではのフィクション、なんだけれど。

フィクションだからこそよけいに、
強烈な純度で、際立って、訴えかけてくるものがある。
現実にはありえない人物なのに、
オスカルに対し、どこか自己投影している自分がいる。

ベルばらの、オスカルの魅力って、魔力に近いとつくづく思う。

2013年01月18日

ベルばらじっくり読み返したら‥

じっくりベルばら読み返し始めたら‥
文庫本全5巻のうち、1巻の途中、
オスカルが父親から殴られるシーンで
読み進められなくなっちゃったよ。

子どもを後ろから撃ち殺したド・ゲメネ公爵に
ベルサイユ宮殿内で喧嘩を売ったオスカル。
すわ決闘か!?となったところを
王妃は、オスカルに謹慎処分命令。
その謹慎の最中にオスカルは、
自分の家の領地へ視察に行き、
社会的矛盾に悩む気持ちを深める。
そして、
家に戻ったら、父親から思い切りぶんなぐられるのだ。
「王妃の慈悲を無視して、謹慎中に出かけるとは何事か」と。

なんかね。
なんてオスカルって優等生なんだと思って。
父親のせいで、
女だてらに軍人になったこと自体は、
本人に適性があったようで
仕事に誇りを持ってやっているから、
文句はまったくなかっただろうけれども。

なんて純粋なんだろうか、と思ったら
涙が出そうになってしまってね‥。
正義感と素直さのかたまり。
確か、このとき20歳くらい?
ようやく、
父親を鏡にするだけでなく、
自分の人生は自分が責任を持つ
ということに意志的になってきて。
父親に殴られた後、
口ごたえ‥というか、
"王妃のためを思うからこその視察だ"と、
自分の考えを堂々と語るオスカル。

私の甥っ子が、
もうすぐ14歳だからかも。
昔なら元服って年にぴったりだよなあ、
変わっていく頃だよなあとしみじみ感じるから。
与えられた環境をそのまま受け取り
まっすぐに生きていた時代から、
次のステップへと移っていく時期。
たいてい、そこでまあ、
わかりやすく反抗期があったりするのが普通で、
ある種のずるさや諦観も身につけていったりする。

でも
オスカルの場合は、そうじゃないんだよね。
ずっと清らかな心で、年を重ねていくんだよ。
33歳で、戦闘で亡くなるまで。

すべてに対して誠実で。
この上なく高潔な精神で。

どうも、
今はかなりセンシティブになってしまっているようだ‥。

70年代、80年代の少女を夢中にさせた
少女マンガ史上最強キャラ。
何があれほど読者をとりこにさせ、
今も色あせない人物なのか‥想いが尽きません。

2013年01月15日

ベルばらの作者についてA

「名作を書いた女たち」(池田理代子著・講談社)を読んで

久々に、ベルばら作者自身が書いた本を読みました。
樋口一葉、アガサ・クリスティ、フランソワーズ・サガンなど、よく知られた女性作家13人についてのうんちくエッセイ本です。興味深いエピソード満載で、一般教養本としても気軽に読めます。

池田理代子氏ならではの視点が最も色濃いのは、ピーター・ラビットの作者、ビアトリクス・ポターの章。
ピーターラビットのお話がヒットし二十三冊の絵本を出版したものの、その後ぴたっと書かなくなるポター。47歳で結婚してからは農場経営者かつ弁護士夫人として生き、ピーターラビットの作者として近づいてくる者たちを疎んじたという。
その心情に、池田理代子氏は強く共感している。あまりに有名になった作品に対しては、奇妙に愛憎が半ばした複雑な感情がある、一世を風靡したものでなければわからない――と。
そう、たいていの人はそんな経験をすることなく人生が終わる。
池田理代子氏も、ベルばら以前には、まさか自分がこれほど有名人になるとは考えてなかったはずで…。自分という人間が虚実取り混ぜて人々から語られる不思議と戸惑い。私たちには漠然としか想像できない。表現者としては、贅沢な悩みでもあるだろうけれど。

作家としての感性は、ある日急速にしぼんでしまうのが常らしい。表現能力が最高に研ぎ澄まされたときだけの、もう二度と書けない傑作。

「名作を書いた女たち」の出版は1995年。
昨年はベルばら誕生40周年で、池田理代子氏の記事や映像をいくつか目にした。ベルばらに対する深い愛情を優しいまなざしで語っておられて、今は、この著書を執筆しているときとはまた違う心境なんだろうなあ、と思えた。
幸せな結婚をされ(たぶんそうですよね)、声楽家の夢も叶えられて。オスカルじゃないけど、なんか完璧な人生!完璧というのは後悔を残さない、という意味で。ベルばらの栄光に負けない充実した人生を、邁進されている。
社会に対する問題意識を常に持ち続けながらも、生き生きのびのび、自らが心地よいと感じる女性の生き方を真っ当しておられるような。あくまで私のイメージですが。

池田理代子氏の本は、どれも読みやすく知識もいろいろ得られて、お得な気持ちになります。

エッセイだったかインタビュー記事だったかは忘れたけれど、印象に残っている言葉は、「夢にはしめきりがある」。池田理代子氏の時間の密度が、とてつもなく濃いことだけは、間違いなさそう。
出る杭でもとことん出たら打たれない、オリジナリティにはかなわない。真似はできなくても、こういう女性が同時代に生きておられるだけで、力づけられます。

追記
幸せな結婚をされ、と書きましたが、3度目の離婚をされたというインタビュー記事を発見。もう数年前のものですが‥。そうだったんですね。でも、そんなことどうでもいいですよね。しなやかかつ人生の迫力を感じる女性です。

2012年12月28日

ベルばらの作者について

ベルばらって、作者の池田理代子氏のキャラクターも人気の一端を担っている。
失礼ながら30〜40年昔は、少女漫画家って「ポテト時代」(川崎苑子)のスウちゃんのイメージ強かったです。地味…。それが、池田理代子氏はベルばらの世界に似つかわしい華やかさ。うれしかった。ほっとしたというか。
結婚も3度されて。恋愛スキャンダルに見舞われたことも、当事者の苦しみを知らぬ者からすると、あっぱれ!な気持ち。47歳で音大に入り卒業し現在声楽家であることも。作者自身が、ひとつの大きなドラマ。ほとばしる“生”に満ちている。
昔、池田理代子氏がステージで歌う姿を使ったCMがあった。それを見た友人が「少女のように美しい表情で、こういう50代でいたいなと思ったよ」。

いくつか池田理代子作品を読んだけれど、やっぱり好きなのは、ベルばらとオル窓。というか、ほかのは今一つ…。児童虐待を扱った「生きててよかった」は強烈で心に残っているし、ベルばらオル窓後の「妖子」も絵柄とお話があっていてよかったと思う。でも、ほかのは…。歴史漫画をたくさん描いていて「女帝エカテリーナ」は、歴史の勉強にもなり、なるほどと思わされたけれど。うーん。オル窓後の作品は、少女漫画家時代の、躍動感、疾走感がないのがさびしい。
特に、レディスコミック作品のキャラが魅力的じゃない。大人の女性になるってつまらない‥と思わされる。レディスコミックでも、ずっと爽快で凛々しい女性キャラを主人公に描いてほしかったなあ。恋愛相手もひどいのがいっぱい出てくるし、どこにひかれるのかさっぱりわからない。
それは、当時のレディスコミック全体の問題でもあったかと。レディスコミックの黎明期は、総じて安物くさいエロチックシーンがお約束だったような。はつらつとしたキャラを描いていた少女漫画家たちが、えーっこんなふう…とかなり幻滅した。今は、生き生きと楽しい作品がたくさんあるけれどね。
そういう当時の状況下で、池田理代子氏って、それなりのクオリティを保った作品を描いていたとは思う。絵柄と話との違和感もなかったし。でもね。やっぱりキャラの力が…。ベルばらやオル窓と比べると…。たぶん作者自身も感じておられただろうし、それでも、筆を折らず表現者として頑張っておられたということはすばらしいのですが。

70年代の少女漫画家で今でも活躍している人って、萩尾望都や山岸凉子や一条ゆかりや…。ほんの一部、とっても特別な存在。断筆している人がけっこう多い。早逝された方、発表の場が少なくなってしまった方もおられる。小説よりさらに、漫画の世界でずっと一線でやっていくのは相当難しいことだと思う。やなせたかしさんが、ぼくは幼児向けでよかった時代に合わせていかなくてもよいからと、何かで発言されておられましたが。
ベルばらの栄光がつきまとう池田理代子氏が創作活動を持続させていくのは、かなりのエネルギーがいったのは間違いなく、その精神は尊敬に値する。とはいえ…表現者の仕事は、作品のみで評価されるべきでしょう。

やっぱり、ベルばらとオル窓(特に第1部)がなんといっても最高!他の池田作品と比べて破格の出来と思う。ベルばらとオル窓の輝きは何があっても永遠に色あせることはない。それはもちろん、今は表舞台から消えた少女漫画家のすばらしかった作品にもいえること。作品にただただ感謝なのです。

池田理代子氏は多くの本も書いていておもしろい!ほんとに研究熱心で頭のよい人だなあ。いろいろと感銘を受けたり新しい発見があったり。

エッセイ本を読んでいると、産まなかった女性の人生ということも考えずにはいられない。

親が子に注ぐ無償の愛というものを体験したかったという強い思い。出産することは常に人生の望みのトップだったが叶わなかったと、聡明な作者は、あくまで淡々と述べているけれど。出産経験がない分、母性に過剰な憧れがあるということも自身がよく自覚している。出産をあきらめたのち義母の介護をしていたときに、義母から、ただそばにいてほしいと願われ頼られて無上の喜びを感じた――そのくだりを読んだときに、作者の秘めていた素の心がこぼれたようで、胸をついた。
先日、文学研究者の50代女性と話していたのは「インテリジェンスを持った女性にとって産まなかった問題は非常に大きい」ということ。出自以外、人生の多くは自分の選択。進学も就職も結婚も…大なり小なり結局は自分がそうした方がいいと選んだこと。「しなかったこと」については想像しかできないわけだが、その中で出産は、圧倒的に、実際に経験しなければわからない。子どもを持たない多くの女性にとって、やはり重いことだと思う。

そうしたことも含めて、池田理代子氏の生き方考え方が、女性にとって、ひとつのモデルになっている。私にとっては、好き嫌いを超えて、気になる人。こういう人生も人は可能なのだということを教えてくれる存在。死ぬまで、悔いなくひたすら情熱的に生きてほしいです。

*「なぜ愛に賭けるのか」は、恋愛スキャンダル直後に出版されたエッセイ本。当時の心境が赤裸々に綴られていて興味深い。社会的に成功した女性に対するマスコミのいやらしさもひしひし。池田理代子氏にしては珍しく怒りと恨みもけっこう吐き出されていますが、ちゃんと自制がきいています。そして現在、そうした男性社会の嫉妬に負けず、音楽家にもなりベルばら40周年を華々しく迎えて来年は宝塚のベルばら再演も…!とずっと活躍し続けている。 当時の失礼なマスコミ男性記者たちに、ざまあみろっ!的な爽快感を持ってしまいます。池田理代子氏が励まされたとして紹介している、中島梓氏のエッセイ文もふるっています。才能を持って世に出る女性に対し世間というか男性はいかにきびしいかということ、中島梓氏も身に染みていたのでしょう。作品がおもしろければそれがすべて!と結ぶ言葉に、同志としての親愛の情を感じます。

2012年12月24日

ベルばらを読んでG(オスカル恋心シーン)

大好きなシーンといえばココ!オスカルの恋心編

気になるアンドレ。オスカルがじゃなくてやっぱり私が。…ってさんざん、オスカルにとっては本来ものたりない男だろうとか、クラウスみたいに萌えられないとか言っといてなんですが。
男女逆転してオスカル男アンドレ女だとすれば、仕事に打ち込む男と支える女というよくあるお話パターン。男オスカルは、プライベートでアンドレと何があっても、仕事に支障はきたさない。仕事中に心乱したのは、アンドレの死に直面したときだけ。
お話の中では、アンドレって恋愛部分でしかあまり存在感がないので、恋愛だけなの〜?そういう男ってどうなの〜ってつい思ってしまうけれども。描かれていない部分は妄想で補いつつ、オスカルとアンドレの恋模様に浸るのがベルばらを楽しむコツかと…。

で、今回は、オスカルの恋心ドキドキ場面にフォーカス!ベスト3は…


はなせっアンドレが わ……わたしのアンドレ!!

やっぱりココが最高! 何度読んでもニタニタしてしまうよ〜。もうはやくアンドレに好き!って言いなよ♪
フェルゼンへの秘めた思いを本人に知られてしまい、決定的に失恋しちゃうオスカル。その心痛の中、アンドレに熱烈告白されても戸惑うばかり(しかも乱暴に…)。でも、だんだんとアンドレのことが気になって…。
馬車が暴徒に襲われ、アンドレを見失うオスカル。助けにきてくれたフェルゼンに思わず言っちゃうセリフがこれ。あ〜もう♪このときはもう、オスカルの心はフェルゼンよりアンドレ。つい口に出ちゃった感がいい!!


G線が…アンドレ アンドレ  …のあとの二人のぎこちない会話場面

ああじれったい〜。バイオリンの弦が切れて手を切ってしまうオスカル。声を聞きつけ手当てをするアンドレ。この頃、オスカルには結婚話が出ていて…お互い気になって仕方ないのに、えんえんと政治話をしている二人。ああ、ほんとはこんな話をしたいわけじゃないのに…。このせつなさMAXがたまりません!


おまえがたえたくるしみなら……わたしもたえてみせようみせるとも
長くはなかったか…? 死はやすらかにやってきたか…?
手をかしてくれ アンドレ アンドレ!!
わたしがおくびょうものにならぬよう…
おお!! だきしめてくれ!!


7月14日オスカル最期の場面です。右肩と腹部を銃弾で撃ち抜かれたオスカル。悲しい場面だけれど…恍惚感も伝わってくる。前日やはりアンドレは銃弾で戦死していて、自らも同じ死に方をするのだという、アンドレが受けた苦しみを今同じように味わっているのだという。この痛みに耐えた先にアンドレが待っているという喜びも感じられます。

3はドキドキときめきシーンじゃないけれども。究極の愛の強さがわかる。
きっとアンドレの心は、最期の瞬間までオスカルを包んでいるのだ‥。

幼なじみから恋人へって照れるシチュエーション。アンドレをまったく意識してなかったオスカルの気持ちの変化が楽しい。アンドレ…報われてよかったです、ほんとに。

2012年12月21日

ベルばらを読んでF(同性への恋慕)

同性への恋慕について 
*映画「マリー・アントワネットに別れをつげて」のネタバレあり。

むかーし、ベルばらをじっくり読もうという気になれなかったのは、オスカル様(はあと♡)と騒ぐ気持ちに同調できなかった、っていうのがある。
で、今読んでみて、オスカル大好き!にはなるんだけど、やっぱり恋慕のノリにはなれないなあ。マリー・アントワネットが、最初オスカルを女だとは知らずに、ステキ♪って思っちゃうのは理解できるけれども。同性と知っていながら、本気でオスカルに恋しちゃう感じが10代の頃は不思議で。だからロザリーにまったく感情移入できず、ロザリーを羨ましいとも妬ましいとも思えなかった。オスカルの魅力の凄さゆえのことと頭では理解しつつも、自分におきかえてはピンとこなかったのです。

池田理代子氏が描く漫画は、女の子同士の恋慕が珍しくないですね。ベルばらとオル窓の間の作品「おにいさまへ…」はその典型。女子高に通う主人公(ロザリー的なキャラ…とってもいい子)が好きな相手はボーイッシュな(でも病んでる…ビジュアル的にはオスカルや男装ユリウス)上級生のお姉さまで、ドキドキ感いっぱい。
作者自身、学生時代ボーイッシュで、よく下級生女子から手紙をもらったりしたそうです。なるほどだからかあと納得…ベルばらの「わたしの春風」。オスカルがロザリーに対して愛しく思う感情。あれって、作者にとってはリアルだったんだなと思う。

男女間であろうが同性間であろうが、恋慕の情はありえるというのは、頭でわかりつつ、10代の頃は違和感が大きすぎて、「風と木の詩」にもはまれなかったところがある。
今は同性愛ものを読んだり観たりしているし、グリーのカートとブレインの恋なんか、にやにやしちゃうくらい楽しんでいるけれども。

先日、公開中の映画「マリー・アントワネットに別れをつげて」を観た。バスティーユ陥落後の数日間のベルサイユ宮殿内の物語。女性同士の三角関係が描かれています。
主人公は、マリー・アントワネットの朗読係をしている侍女。マリー・アントワネットに恋している。そして、マリー・アントワネットはポリニャック夫人に恋してる。つまり三角関係。王妃はポリニャック夫人への恋心が募って苦しいほど。ポリニャック夫人の匂いたつ魅力っていうのが伝わってくる。きっと誰もを瞬時に虜にしてしまう女で、本人も自覚している。
マリー・アントワネットのポリニャック夫人に翻弄されている様に…胸が痛くなりましたよ。で、恋の苦しさは十分わかっているはずのマリーが、自分に恋焦がれている侍女に対してはとことん残酷。ギロチンリストに載っているポリニャック夫人を助けるため、侍女に身代わりになれという…。愛するマリー・アントワネットのため、ポリニャック夫人との恋路さえ手伝っていた侍女の報われなさといったら。
好きで好きで、そのためにどんなに自分を犠牲にして尽くしても、それで相手がふりむいてくれるわけではない。期待はすまいと思っても、もしやとすがらずにはいられない。恋はもう最初から勝負がついているのに。好きになった方が圧倒的に負けで、相手の一挙手一投足から目を離せない。心を支配されてしまっている尋常ならざる精神状態。冷静な判断をすることができなくなっている―――でも、そのことに本人はあまり気付いていないという。

当時の宮廷では、親しい女友達をもつことは流行だったそうです。そして、貴族の夫人は愛人を持つ者も多かったそうだけれど、王妃は王家の血筋の問題があって不可能。だから、ベルばらの最後の方でマリー・アントワネットとフェルゼンが一夜を過ごす場面、あれは実際にはありえないとか。王妃の道徳観からしても。“一度もそういうことがないのはかわいそうすぎる”という、作者の思いゆえのシーンだったそうです。

マリー・アントワネットは、結婚後も、ルイ16世が手術を受けるまでは長い間処女妻でもあったし、愛情関係にとても飢えていたに違いなく…不倫が大目にみられる立場だったら男性相手だったかもしれないけれど、それはわからない。
映画を観て、ポリニャック夫人の、のびのびとした立ち振る舞いにものすごくひかれたマリー・アントワネットの気持ちが、わかる気がした。(映画の中の)マリー・アントワネットは、侍女の心を踏みにじるいやな女なんだけど、とても哀れな女。好きになったら人はみっともなくなる。独占欲とか嫉妬とか体を近づけたいという気持ちとか、同性も異性も変わらない。

大人になった今となっては、オスカルに恋心を抱く女性たち、の気持ちも、なんとなくわかる。しかし、オスカルの行動はなんかやっぱり不可解なんですけれどね。それはまたオスカル話で…。

★映画の中の侍女は身寄りのない孤児でありながら、王妃のそば近くにいるわけで。しかも、けっこう宮廷内を自由に歩いていて、貴族の人達とも接触が頻繁だし。そうか、アンドレが平民身分でベルサイユ宮殿に出入りするっていうのも、それほど無理な設定じゃなかったんだなと感じた。マリーアントワネットものを映画で観るのは初めてだけど、いろいろ妄想が強化(?)されておもしろーい♪フランス人の目から観たベルサイユ、っていうのをもっと知りたくなる。

2012年12月07日

ベルばらの論文を読んで

ベルばらは書籍もだけど、
研究論文や記事も多いね。

最近みつけたのは、
平成22年3月発行「長野国文」
(長野県短期大学日本語日本文学会)掲載の論文です。
海野紗也加氏による
「運命に挑む「女」たち ーー池田理代子「ベルサイユのばら」論ーー」                         
比較的新しいもの。
たぶん執筆者はリアルタイムではベルばらブームを知らない世代かと。
‥こういうとこが、ベルばらってつくづくすごい。


私が、アンドレ怖ぇーよ、ですませてしまった、毒ワイン事件について、詳細に分析されております。

オスカルに思いを告げ拒否られた直後に、右目に異常を感じるアンドレ。
視力という視覚的な「光」とオスカルという象徴的な「光」。
視力に関するエピソードとオスカルに関するエピソードを丹念にたどりチャート化し、ふたつの光の喪失不安の頂点が毒ワイン事件へとつながる過程を示しています。
そして、結婚できなくてもオスカルを守ることを決意してからのアンドレは、打って変わって前向き。以後、失明を不安がる描写はなくなるのです。
一方、ジェローデルの求婚を断ったオスカルは、父に軍神マルスの子として生きることを宣言。
結婚はしないぞ‥とアンドレに告げて共に生きることを伝えるオスカル。
つまり、毒ワイン事件を契機として、読者に「結婚」としての制度に組み込まれない、新しい生き方を明示したというわけです。
物語の構造のうまさに、改めてなるほど〜と思わされましたよ。

そうそう。
この「結婚や妊娠を意識しないで生きられる」という部分に、40年前はもちろん、今の女性読者も、すがすがしさ小気味よさを抱くんだと思う。
フランス革命という大仕掛けな歴史絵巻の中だからこそ可能なのかもしれないけれども。

この論文からの孫引きですが、
先行論文で佐藤忠男氏はオスカルをこう語っているそう。

日本の大衆文化が生み出したもっとも自由なヒロイン。
女性的で男性的、貴族的で民衆的、知性的で激情的。
そしてそのどれにも縛られない、突き抜けたキャラクター。
異なった階級と性の長所だけが結びついている。

いうまでもないけど、史上最強の魅力的ヒロインなんですね。
(当時の池田理代子氏は、マリーアントワネットよりオスカルの人気がでて驚きだったそうですが。その、狙ってなかった感じが、またよい作用を生んだのかも)

海野氏は、ロザリーの存在意義・存在機能についても分析しています。
いわく、ロザリーは、数学における虚数であると。
数直線上やグラフ上に示される実数ではないが、虚数を無視しては方程式の解の公式は成り立たない。
ロザリーというキャラクターはそれ自体は、何事もなしえず何物にもなりえないが、ロザリーなくしてこの物語はありえないという結論を導いています。

ほんとに、いろんな読み解き方ができるベルばらってすばらしい。

ここのところずっと、
相当ベルばらに夢中で、
好きが止まらない日々です。

いまのところ、
これ以上に好きなものが‥ない!

2012年12月04日

ベルばらを読んでE(オスカルとアンドレ)

アンドレを選んだオスカル

オスカルについては書き尽くせない〜でももう書きたい!! つれづれなるままに支離滅裂でも書き散らします。

オスカルが嫌いって人に、今まで会ったことがない。
ベルばらを読めば、オスカルを嫌いになる要素ってまるでないと思う。凛々しくてまっすぐて汚れた気持ちがなくて決断力があって…それでいて女の子のところもあるという。軍服姿もたまらなく美しい。

で、何度読んでも、読み返すほどに、オスカルの人間性の素晴らしさに感動するのです。多くの人に愛され尊敬されたオスカル。そして、誰よりも孤高の人だった。1989年7月13日、オスカルは女伯爵の身分を捨て、衛兵隊を率い市民側へと身を投じるわけですが、そこに至るまでの苦悩を思うと胸がいっぱい。オスカルは、毎晩酒を飲んで気をまぎらわせなければいけないほど迷い悩み続けていた。代々王家を護ってきたジャルジェ家。市民側につけば愛する家族を窮地に立たすことは明白で、それでも自分が信じる道を突き進むことを決断したオスカル。

彼女が背負ってきたものの大きさを思うと、アンドレって…能天気に感じてしまう。アニメのアンドレは、自ら衛兵隊に志願し寮生活をしたり、革命思想の勉強会に参加したりしますが、原作アンドレにはそういう社会意識はないのです。

あ、もちろん、オスカルとアンドレはベストカップルと思います。二人の恋愛は運命的とも感じていたい。純粋に幼なじみ萌え恋に浸って楽しむのも好きなんですが、それはまた別の話。

もし、同じ貴族身分であるフェルゼンやジェローデルと、「この激動期をどう生きるべきか」ということを、深く語り合えていたならば。彼らが、オスカルの人生に指針を与える存在であったならば。オスカルの気持ちは彼らになびいていたと思うのですね(フェルゼンにはなびいていたけど‥憧れよりももっと強い愛情を感じたと思う)。アンドレは眼中になかったでしょう。そういう関係をたとえばフェルゼンと深めていたなら、たとえ片思いだとしても、敬愛の気持ちを胸に恋人を持たず生き続けたんじゃないか。アンドレじゃ物足りなかったように思います。

オスカルは、多くの友人と心を通わせるけれど、自分がどう生きていくべきか相談できる相手はいなかった。いっそう平民であったならば楽なのにとも思ったんじゃないかな(平民の生活の大変さ=貧乏は想像できなかっただろうし)。貴族であり王家を護る軍人の自分と、変革期の社会情勢の中で感じる矛盾。オスカルの過激な行動は、そうした彼女の疑問と葛藤から起こっている。この重い命題に共に向かい合える男性こそが、本来のオスカルの理想の相手だったと思う。でも、そうはうまく理想の相手は現れず…

孤独な彼女の精神を救ってくれたのは、幼いころから身近な存在であったアンドレ。

オスカルがアンドレに惹かれていくときって、オスカルにとって相当苦しい時期だった。職業的使命と、自らが信じる正義との板挟み。フェルゼンに決別を告げられジェローデルとの結婚騒ぎもあったりして。そして、部下たちが逮捕されて激高し、上官の命令に背くという軍人にあるまじき行動をおこす。精神的においつめられた状況の中で、家に帰れば、生かしておくのは恥と実父に刺殺されそうになる。そういう絶体絶命ってときに、命を投げ打ってでも自分を救うと言ってくれるアンドレ。もうもう…これって…。一気に心は、なだれてしまいますよ。

オスカルがアンドレを好きになる伏線はちょいちょいありますが…。
最初はお気楽わき役だったアンドレも、黒い騎士に目を刺された頃からぐっと存在感を増してくるし。「武官はどんなときでも感情で動くものじゃない」なんて、オスカルをたしなめたりして。いつのまにこんなセリフをはくように?ってくらい、頼れるキャラに変貌。

オスカルとアンドレの関係って、ちょっと「ふたりっ子」の双子姉とご近所兄貴に似ています。NHKの朝の連ドラ。ノベライズ本を思い出してみると…
双子姉は性格悪いが美人で京大出の超優秀。対して頭脳明晰とは程遠い単細胞キャラのご近所兄貴。結婚する二人ですが夫は妻に頭上がらない。しかし妻が始めた事業が傾きいよいよ倒産となったとき、夫は、どんなときでもおまえの味方だとばかり頼もしいところを見せるのです。具体的には、迷惑かける人たちに、一緒に頭を下げるってことぐらいだったりするんだけれど。妻が元恋人に対し不義理な態度をとったのを、そんなことは人としてあかんことや!と叱ったりもする。

ここなんだと思う。仕事能力では自分よりはるかに下なんだけれど、人間として絶対的に尊敬できること。いかなるときでも自分の味方であること。

オスカルにとって、アンドレは、職業的責任の大きさが違いすぎるし、対等に議論できるインテリジェンスもないし。恋愛小説は読んでも(しかも感化されてオスカルとの心中企てる!)、社会契約論なんかは読んでなさそうだし。けれど、人間の本質的な部分で信頼できる。絶対無二の家族のような温かさと安心感を与えてくれる。自分がどのような決断をしても見守ってくれる。アンドレがいて初めて、自分は生きていけるとオスカルは感じたのでしょう。

オスカルとアンドレって革命期の恋人だけど、現代社会でもけっこうよくわかるパターン。
どんなに理想像があっても、恋愛って出会った人としか生まれないし。しかも、自分だけを愛してくれる人。気持ちが弱っているときに、絶妙のタイミングでそばにいてくれる人にほだされるってのもありがち。

オスカルにずるい打算はないだろうけれど、無意識の部分で「生存に必要不可欠!」って本能的直感が働いた気がする。家族も仕事もすべて捨てることになりそうで、先行き不透明な革命の中で生きていく不安、一人で立ち向かう恐れはひしひしと感じていたはずだから。

オスカルのすてきなところは、恋愛はあくまで自分の生き方を補完してくれるものだということ。男で信条を曲げたりはしない。恋愛のエッセンスたっぷりなのに、恋愛を含めた人としての生き方という大きな観点で捉えられるのが、ベルばらの、オスカルの魅力なんだなーと思う。

ベルばらは、少女漫画で初めてベッドシーンを描いたことでも有名です。
当時としては性についてかなり踏み込んでいる。アンドレの、契りたいとか体を重ねたいとかの肉食セリフに、70年代ローティーン読者はかなりひいたはず。そして、大人女性としてのオスカルの気持ちもリアルです。アンドレのキスが忘れられず体が熱くなるとか、男らしい体にドギマギしたりとか。
二人の好きと言う気持ちが高まってようやく結ばれる。これも、オスカルの意志。このとき、アンドレ34歳、オスカル33歳。アンドレにいたってはたぶん約20年越しの熱い思い。しかも死を覚悟したであろう出陣の前夜! 今の少女マンガにあるような露骨な描写はありませんが、二人の思いと時代の緊迫感が相まって、それはそれは官能的なのですよ。


*アンドレの、これもひとつの見方ってことで。アンドレすてきって部分は、また後日別途に。

頭が良くて頼りになる!と思ってつきあっても、人として相容れない部分を知ってげんなりってこともよくあるわけで。フェルゼンやジェローデルと恋人になっても、その後やっぱりアンドレの楽ちんな感じがいいわ〜ってなったかも?検証ができないからこういう妄想って楽しい♪

そういえば‥私のリアル友人のうち20代で結婚し割とうまくいっている女性二人、同じようなことを言っていた。結婚の決め手は‥「自分のやりたいことを邪魔しない人」「意見が違ったとき常に折れてくれるところ」。
広い心で女をたててくれる、アンドレタイプってやっぱりいいのかも(いやそれはオスカルが相手だからであって‥)。

2012年11月29日

ベルばらを読んでD(アンドレ話など)

妄想の余地がいっぱい――二次創作も読みつつアンドレ話など

ベルばら関連のサイトってびっくりするほどある。全国どころか全世界的に愛されていて、ファンのベルばら愛ってすごい! イラストや小説や漫画や批評感想あらゆる研究…当時のフランス社会を初めとする様々なお勉強もできます。キリスト教的な社会観に改めて関心が向き、フランス語もほんの少し覚えた。深く深――くどこまでももぐっていけて、ベルばらありがとう!!

そして何よりやっぱり、キャラ妄想が楽しいのは言わずもがな。

コミケに二次創作本(ベルばらではない)を出している友人たち曰く(含「タイバニ座談会」稀人舎通信10号)
「いい二次創作はいい原作がある」「キャラに萌えられるのはお話がしっかりしているからこそ」「自分の日常生活から離れた設定の方が感情移入できる」…そんなすべてが、ベルばらにはあてはまるのですね。

ベルばら二次創作の王道は、やはりオスカル&アンドレのラブラブモード話。かわいい美しいイラストも多々あり。「幼なじみで主従関係」というのが、40年たっても古びない萌えポイントです。
アンドレはオスカルあってのアンドレ、オスカルとペアだからこそ魅力的、と思う。どうも私は…アンドレ単独では萌えられない。
大きな要因は、アンドレがオスカルを思うあまり、ワインに薬を盛り心中を図ろうとするシーン。これがどうしても受け付けないのだ。怖ぇーよアンドレ……魔がさしただけ一時の迷いとは思うけれども。たとえ両想いになれなかったとしても、最後までオスカルを思い影となって見守ったと信じたいが、う――んしかし。オスカルがふりむいてくれなかったらアンドレは正気を保っていられただろうか。アンドレの精神はもう、崖っぷちだったはず。
話の進行とともに絵柄がどんどん変わり、この頃にはアンドレもオスカルもしっかり30代らしい大人の風情。ぐっとセクシーになるアンドレ、あらあらいつの間にって感じです。手をのばせば触れられる近さにいる愛しのオスカル。片思いって苦しい、しかもおそらく20年近くも。暴走暴発しそうになるのも無理ないか。いやでも、オスカル貴族であなた平民ですから。当時は絶対的に無理だし結婚邪魔してどうするのっ!オスカルの幸せ望まないのか、いやしかし…

とまあ、ああでもないこうでもないと考えられる余地いっぱいなのが、ベルばらのいいところ。描かれていないディティールを妄想する楽しさ。読者がとても多いから(もしくはアニメ観ていた人)、世間話的に話せるのもうれしい。

作者は、オスカルのキャラ設定はしっかり考えていたようですが(最期は市民側につく衛兵隊長というのがイメージされていた)、アンドレは当初サブキャラに近かったよう。二人を結び付けようとは考えていなかったらしい。オスカルはジェローデルと夫婦になった可能性があるし、独身を貫いたかもしれないし。アンドレはロザリーと結ばれていたかもしれない。
だけど読み返すと、オスカルがアンドレと結ばれるのは必然としか思えない。すべてのエピソードが最期までそこへ向けて生きている。キャラが勝手に動くとはこういうことか。ベルばらは、ほんとに神降臨の作品だったんですね。

私の脳内では、アンドレは二次創作のアンドレにかなり変換されています。原作ほど苦悩せずあくまで穏やかで優しいアンドレ。原作に立ち戻ると息苦しくなり、二次創作物にもどってほっとしたりして。で、また原作アンドレを読むと新たな発見が。

ベルばらって何通りにも楽しめて飽きない。一生の趣味にできる。
ただし、ベルばらサイトは無限にあるので、廃人注意!です。

2012年11月25日

ベルばらを読んでC(オスカルとジョゼフ)

大好きなシーンといえばココ!

オスカルとジョゼフの乗馬場面です。優しく穏やかでしみじみと美しい。

病弱で余命わずかなルイ・ジョゼフ殿下。馬に乗りたいという我が子の願いをかなえるよう、マリーはオスカルに涙ながらに頼むのです。

大好きなオスカルと過ごす時間、喜びを溢れさせるジョゼフ。寄り添う二人に降り注ぐ煌めく光。何度見ても胸が熱くなる。
ジョゼフがオスカルにキスし、あなたが好きとみつめる場面で涙腺がもう〜。
“子どもが保母さんに好きと言うような感じ“…と作者は語っていますが、私はそうは思わない。わずか7つでも、それはもっと切実な思いだったに違いない。

昔、ノンフィクション「麻意ね、死ぬのがこわいの」(石黒美佐子)を読んだとき、子どもが自分の死を受け止めるために、どれほどの深い思索と葛藤をするのか思い知らされた。過酷な病魔と闘っている子どもは、きっと私たちの想像を遥かに超えて哲学的。
ジョゼフは人を愛するというのがどういうことか、十分わかっていたと思う。
感受性豊かで聡明で、壮絶な闘病にも関わらず、国王の世継ぎとしての自覚と使命感を持ち続けたジョゼフ。

三部会開催という歴史に残る日はしっかりみておきたいと、ジョゼフはオスカルに告げます。その幼いながらも崇高な精神は、のちのオスカル――祖国と心中する覚悟を持ち軍神マルスの子として最期まで生ききった姿と重なって見えます。

三部会開催前、ミサに向かう議員の列を守る衛兵隊。オスカルは、ジョゼフがいる窓を見上げます。涙を隠しながら「アンドレ……私は妃殿下になりそこねたぞ」。アンドレは何のことかわからずきょとん。

そうこれは、オスカルとジョゼフだけに通じ合う思い。アンドレだって踏み入ることはできないのです。
純で高潔な二つの魂。互いに尊敬し愛しいと思う心。オスカルとジョゼフの間には深く感応するものがあり、それはやはり、愛という名でよべるものだったと思います。

2012年11月19日

ベルばらを読んでB(ロングセラーの理由)

国民的作品になった理由

ネタバレあり!…って断らなくてもいい。
それだけで、「ベルサイユのばら」ってすごい作品です。忠臣蔵と一緒。基本的な教養として広く国民に根付いている。読んでなくても、フランス革命が舞台で、マリーアントワネットとフェルゼンの恋、オスカルとアンドレの恋、その概要くらいは、年代問わずほとんどの人が知っているでしょう。
今年9月に、ベルばらをちゃんと読んでみようと市立図書館のサイトで検索したところ…予約待ちだった。40年前の漫画ですよ――すごすぎ。フランス革命をざっと知るお勉強本としても、今なお広く読まれているそうです。

ベルばらがこれほどの国民的作品になった理由は大きくふたつと思う。

編集者の存在→適度な長さの作品
池田理代子氏の力量はもちろんですが、ロングセラー大ヒットさせた一番の功労者は編集者かと。「オスカル死後10週で連載を終われ」と厳命した編集者がいたからこその名作。
作者のインタビュー記事等読むと、もっともっと長く革命のことを描きたかった面白くする自信があったそう。そのため、オスカル死後、マリーアントワネットがギロチンにかかりフェルゼンが亡くなるまでを、既定の枚数で描くのに苦労したとか。
でも、この長さがよかった!作者は絵柄を進化させつつ、ほとばしる情熱を持続できたと思う。1度も休まず週刊誌連載を続けていたという気力、集中力がぎゅっと詰まっていて、もうその勢いに圧倒される。最期まで全力疾走の作品って感じなのがよいのです。

今の時代、話題の漫画って単行本が何十冊にもなって長い。読んでみたいなと思っても、長さで挫折する。ベルばらは、文庫本なら外伝も含め5冊というコンパクトさ。ベルばらを知らない世代もとっつきやすいのです。

誰もが楽しめるエンターティメント
たとえば、宇宙戦艦ヤマトに私ははまれなかった人だけど、でもだいたいのストーリーは知っているしなんとなく観てはいた。でもその後のアニメ、ガンダムやエヴァゲリオンになるとついていけてない。ベルばらや宇宙戦艦ヤマトあたりまでは、漫画やアニメが、基本的に大多数の人が楽しめる、最大公約数的に創られていた時代だと思う。
一般読者を幅広く取り込もうという姿勢が、長年読み継がれてきたベルばらの面白さにつながっている。キャラ立ちした登場人物、はらはらわくわくするストーリー展開。
いうまでもなく、オスカル!という最強キャラの存在は大きい。それまでも池田理代子作品に登場していたボーイッシュな少女たちを、もっともっと究極に飛躍させた凛々しさ。何しろ軍人ですからね。

オスカルの話はまた別途。

2012年11月06日

ベルばらを読んでA(アニメ版)

アニメ版も観てみました。

ベルばらといえば、
原作に加えて宝塚とアニメ‥。
どちらも2次創作と考えれば
抵抗も少ない気がする。
アニメ版は40話あります。

ちらっと観ていた記憶はあるけれど、
気恥ずかしくて
しっかりとは観てなかった。

今観ると、
あのオスカルが
動いているっていうのは楽しいね。
絵がとっても美しい!
でも‥でも‥
後半のオスカルのキャラが、
間違っているかと。

民衆への発砲もありえる出陣命令を
受けたオスカル。衛兵隊員を前にしての言葉。

私は自分の取るべき道を述べる。まったく個人的にだ。
私は今、この場で諸君の隊長であることをやめ、
私の愛する人私の信ずる人、諸君と同じように民衆に対し
発砲しないと思うから、私はその人に従おうと思う。
その人が民衆と共に戦うというなら私は戦う。
諸君、私はアンドレ・グランディエの妻となった。
私は夫の信ずる道を共に歩く妻となった。
アンドレ命じてくれ。アンドレの行く道が私の信ずる道だ。


ちがーーーーうっ!!!オスカルのキャラではない。
アンドレ亡き後もめそめそ‥アランに指揮をたくそうとする。
そんな責任感のないオスカルじゃな〜〜い!!

これが40年前アニメの限界??
夫が行く道が妻の道???
改めてすごいなと‥
普通にそういうセリフがありえるという
そういう時代だったんだ。
女は所詮女的な。
平民出身のアンドレよりも、
はるかに、オスカルの方が
平民の窮状に敏感で思慮を深めていくのに。
オスカルの方が
社会意識や仕事の有能さははるかに上なのに。

オスカルは
自分の人生の選択、仕事の決断は、
いかなるときにも、
自分で考え、自分の意志に従う。
誰にも、
もちろんアンドレの言いなりになんか
なりはしません。怒
一瞬たりとも悔いなく生きたのがオスカル。
そこのところは、どうしてもゆずれないのです。

追伸
ベルばら3が日とよばれる7月12〜14日の
カタルシスがあまり感じられなくて‥残念。
39話の予告ではオスカルの最期が最終話で詳細に?
と思えるのだけれど、最終話ではまったくなく‥。
その後の王室話をおさめるだけで精いっぱいだった?‥。
見どころはサン=ジュスト。
冷徹で美しい魅力的なキャラです。

追伸の追伸
オスカル美しく凛々しく超かわいい!
ただすこぶる原作好きなもので‥
オスカルのキャラに細かくこだわってしまうのです。
原作にはない史実の描写があるのは興味深いです。

「小学生のときにベルばらアニメ再放送観ながら歴史本読んだ」
という30代男性に会いました。
ベルばらはアニメから入った‥って人も、けっこういそうです。



2012年11月03日

ベルばらを読んで@(オル窓話)

「ベルばらを踏まえてのオル窓」(ネタバレあり長文)

*ここではクラウスで統一。
 音楽学校時代が好きなので、アレクセイよりクラウスってよびたくなる。


ベルばら、やっぱりいいですね。でも、今日はオル窓のお話。

今秋は、久々に「オルフェウスの窓」を再読しました。
そこから勢いづいて、「ベルばら展」「マリーアントワネット物語展」に足を運び、「池田理代子の世界」のムック本を買って…と、にわかになにやら池田理代子祭り。池田理代子の作家論にも目を通している最中。
でも、そういえば「ベルサイユのばら」ちゃんと読んでないなあ…ということでベルばらも一気読み。そして今、ベルばらにどっぷりはまっております。

オスカルがあれほどそして今もこれほど愛されるキャラである理由が、よーくわかった!! オスカル&アンドレの恋模様もいいですね♪
回りからは、えっ!なんで今更ベルばら??と不思議がられつつ…。

が、しかし!ベルばら話は後日としまして。今日は、ベルばらを読んだ上でのオル窓話です。ネタバレあり長文、個人的勝手な思い入れたっぷりです。

「オルフェウスの窓」、大好きです。(2012・9・24で熱く語りましたが)
しかし、70年代に少女マンガを読んで過ごした同世代には、ベルばらの方が圧倒的に人気のよう。オル窓の分はかなり悪い。オル窓は…
@暗くて悲劇的 
A同じ男装の麗人なのにオスカルに比べユリウスが情けない。特に第三部。
                    …理由は、このふたつに集約されるでしょう。
わかるけれども、
そしてベルばらは、確かに名作だけれども、
オル窓だって十分すてきな世界なのですよ。

ベルばらのすがすがしさに対して、オル窓は「哀愁」。しっとりと憂いを感じさせ、ベルばらとは違った魅力があるのです。

そりゃあ、ヒロインの人気度は段違い。ユリウス大好き!って人はそんなに多くはないかと…。主人公がこんなグダグダ他力本願でいいのか?とも思うんですが。男装の麗人ということでオスカルと比べられるからよけいに、期待外れ感が大きいのかもしれません。
ベルばらが陽としたらオル窓は陰。オスカルとユリウスも然り。ベルばら大ファンの人で、オル窓を今一つ好きになれない人が多いのは、理解できます。

昔、私は、ベルばらに、まったくはまれなかった人です。
大筋のストーリーは知っているし、一応ざっと読んではいたはず。マリーアントワネットとルイ16世がかわいそうというのはとても印象に残っているけれど、オスカルやアンドレについてはうろ覚え…男装の麗人という設定にピンとこず、オスカル様♡というファン心理にも違和感があったのです。
70〜80年代のベルばら人気は一大社会現象でした。宝塚でもたびたび上演され、テレビ放映をちらちらと観た記憶もある。そして、その宝塚舞台での、愛をまっすぐに高らかに歌い上げる場面を観て、かなり気持ちがひいてしまった。私はダメだこの世界…と思わされてしまったのです。
すべてが直情的、愛も正義もまっすぐな感じで、その象徴としてのオスカルというイメージ。マンガの絵柄がかわいらしく感じたこともあり、ベルばら=こどもっぽいという先入観を当時は持っていました。

対して、「オルフェウスの窓」。
愛蔵本を買い一気読みしてはまったのは、20代になってからです。
まず、絵がステキだった。少女マンガらしい華麗さを残しつつ、とても洗練されていて大人っぽい。もう、すっかりこの世界に夢中になってしまいました。

作者は、ベルばらを描いていた頃、資料のみで背景を描いています。日本の家屋しか実際には見たことがないのに、想像力で補ってあのベルばら世界を構築したのがすごい!(それがかえって大ヒットの要因だったと思うのですが、その点についてはまた後日)
ベルばらヒット後に訪欧した作者は、本物の建物の重厚さに驚いたそう。“オル窓では、建物の大きさを意識して描いた”と、作者は語っています。そして、オル窓の頃には、作者自身の探究心や年齢を重ねたこともあり、歴史や人物に対する洞察のあり方もより深いものに変わっていたはず。
夢のようなベルばら世界とは、違った佇まいをもつオル窓。歴史の重み・空気感というものが、作品全体ににじみ出ていると感じます。

主役級の登場人物が死ぬって点では、ベルばらもオル窓も同じですが、悲壮感はオル窓の方がはるかに強烈です。そのことに抵抗感がある人もいるようですが。

私はゴージャスな悲劇感を堪能することができました。
悲惨な死に方をする主人公のユリウスも、クラウスとの愛の日々があったわけで、救いがないとは私は思わない。幸せな人生とは言い切れないけれど、そもそも、完全に幸せだったと言い切れる人生など現実にはほとんどないわけだから。
そういう意味でも、とてもリアルに感じられるのです。

ベルばらのオスカルがとても魅力的なのは、すごくすごくよくわかります。
奇跡的な美貌、武術の腕前は抜群、申し分ない家柄…なのにおごり高ぶり一切なく、心優しく前向きでチャレンジ精神に満ちている。責任感強く誇れる仕事を持ち、本当に非の打ちどころのない最高のヒロイン。最期は自分の信念に従い、命を投げうって闘う凛々しさ。アンドレの前でだけ“デレ”を見せるかわいさも含めてうっとり〜。(元祖ツンデレ!)
オスカルの回りには愛がいっぱいです。家族をはじめ多くの愛に包まれ、周囲の人々とあたたかな交流を持って生きていく。元来陽性な性格で、人に愛される天賦の才があったとも感じます。
そして、このあまりに恵まれかつ超越したキャラゆえに、昔の私は、はまれなかったようにも思うのです。

対してユリウスといえば、周囲は策略がいっぱい、生育環境も悲惨です。
母親には愛されているけれど、この母親冷静に考えたら変。ユリウスに男のふりを強制している時点で、もう立派な虐待ですよ…(←オスカルパパとはまた違う!)。
ユリウスは、そんな母親に対して、まったく猜疑心を持たない。母親の愛情だけが生きるよすがだから、疑うなんてことは意識にのぼらなかったのでしょう。親に対する反抗心を持たないまま成長し、綱渡りのような人生を続け、ついに母親に先立たれてしまうユリウス(またその死に方がショッキング)。
大人になりきれないまま、二人の殺人を犯したことを永遠の秘密としその罪にも苦しみながら(途中からは記憶喪失)、年を重ねていくことになります。

オスカルファンなら、男装のユリウスに「どんなに不幸に見舞われても、そこからはいあがる雄々しいキャラ」を期待したかもしれません。でも、作者は、そうはしなかったんですね。
正義感の強さはあっても、オスカルとは違う精神の弱い女性としたのです。

オスカルは、仕事を通じて社会のありかたと自分の生き方をみつめ、我が道を選びとっていく。信念を持ち自立した大人の女性。対して、ユリウスの精神はあまりにも幼すぎる。死ぬまで不安定な心を抱えた少女のまま。
もし、と仮定して考えてみる…もし、ダーヴィトのように音楽を心から愛していたなら。たとえイザークのような天才的な才能はなくても、生きる希望にできるほどピアノに対する情熱を持っていたなら。ユリウスの人生は、もっと足取りの確かなものになっていたでしょう。多くの人と確かな愛情で結ばれる心豊かな人生を、創っていけたんじゃないかと思います。

でも、そうではなかった。そして、現実にはそういう人の方がずっと多い。
人生の目的を持ち確信を持って生きられるのは理想だけれど、人はもっと弱弱しくてずるい。誰もが、右往左往しながら生きている。何に対してどの程度耐えられるか、力を発揮できるかという器は、人それぞれに違う。思い通りにならない人生を、そのときどきの局面で、その人なりの判断をくだして歩んでいくしかない。

ユリウスは、母親が亡くなったとき絶望の極みにいたはず。人にとって、もっとも残酷なのは孤独です。ユリウスにとって、もうクラウスだけが生きる支えになっていった。だから、祖国ドイツを離れ危険なロシアへ渡ることに、何の躊躇もなかったでしょう。

母親が亡くなったことは、ユリウスにとって大きな悲しみだったけれど、自分の意志で動ける=クラウスを追ってロシアへ旅立てる、というのは、生まれて初めての精神の解放のときでもあったと思うのです。

その証拠に、第一部でロシアへ旅立とうとするユリウスの表情は、とても生き生きと輝いていると思いませんか。
すくっとしっかり前を見据えている。
愛はどんな弱い人間をも奮い立たせてくれる。

ユリウスは、好きな人を追いかけて追いかけて突き放されても追いかけて…(とまあ追いかけ続けられるのも、自分への愛を確信していたからでしょうが)。クラウスをただただ愛する、というだけの人生だったけれど、それが、ユリウスにとっての生きる情熱のすべて。
そして短い間とはいえクラウスと愛の日々が送れてよかった。ユリウスなりに精いっぱい生きたんだねと、私は抱きしめてあげたくなってしまうのです。

オル窓のお話は悲劇的です。
多くの人が志半ばで死んでいきます。でも、登場人物が不幸だったとは私にはあまり思えない(ゲルトルートとか、かなりかわいそうなキャラもいますが…)。逃れられない過酷な運命の中で、それぞれが、幸せをつかみ取ろうと必死に闘っていると感じられて、深く感動するのです。

男キャラを比較すると…
クラウス、けっこう好きです! 革命を闘う男…いいじゃないですか。現実はさておき。
ベルばらのアンドレは単独では萌えられない。
オスカルあってのアンドレ、オスカルとアンドレはペアだからこそすてき。アンドレの愛の深さや、オスカルの幼なじみから恋人へと意識が変わっていく恋心にドキドキします。アンドレは、オスカルへの愛が人生のすべてのようで、その点においてはちょっとユリウスみたい?平民だけれど、革命に対する強い意志というのはほとんど描かれていません。
対して、クラウスは、自分のなすべき仕事に対する意識が明確です。
命の危険を顧みず、革命に全人生をかけている。シベリアに6年も送られたりして…。うーん、男が仕事に打ち込み、“女よりも仕事”の感じが、けっこう私は好きかも。現実はさておき。

作者いわく「私は、理論左翼心情保守」。女性差別や社会的弱者に敏感で社会意識が高い作者ですが、わかりやすい“強い男と守られる女”という構図も、作者好みのひとつとしてあるんじゃないかな。
自立したオスカルはもちろん、ユリウスもまた、作者の中で矛盾なく存在できるキャラなのだと思います。

オル窓で感じた作者のポリシー。それを感じるセリフを、ベルばらの、オスカルが亡くなる寸前の、心の声にみつけました。

一瞬たりとも 悔いなく あたえられた生をいきた
人間として それ以上のよろこびが あるだろうか


作者は、“人生はあっという間。歴史の中では小さな存在だけど、だからといっていいかげんに生きていいわけではない。一生懸命生きなきゃいけない”という主旨のことを、語っています。ベルばらもオル窓も、ベースにある作者の強い思いは同じですね。

歴史の大きなうねりの中では、ひとりひとりは無力な存在。いやそう見えるけれど…。ひとりひとりが、その時代のそれぞれの境遇の中で、精いっぱいに生きること。人を愛すること。それこそが歴史の大きなうねりをつくる一筋の風でもあるんじゃないか。
歴史も人生も正解はわからない。ただ、自分の思いに忠実に生きる。失敗を恐れて何も動かないのはおろかなこと。たとえ浅はかだとしても。
人それぞれに、最大限の情熱を持って生きる…それが、池田理代子の世界では、絶対的真理と強く感じます。

★ほんとにユリウスはね…ダメダメ女子ですよ。天国でも(天国と信じましょう)、きっとクラウス大好き!ってばかりの毎日だろうなあ…。でもまあ、初恋の男をずっとそんな風に愛し続けられる人生、っていうファンタジー、ちょっと夢みるところです。

★ベルばらの、オスカルと病弱王子のキスは、少し少年愛っぽいシーンを描きたかったと作者は語っていますね。ロベスピエールとサン・ジュストのアヤしい関係ももっと描きたかったそうで…。その思いがオル窓で炸裂?…オル窓がBL(ボーイズラブ)っぽい雰囲気を漂わせていることに、激しく納得です。

2012年09月24日

再読「オルフェウスの窓」(ネタバレあり長文)

「オルフェウスの窓」(池田理代子)全18巻。
ドラマチックでロマンチックで、30年以上たった今読んでもためいきもの。ミステリー、複雑な人間模様、壮大なスケール、史実との絶妙な兼ね合い…素晴らしさは書き尽くせません。なんといっても、美しい絵、詩的な言葉の数々。再読して新たな発見もありました。以下、ネタバレありです。そして、個人的思い入れたっぷりで長いです。

ベルばらで有名な作者が、1976〜1981年に週刊マーガレット、月刊セブンティーンに連載したのが「オルフェウスの窓」。主人公は3人。ユリウス、クラウス(アレクセイ)、イザーク。オルフェウスの窓とは、音楽学校の伝説の窓のこと。その窓から見下ろし最初に視界に入った女性と宿命的な恋愛をする、けれどもそれはオルフェウスとエウリディケの悲恋と同じく必ず悲劇に終わるという‥。

第一部は、20世紀初頭、3人が出会うドイツ・レーゲンスブルクの音楽学校時代。第2部はウィーンでピアニストの地位を確立していくイザークの物語。第3部はロシア革命を闘うアレクセイ(クラウス)と彼を追ってロシアに潜入するユリウスの物語。第4部は再びレーゲンスブルクが舞台。…最後の最後まで、第一部の伏線が生きていて驚かされます。多くの謎が満ちていて、ぐいぐいと読ませていく。登場人物が多彩で、みんな熱い。愛する者のために命がけです。イザークは音楽に、アレクセイは革命に、情熱を捧げた人生でもあります。

これは悲劇。ゴージャスな悲劇です。殺人やら自殺やら、登場人物が次々に亡くなっていくのに、読後に感じるのは悲惨さではありません(少なくとも私は)。せつなく悲しいけれど、けっして惨めではない。命の輝きそのものの美しいシーンがいくつも思い出され、それぞれが生ききった、と納得させられてしまいます。
細やかに心情を綴られた登場人物も、死ぬときや死後の描写はけっこうあっさり(死人の数が膨大なのもあるけれど)。作者の、人生観やポリシーが強く反映されている、と感じます。
いつまで生きられるか、どんな死に方をするかなんて、誰にもわからない。何が正解か、正しいかさえも。だからこそ、命ある限り、今をとにかく懸命に、生きて生きて生きよう。恋愛にも命を燃やし尽くそう。作者自身の情熱的な生き方と重なって、強くてしなやかな人生賛歌が、全編に響き渡っています。

ユリウスは、名家・アイゼンマイヤ家当主の愛人の子。母親の遺産目当ての野心により、幼いころから男のふりをして生きてきた女の子です。金髪の男装の麗人…というと、ベルばらのオスカルのようですが、メンタルは全く違う。もうめちゃくちゃ女子です。第一部は、アイゼンマイヤ家の秘密や財産争いが絡み、ユリウスを巡るミステリー色が強い。命を狙われるユリウス自身も大きな罪を背負うこととなり、それは、最終巻まで彼女を苦しめます。

クラウスは、バイオリン専攻の上級生。けれど実は、ロシアの革命地下活動をしていて、本名アレクセイ。音楽学校時代は、明るくやんちゃで頼りになる人気者。(第3部のロシア編では、精悍で王子様的…かな)

イザークは、奨学金をもらいながら音楽学校に通う苦学生ピアニスト。温厚で才能に満ちユリウスに片思い。(根が超生真面目だからか、第二部では、少し危なげな女に惹かれる傾向が?!)

女を隠して暮らすユリウスは普段は勇ましい言動ですが、クラウスの前では恋に胸焦がす女の子。こちらが照れてしまうくらい(ああ、初恋の女子ってこんな感じだよねという…)。クラウスが後輩の男の子をちょっとかわいがるだけで、やきもちやいてしまうほど。やがて、ユリウスの人生のすべてはクラウス(アレクセイ)への愛となり、第3部の、命がけのロシア行きへとつながっていきます。

第一部が、一番、少女漫画っぽいノリで楽しい。BL(ボーイズラブ)のムードもそこはかとなく。最初は誰も、ユリウスが女の子とは知らないですしね。同時に、「イケメンパラダイス」的な、あるいは「ストロベリーナイト」的な、女子願望も満たしてくれる。ユリウスは、いつも素敵男子たちに優しく見守られています。

第一部の、というより全編通して一番の見せ場は、クラウスが学校をやめロシアへ帰る場面でしょう。

ロシア革命に身を投じるために、列車に乗りレーゲンスブルクを離れるクラウス。ユリウスは、今度こそもう二度と会えないかもしれない!と、馬を走らせて、クラウスの列車を追いかけます。落馬するユリウス。窓からそれを見たクラウスは…
"あばよ ストラディヴァリ ただひとつの兄の形見。おまえ縁があるならいつかこの腕にもどってくるがいい 今はおいていく 今はおいていく!!”。鉄橋から川へ飛び込むクラウス。絶望して泣いているユリウスの前にびしょ濡れになって現れて…
ばかたれめ…おれを殺す気か
二人は駆け寄り木漏れ日の中での抱擁。枯葉の上に倒れこむ二人。それはそれはもう〜美男美女の美しい場面です。何度もリピートして見てしまう。

窓よ くすしき恋の伝説に語り継がれた窓よ… 恋するものたちは あすをおそれず 神をおそれず 瞬きの間にも 永遠を紡ぎ 抗いに身を灼き 闇をつんざく一条の閃光をおう 白き象牙の額をしたオルフェウスよ 竪琴をかきならしいでよ
こうした詩的なナレーションや心の声が随所で挿入され、それが、作品の大きな魅力になっています。

アレクセイ(クラウスね)のユリウスに対する愛がまったく揺るがないのもすごい。彼にとって、革命に巻き込むまいと心ならずも突き放してきたユリウスだけが、“わが不滅の恋人”なのです。
祖国の熱情のほかに まだ人を愛する余地が おれの心のなかにあるのなら おれの愛は 命の最後の瞬間まで のこらず彼女のものだ…
はーっ。革命という非日常戦闘状態とはいえ、これこそ最大のファンタジーでしょう。

ユリウスはといえば…第3部では、庇護される女子そのものです。軍人のレオニードという魅力的なキャラも登場します。ユリウスってば、10年以上もロシアにいながらもっと学べよ行動しろよとつっこみたくなりますが…。それが、ユリウスのキャラなのですね。第一部のキリキリと戦うユリウスは、生来の性格からすれば相当に無理があった。第3部では、“徹底的守られキャラ”。アレクセイ、レオニードはもちろん、どんだけみんなに守られているのか!という…。ユリウスは、ただただ、アレクセイが好きってだけの毎日です(精神の弱さと過酷な人生ゆえに、ひたすら安息を求めるしか生きようがなかったのですが)。そんなユリウスだからこそ、読者は乙女萌えしやすいんじゃないか。ユリウスのような奇跡的美貌はないけれども、どこか自分を重ねられる、弱いお姫様キャラに浸って楽しめる。長い間男の子として生活してきたユリウスには女の媚びがなく、初恋のアレクセイに対し、作為なくストレートに恋心をぶつけ続けます。そして、それを、アレクセイは、最後はしっかりと受け止めて抱きしめる。“はなさない…もう決して…!”まさに少女漫画の王道中の王道です。

けれど…何しろ激動のロシア革命の時代、二人の平穏な愛の日々も長く続くとは思えない。周りに不穏な動きは満ち、ユリウスの無防備さも、危険に拍車をかけていくのです。

第一部冒頭で、ユリウスとクラウスが無邪気にじゃれ合うシーンがあり、初雪が降ります。ほのぼの場面だけに、読み返すと末路の悲劇性が際立ってきてせつない。のちに、ユリウスにとって、雪は忌まわしい事件とセットされてしまうので…。記憶喪失のユリウスが雪を怖がるたびに、読み手の心もざわついてしまう。ユリウスの精神が完全に救われることは生涯ない、と予感させられるのです。

ところで、ユリウスもアレクセイもイザークも、モテモテ。彼らに恋しながら報われないキャラがたくさん出てきます。イザークに片思いのカタリーナは、やがて万人への愛に目覚めて職業婦人の道へ、アレクセイに片思いのアナスタシアは、気がすすまない結婚をしてまでも革命活動を支えたり…。一方、アレクセイにふられて憎しみをつのらせるシューラ。「苦しむがいいアレクセイ…わたしの苦しみを思い知るがいいわ…!!」最後はまさにデビルの形相。報われない愛をどう生きるか、というのも、隠れテーマと思います。
イザークのセリフが意外とシビアです。
きわだってよい人柄のゆえに 必ずしも好きになるとも またかぎっていないんだ
なにかひとつ 魂と魂がかさなりあう わずかの切りくちがあればいい

数多いわき役のセリフの中で特に強烈だったのは、アントニーナ。貴族の娘で美しく男性遍歴も華やか。地味な妹のアナスタシアをバカにしながら、でも、どこかかなわないというコンプレックスを持っている。そして、人妻でありながら、革命運動家で粗野な労働者階級の男と激しい恋に落ちていきます。憎いのに愛さずにはいられない男。
あたしのこのなりを見てよ!! だれにも負けないほど 誇り高い侯爵家の令嬢だった女の姿よ  たったひとりの男に 心も身体も狂いぬいて あさましいほどに乱れているわ!! 娼婦以下だわ めす犬と同じよ!!

は、激しい…。

寡黙で有能な軍人、レオニードの愛もせつない。時代の移り変わりを認識しながらも、不器用に自分の美学を貫いていく男。最期の独白が泣かせます。
わたしは軍人だ 生まれたときから 戦争のために働く 戦闘バチだった
けれど… わたしの生涯にただ2度だけ 自己への抑制を失い 乱れたことがある
金色のまばゆい髪をした 異国の少女を愛し 動揺した
短い生涯の終わりに そうして人間らしく 思い悩み乱れたことを 悔いてはいない

第一部と第4部で、二度綴られるダーヴィト(音楽学校時代の友人)の長セリフも印象的。
人間と人間の ふれあいというものは あるいは 一種の幻想なのかもしれない
魂を 狂気の中へ 解き放たれずにいるためには たとえ失望し 傷つくとわかっていても 人は愛し希望し 感動せずにはいられない とどのつまり 人間の魂というやつは 傷つくようにできているというわけだ‥!

作者の音楽に対する思い入れもちりばめられています。
ダーヴィト
バイオリンをひく自分の命の一瞬一瞬を なによりも たいせつにしようと思った。たとえ 世をおおうほどの 才能にめぐまれていないにしても…だ

ヴィルヘルム・バックハウス(イザークが尊敬するピアニスト)
それぞれがちがう手を持ち ちがうピアノを弾く けれども たしかなことは きみもぼくも…ともに美しい音楽にみちて 生涯をおくれるということです

音楽は人生と置き換えられる。たとえ世を動かすような才能や才覚がなくても、ひとりひとりの生はすべて輝くことができる。「オルフェウスの窓」は、自分の日常世界とはまったく違う、圧倒的に美しい悲劇の物語。だけど、普遍的な人生の命題についても示唆を与えてくれる、少女漫画の傑作なのです。


追記
ソビエト連邦をリアルタイムで知らない人も読んでほしいなあ(高校の副読本とか)。暴徒化した群衆の恐ろしさも、ちゃんと描かれている(けっこう辛い場面)。“うまく外交をおこなっていくためには あいての国がなにをのぞんでいるかを 慎重にみさだめて動くことだ“…なんてセリフも妙に心に残っています。ときに、外交や政治に非情はつきものだという現実。それでも理想を失わない生き方とは…などなど、考えさせられます。

追記
ベルばらを踏まえてのオル窓はこちら



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