2016年08月17日

「キレる私をやめたい〜夫をグーで殴る妻をやめるまで〜」(田房永子)を読んで

読んだのは少し前で現在人に貸し出し中。よかったです。

作者ほどではないけれど、キレることってある。
私の場合、怒るタイミングを逃し、怒りがたまって爆発って感じだったりする。人に怒りをぶつけることは大変下手です。一人でいるときも叫んだりもの投げたりしませんが、まさに血管キレそうに頭に血が上ることは…ある。よく、道歩きながらぶつぶつ怒っている人いるけど気持ちはわかります。
自分の頭の中に怒りしかなく何も手につかない、それは本当に非生産的な時間。
作者が試みている方法、とても参考になりました。ある程度知ってはいたけどより具体的だったので。
今、の状況に注目する、ということ。怒りは、たいてい過去を思い出したりこれから起こることを想像してワナワナとなっているわけだから、自分腹立ててるなあ、という現在の状態を冷静に見る訓練。
そう簡単に完璧成功はしないけれど、理屈を理解しておくだけでも違う。仏教の座禅にもつながる境地です。
キレる=自分を最悪の精神状態に置く、ということなしに、きちんと怒ることは続けたたい。

身近にキレる人がいるのも辛いもんです。作者のように、キレる自分をやめたいと意識している人だといいのだけれど、ただただキレる人だと厄介。
この本を読んで、しょっちゅうキレる人って心が満たされていない、というのはとても合点がいきました。
自分をふりかえってもわかるし、心が満たされているときは怒りに支配される度合いが弱まる。

「状況」ではなく「心」に注目してほしいというのもわかりすぎる。
あれ…これ以前にも同様のことを投稿した気もしますが…悩んでいるときは、ただただよりそってほしいので、意見はされたくない。どうしてもいくばくかの上から目線が入るから、とても傷つくので泣きたくなる。

すべての人間関係はケースバイケース。その都度、自分で考えなきゃいけない。人も思いも状況も、ひとつとして同じじゃない。

私は私自身の心と人間関係に、うまく折り合いをつけて生きていかなきゃ、です。


2016年08月16日

「リオデジャネイロという生き方」(中原仁/ケイタ☆ブラジル)を読んで

リオのオリンピック、もう後半戦ですね。
私は、ブラジル人が大好き。ブラジルではなくブラジル人の心。ブラジルの音楽もサッカーも、まったく詳しくありません。
ブラジル人好きの説明にいつも苦慮するのですが、私が伝えたかったエッセンスがたっぷりつまっているのがこの本です(ちょっと悔しい(^_^;)…)。まさにこの通り! 表紙の副題は「不安も悩みも笑顔に変える幸福の個人技」。

著者のお二人は、音楽でのブラジルつながりが深く、音楽の記述部分がたっぷり。でも、その部分をすっとばしながら読んでも十分楽しめます。

リオは遠いというだけでなく危険だからと、オリンピックの応援に行かなかった人も少なくないようです。そのイメージがブラジルのカラーとしてますます強く残ってしまうと悲しい、とブラジルびいきとしては思いますが…。
でも、きっと大丈夫。日本人がブラジルに行くとたいていブラジル人のファンになって帰ってくる。おそらくリオにいる選手や関係者の人達もそうなると想像します。

“みんなと同じであることを「拒否している」と言うよりは、ナチュラルにそうした意識がない” など。 楽しい気分になる言葉がいっぱい。

カリオカ流で生きよう! と きっと感じられると思います。


2016年08月14日

「君はどこにでも行ける」(堀江貴文)を読んで

堀江本、どれもとても売れているようです。今なら新書「99%の会社はいらない」とか。
彼の逮捕騒ぎのとき逃げ足早かった取り巻きたちは、今頃ほぞを噛んでいることでしょう。それを思うと、人知れず悦に入る黒い私です。
いえ、特に彼のファン、というほどではありません。でも、彼の存在は痛快。こんな風に日本で生きている人がいるというだけで、気持ちが救われる。堀江氏が語る「好きなことを好きなだけやる」生き方しようという主張には、年齢を重ねるほどに強く頷けます。

この本を読んだのは、堀江貴文氏とヤマザキマリ氏の対談部分目当て。私はヤマザキマリ氏が作品もエッセイも大好き。生き方の指針が似てそうなお二人対談が盛り上がらないはずない、と確信していました。
対談の章のタイトルは「ブラック労働で辛い日本人も、無職でお気楽なイタリア人も、みんなどこにでも行ける件」。
社会にそぐわない生き方は良くない、我慢して真面目に働くことこそ正義…そこから解き放たれることで日本人は随分幸せになれる。100年くらいかかりそうというヤマザキ氏に対し、若い層は10年で変わるという堀江氏。
「日本には、まず社会に認められない人間はダメなんだという暗黙のルールがある」という、冒頭でのヤマザキ氏の言葉が心に残りました。
社会=世間で、世間とは実体のないもの。義務教育、進学、就職と人生を歩み、結婚し親となり家庭を築き、すべて滞りなく人生をまっとうし…って枠に沿って、人を判断し値段をつける。他人からの値段付けはコントロールできないしなくすことは不可能だけれど、それより深刻なのは、その枠を基準にして自分自身に値段をつけてしまう習性が私たちを辛くしていること。
自分は世間にokと認められる範囲におさまっているかどうか。「正社員」「既婚」「子供を持つ」あたりが代表的なもので、それが満たされないと親不孝の言葉に自責される。
(「とと姉ちゃん」の台詞でもありましたね。「結婚して一人前」「そうでなきゃ親は死んでも死にきれない」「親ならみんなそう思ってる」。脚本家の確信犯的な台詞でした。)
今の時代多くの人が「人はそれぞれ生き方がある」「自由に生きていい」と言うし、本当にそう思っている。でもいざ自分のこととなると…。
その思考から完全に解放されるのは難しいけれど、そうしなければ生き難い人が日本には大勢いて、そういう人を堀江貴文氏やヤマザキマリ氏の言葉は元気づけてくれます。
機嫌よく人生楽しんで生きること。誰もができる、一番の社会貢献なのは間違いない。

堀江氏が語る「なぜ、日本の飲食店のレベルが高いのか」という話も面白かったです。確かに、誰もが参入しやすい業界かもしれないな。
それにしても初版が今年の3月末。なのに、時代の変化スピードが速すぎて、すでに今の状況にそぐわない部分もあるのが驚きです。
人生もたもたしていると、寿命があっという間にきちゃいますね。


2016年08月13日

「シン・ゴジラ」 現代の、無理なく観られる怪獣映画

*若干ネタバレあり。
先週観ました、話題の「シン・ゴジラ」。

破壊の場面に郷愁。
それだけでもう、ごちそうさま、です。一番の見どころはそこ。あとは、おまけみたいなもの。
遥か昔、よくTVで怪獣ものを観ていた頃を思い出します。

小学低学年のとき、ウルトラマン(帰ってきた、だったかな…)を観ていた私に、祖母が怪獣を指さし聞きました。「これは、ほんまにあるんか?」。
…「あるわけないやん!!」。そんなんあったら大パニックやんか〜。
毎週毎週こんなに怪獣がビルや電柱を壊しまくっていたら、世界はとっくに焼野原瓦礫の山。死者や怪我人続出。でも、そこは”つっこまない”お約束ってことは、子供心にちゃんとわかっていた。人間の恐怖はリアルに描かない。想像しない。

そういう大前提をちゃんと踏まえての、「シン・ゴジラ」。
懐かしい怪獣映画の気分を、きちんと味あわせてくれました。

ゴジラの造形を楽しむ映画なのです。それが、肝。
昔のまんまの撮影技術では、あまりにちゃちでしらけてしまうし、最近のハリウッド映画のようなもろSFX的リアル感じゃ、私たちが親しんだ”怪獣映画”じゃない。
その加減が素晴らしかった。
変態していくゴジラから、血液がぐにゅっと出る感じはたいそう気色悪かったけれど、それもギリギリOK。あれくらいはあったほうが、シン・の名にふさわしい。

冒頭の津波を連想させる場面に、はっとさせられ心が痛くなります。
でもあまりの生々しさから、私たちは瞬時に「東日本大震災以降の日本を描く強い意図」を汲み取り納得する。その期待を裏切らない台詞の数々が展開されていきます。
息苦しい日本社会。真正面からの批判も、皮肉やお笑いで茶化すことも許容されない中で、怪獣ファンタジーが、もの申してくれた。観終わった後のいくばくかの爽快感は、日本人ならではでしょう。
あくまで”いくばくか”であり、すかっと爽やか、ではありません。現実があまりに重たいからね。でも、今の時代の日本の空気と私たちの良識・常識を、作品に残してくれてことに感謝したくなります。

日本人なら、”あるある”の連続です。
ばかばかしい会議のうんざり感。杓子定規で眠たげな会議進行、途中で暗転、黒バックに白抜き「中略」の文字にニヤリとさせられる。そうそう無用の長会議!まともに聞いていたら身が持たん。きっと多くの人が小さく溜飲を下げる。

男ばっかり出て来る映画だけれどそれが日本の現実だし、全然嫌な感じはしない。主要女性3名は特異なキャラ、漫画チックでとっても楽しい。それぞれが怪獣との戦いの場で、ちゃんと重要な役目を担っている。
(闘いの場で戦力にならない女子キャラが出てくる映画やアニメはほんと観る気が失せる!)

一点これはちょっと〜と苦笑いしてしまうのが、クライマックス。ゴジラの巨大さからいって無理でしょ、これでとどめをさせるとは到底思えない。
でも、この、子供だまし的な展開と絵もまた、昔のドラマへのオマージュなのかな。映像に違和感があってもうまく脳内補完して観るべし。心和ませて鑑賞するのがたぶん正解です。
映画館出るときに、あれってどうよと笑いあった私たち。

「シン・ゴジラ」は、怪獣ドラマを観て育った人を楽しい気分にさせる。監督も同世代だしね。そして、「アオイホノオ」ファンの私としては、島田和彦氏、岡田斗司夫氏などに、ぜひ「シン・ゴジラ」について、詳細な解説と座談会をしてもらいたいです。

2015年09月30日

エイティセブン・クロッカーズ(二ノ宮知子)を読んで

「のだめカンタービレ」の作者が描く、オーバークロックの世界。
オーバークロック(以下OC)って?
それは処理能力の速さを競うパソコン界のF1!…なんじゃそりゃ?ですよね、ほとんどの人にとって。私も全然知らなかったし、6巻まで読んだ今でも、はっきりとは理解していない。なので人様に説明などできません。どうぞ、検索して調べてくださいね(不親切)。

ひとことでいって…おもしろーい!!
自作パソコンはもちろん、オンラインゲームもまったくやらない私にとって、未知も未知、存在すら知らなかった新世界。
さすがに毎日パソコンは使っているので、CPUとか、OSとか、メガヘルツとか、マザーボードとかは、聞いたことある。でも、やっていることのほんとのところは理解できません。が!わからなくても楽しめるんですよ。
わくわくしぱなっし!!
オンラインゲームで白熱バトル…ほんとなら、机に向かっているだけの地味な状態のはずなのに、躍動感に満ちていて飽きません。
そして、笑えます。愉快です。湿っぽいところがないのが、この作者の作風の魅力ですね。
主人公が、基本みんな明るくて楽しい!頬がゆるみっぱなし!

主人公男子奏は音大生、パソコン知識は人並み、ゲーマーでもない。なので、彼と一緒に、未知の扉を開けていく感覚で読み進めていけます。
偶然の出会いで一目ぼれしたハナと仲良くなるために、奏がOCの世界にはまり込んでいく、というベタな設定。が、一筋縄ではいかない感じが、導入部分ですでにたちこめていて、この予測のつかなさがいい。
ハナは、ヒロインらしくすごくかわいいビジュアルですが……なぜバイトがパイナップル工場?造花の内職?優秀な理系女子なのに?OCの天才、ミケ(男子)のドSわがままっぷりの吹っ切れ具合も抜かりない!

印象に残っているのは、奏の自宅での食事シーン。奏とハナとのOC会話。「マシンは?」「○○さんからビデオカードとポットのセット借りて…」「窒素もらって練習しておく事に…」。傍らで、聞いていた奏の母親と妹の、はあ?とした顔。「何の話してるのよー」の叫び。
これって、漫画アニメスポーツ数学化学文学歴史音楽韓流…分野は問わず、マニアックな世界に没頭している者とそうでない者との間におこりがちな、“あるある”ですよね。

なんらかのマニアックな楽しみを持っている人は、けっこう多いはず。
オタク同士でわかりあえる喜び、何の得(=お金)にもならないことなのに、夢中にならずにはいられないあの高揚感。

ちょっと心が疲れているなーって人は、特におすすめ。このバカバカしさこそが漫画の醍醐味!です!




2015年05月11日

「かくかくしかじか」(東村アキコ)を読んで

読んでいて、気持ちがすっきり、きれいに浄化されていく心地がしました。

こういう、大人になりたい。いや、年令的には十分大人なんで、
こういう、大人でありたい。

作者の自伝的エッセイ漫画。
美大を目指すために通っていた絵画教室の先生のことがメイン。
漫画家になるまでの紆余曲折人生を振り返ってのあれこれ。

先生がたいそう魅力的なのです。
なにがって、それはもう。
自分が夢中でやりたいこと、手放しで好きなことをちゃんと持っている大人だってこと。
その核がどーーーんとある大人って、なんて素敵なんだろう。

生徒たちや元生徒たちに思いが通じてなくても、
そのことに対して、“変な怒り方”はしないんだな。いや、かなり乱暴ではあるんだけれど、自分勝手な感情からではない。深い愛がある。
そんなことご本人はいちいち分析していたわけではないでしょうが、“自分のプライドが傷つけられた!憎し!”というような怒り方ではないということ。そういういい年した大人、とても多いでしょう?

“大人”として、ちゃんと子供を俯瞰して見て、受け止めている。

生徒たちは、先生の純な部分がわかっているから、先生が無茶なことやったり言ったりしても、ときにものすごく反発はしても、きらいにはならない。
もちろん生徒のなかには、先生と合わない者もいただろうけれど、先生自身は、そのことに傷つきはしなかったはず。去って行っても反発されても、仕方ないかって考え、次へと進む。

心から芸術を愛している先生。死ぬまで絵を描き続けたい先生。買ってきてもらったイタリアの画集に嬉々とする先生。
美大は行けるなら行くべきという絶対的信念がある。そして、自ら信じるスパルタ指導法に一切迷いなし。
でもって、指導者である自分に陶酔していない。俺の生徒たちだ!‥という、自分のアイデンティティを生徒からの尊敬にゆだねる気持ちが感じられなくて、すがすがしい。

自分がやるべきこと、がちゃんとわかっている大人であれば、
世の中の嫌なことやわずらわしいことに、心が奪われて身動きとられたりはしない。

先生が、スランプの生徒や元生徒たちに、たびたび言う
「描け!」
とにかく、うずくまるな。手を動かせ。それは、困難があっても立ち竦んだりせず、自分ができることをとにかく続けろ、という、誰にでも通じる教訓として、ずきん!と響きます。

作者はすてきな青春時代を過ごしてきたんだな。
若いときのパワーの素晴らしさよ! 人と人の出会いって素晴らしい。

先生の生き方を、肝に銘じたいです。颯爽と、生きていきたい、と思わされます。






2015年03月02日

「何を怖れる−フェミニズムを生きた女たち」を観て

フェミニズム?あーそういうのなんか苦手、って思う人ほど、ぜひ観て!と薦めたくなる映画でした。
1970年代から始まる日本のウーマンリブ運動。その中心的だった女性15人にインタビューしたドキュメンタリーです。先駆者の熱が伝わってきて楽しい(たとえばときわ荘物語で漫画を変えてやろうという若者の熱気に圧倒されるような)。明るいエネルギーに満ちていて、ポジティブな気持ちになる。女たちがたいそう魅力的です。小気味よい。

私の子供の頃、学習雑誌だったかの子供向け漫画のなかで、ウーマンリブの女性たちが描かれていました。女“だてら”に勇ましくデモをする女性たち。
それは、今思うと、はっきりと、揶揄と嘲笑の対象で、幼い私は、こんな風な女にはなりたくないなとぼんやり感じていたのです。そこにある、罠に気付かずに。
「ウーマンリブはブスのヒステリー」と、小馬鹿にされた時代。今もその風潮はあるけれど、昔のキツさは現代の比ではない。結婚しなければ女の居場所がなかった。その頃に、堂々と、自分はフェミニストと名乗り、男中心社会に怒っている、と表明した人たち。

横浜女性フォーラムでの上映のあと、松井久子監督と出演者・桜井陽子氏のトークがありました。
印象に残ったのは、桜井氏の「足元からのフェミニズム」。家庭や職場の中で…家事を夫だって主体的にやってほしい、女がお茶くみや掃除ばかりやらされる不満、そうしたことをはっきりと言い続けることの大切さ。

監督の「フェミニズムに距離を置いてきた」という話は、私を含め多くの女性の姿と重なります。
だって、波風たてて嫌な思いしてやりにくい環境になりたくない。そうやって、諦めてきた。そのことが、ますます、自分たちの生活を苦しくしてきたことに、まったく無自覚だった。

(中学生のリンチ殺人事件だって、関係なくはないんだよ)

20代の頃、職場のセクハラについて話をしていた女友だち。憤慨している人もいれば、困ったよと半ば投げやりに語ってくれた人も。
あのとき、一緒に、もっともっと怒ればよかった、私。そうしなかった自分。
嫌だよねえと、彼女たちを慰めた私。彼女の心に寄り添うふりをしていたけど、嘘。
そういうのはしかたないよね、うまくたちまわるしかないよね、と諦めていた。なんだっていつだって、そうだったんだ。

きっと女は成長するにつれ、ある遺伝子にスイッチが入る。「男に気を遣う」というスイッチ。人として相手を気遣うのとは違う。男中心社会を脅かすような言動をすれば、こっぴどく傷つけられるという恐怖。
ブス、って言葉、なんてこんなに傷つくんだろう。男に相手にされないということが自尊心を崩すのはなぜ。容姿とモテの問題は、もちろん男にもあるけれど、やっぱり切実さが違う。「女」として認められなければ、人間として扱われない‥かもしれない。

女は男に選ばれてこそ価値がある、プライドが満たされるという刷り込みから逃れられない。容姿に自信がない女も、可愛げをなくさず、男から「敵」とみなされないことが、社会で生きる砦。そういう諦めが根深く心にこびりついていて言動の規範となり、縮こまって生きてしまう。

時代はずいぶん変わってきたけれどね。
なんて言えるのも、私が十分年を重ねたことが大きいかも。

酷い男女差別を受けてきた意識はあまりなかったけれど、それこそが問題だったんだ。
昔、親しかったある男性の言葉。
「こんなこと言っちゃ悪いけど」とあえて前置きをした上で「こんなの、“女子供”のやるような仕事だ」と苦々しく言った。わざわざ前置きをするくらいだから、建て前的には差別的な言葉だって自覚はあったんだね。明るく尊敬できる人だった。“女子供”の言葉にいやーな気持ちがしたこと、はっきりそこで言うべきだったのに。黙っていた。この程度のことで怒ってもね、とどこかで感じていた。だけど、今だって忘れられないくらい、こんなに悔しい。信頼していた人の本音だったから余計にね。
この話に、それくらいたいしたことないじゃない!と反応する女性、少なくないだろうな…。

私は、虐待やいじめを受けた人の話を耳にするとき、その状況に想像力を働かせ、心情を理解しようと努める。でも、それはやはり一瞬で、次の瞬間からは、自分自身が抱える悩みでいっぱいいっぱい。他人の悩みをリアルには感じることはできない。
だから、
男に、女の悔しさを理解しろ、ということには、限界を感じるのです。だって、男社会の、男同士の、権力や社会的地位やもろもろの格付け競争はものすごく熾烈だ。今まで眼中になかった「女」を、同等の人間として扱う、なんて余裕がない者も多いはず。ましてや、あらゆる仕事の分野で有能な女が増えるにつれ、男というだけで保たれていたプライドを維持できず、イライラしている人もいるだろう。

でも、
もちろん、理解はできなくても、こういうことされたら女は嫌だろうな、という想像をはたらかすことはできる。一瞬でも。それは、男とか女とかの問題じゃなく、「弱者をいたわる」という人間性の問題。

空気を読まないとか、面倒くさい人と思われたくないとか、そういう気持ちに負けないで、「嫌なことやおかしいことは、諦めない」。

大人が、家庭や職場や地域や様々な場所でそういう姿を見せることが、子どもたちを救う。
嫌だ、おかしい、と堂々と言っても大丈夫だと思えない子供が、「困ったときは周りの大人に相談しなさい」なんて言葉を信じられるはずがないものね。

映画の中で、滝石典子氏が語った「人は支配したがるもの」―-常に心していなければいけないと思う。その気配を感じたらそのまま放置してはいけない。悪は増長する。諦めてはいけない。

上野千鶴子氏の「女性学はアカデミズムじゃなくアクティビズム」も、あーもう…そう、そうなんです。ちゃんと理論武装できる教養や知識がなくても物怖じしなくていい。感覚的に、自分が粗末に扱われて嫌だ、って思うことを表明していくことが大事。

身の回りの小さなこと、すべてと闘う気力やテクニックは持てないし、うまく表現できずあとから地団駄踏むことも多いだろうけれど、嫌なこと疑問なことには敏感に反応し、諦めず、口にすることを心がけよう。

「何を怖れる−フェミニズムを生きた女たち」




2014年12月30日

今年の締めくくりに…「受けて立つ!」(「放課後保健室」水城せとなより)

今年は、漫画読みだったなあ〜。

とりわけ、水城せとな作品にはまりました。
「失恋ショコラティエ」も最終回。2月に出るらしい最終巻が楽しみ。
&「黒薔薇アリス」2部、始まってほしいな。

水城せとなものーー
最初の出会いは、友人に借りたBL作品窮鼠シリーズ。
そのときは、うわーっ、心理描写がねちっこくて苦しいって思っただけ。
でも、しばらくするとまた読みたくなってきてね。中毒になります。

台詞がいちいち深くてねえ。

で、私の、今年の締めくくりのひとことは、
「放課後保健室」の「受けて立つ」。
これは、恋心を打ち明けられて迫られる主人公が、
自分の気持ちに迷いがあったりひるんだりして
逃げて躊躇してばかりの自分を叱咤していう言葉。

恋じゃなくても、すべてにあてはまるなあと思って。
仕事だとか人間関係のいざこざとか。
面倒だし心が苦しくなるし投げ出したいけれど、
そんなんじゃ、またどこかで同じような壁にきっとぶつかる。
みっともなくても、自分なりに、勇気を持って「受けて立つ」。

「受けて立つ」には
まず、自分の気持ちを自分で認めて、
それをちゃんと言語化して表に出す。
それを、何度も何度も試みた1年でした。

心の中って、だーれにも見えない。
言葉にしなければだーれもわかってくれない。

「どんなに大事なものも大きな傷も結局はすべて個人レベルの話でしかない」…
ってこれも、「放課後保健室」から(でも、だからこそ、の言葉が続く)

同じくホーホケから。
「もっと大きな試練と闘ってる人もいるでしょう。けど卒業できるかどうかは
問題の大きさとは関係ない」 
つまり、悩みに大小はない。

抜けだせない悩みは深い孤独と共にある。
圧倒的に、自分一人の、沈んだ世界。
だから、言葉で、外とのつながりを持ち続けなくてはいけない。

いろんなことが死ぬまであるけど、
その都度、すべてが、新しい出来事。
来年はもっとさらに「受けて立つ」気概でいきたい!




2014年09月20日

青年劇場「羽衣House」を観て

昨日、観ました。
青年劇場「羽衣House」。
登場人物は
福島の避難民と彼らを支える人々…と聞いただけで、
パス、と思う人も多そう。
大切なことだけど、でも気が重くて二の足を踏む、と。

でも、コメディなんです!楽しいです!
テンポよいです。2時間ノンストップ。場面転換なしなのに飽きない。
謎が続き、最後におおっ!こういうオチか…と。驚かされる。
笑えて面白くて。脚本がすばらしい!
最後をきれいにまとめすぎ、というのは好みではないけど、
でも、エンターティメントとしてはこれが正解なんだと思う。

弾む会話の中での台詞が鋭く心に響いてくる。
そうそう、人の心ってわかるもんじゃない、ってことが基本。
‥ってまさに今の私の、悩める日々の実感にフィットするよ。

福島のことを題材にして描かれるテーマは、普遍的で深い。
人と人の関係性のありかた、それが、世界そのものなんだと改めて感じる。

すべての立場の人が傷つかないよう配慮された脚本だとか。
人それぞれに、考え方も事情も違う。悪人は登場しない。

一人でも多くの人に観てほしい。

…が、もう今夜と明日の上演しかない!
新宿の紀伊国屋書店の上階・紀伊国屋ホールです。ぜひ!






2014年08月03日

「怪しい彼女」今年の映画で一番…かも

そんなに映画観ているわけじゃないですが‥
最近観た中では、最高に面白かった!
韓国映画ってすごいなあ〜!

70歳のおばあちゃんが20歳になるってお話。
主人公女の子のファッションかわいいし、
孫のバンドでボーカルとして活躍する様が痛快。
どの歌もとってもノリがよくて歌詞にぐっとくる。

そして、後半涙腺決壊しますよ。
わかりやすいエンターティメント。
映画はこうでなくっちゃ!

東京や神奈川ではそろそろ終わりだけど、
全国的にはこれから封切の映画館も。
もう一度観たいな。

http://ayakano-movie.com/






2014年07月25日

「麒麟館グラフィティー」の台詞

「麒麟館グラフィティー」(吉村明美)読んでいます。
まだ途中です。

主人公は、妙と菊子。
菊子の夫で妙が片思いしていた男は
とんでもないDV野郎です。

従順な妻に
暴力をふるう様はとてもリアルで…。
でも、バイタリティのある妙の言動は小気味よいし、
二人が暮らす、麒麟館の住人はあたたかいので、
救いと希望に満ち、安心して読める。
菊子がどんどん生き生きしてくるのもうれしい。

吉村明美の漫画の特徴は、
登場人物が熱く語り合う場面が多いこと。
たとえけんかでも、
こんなふうに胸の内を言葉にできたらいいなあと感じる。
けっこう、ズキン!とくる台詞があります。
しみじみと、心に迫ってくる台詞も。

夫に口答えできなかった菊子は、
自分がいかにひどい暴力を受けていたかを自覚。
あの人はひどい人だった‥と怒りをぶちまけたあとで、
夫のことを思い泣くのです。
事業で致命的な打撃を受け苦しむ夫のことを、
“どうしても、いい気味だと思えない”と。

そんな菊子を見て、
麒麟館住人の大学生(菊子に片思い)がそっと語る。
「菊子さんは純粋でやさしいけど弱い人なんです」
「そりゃ強くてやさしい人なら問題ないけど
やさしすぎて強くなれない人もいるでしょ?
それを弱いって言えばそれっきりだけど
その弱さを責めることなんて 僕にはできないんです」
「自分より相手が大切だ…って 
そんなの 責められないでしょう…?」

今日はこの台詞に、じんわり。



2014年06月25日

樹なつみ作品の女キャラについて

★ネタバレあり。

樹なつみ作品の女子は、サバサバしていて好き!…と思い込んでいたのは、昔読んだ「パッション・パレード」の印象が強かったせいのようです。なんといっても蕾ちゃん…小学生の子どもですが元気いっぱいで最高に楽しい。蕾ちゃんと零(零治)との兄弟げんかのようなバトルが大好きでした。霖のアメリカ人GFは、確か生徒会長でぶりっ子の要素がまるでなかった。リーダーシップに満ちた大人加減がよかったです。
「エキセントリック・シティ」のヒロインは、元警察官の女探偵。彼女のもとでバイトするのが、主人公のジャーナリスト希望男子大学生。アクションコメディで、主人公は、この10歳上の女探偵に惚れていきますが、明確な進展はないままで終わります。
そして、「花咲ける青少年」の花鹿は中性的元気美少女、「OZ」のフィリシアは、天才頭脳で頑固。二人共、行動的で一本気な正義感の持ち主。
こうした女キャラが、樹なつみ作品の主流かなと思っていたんですが。

違いますね。
「パッション・パレード」へとつながる「朱鷺色三角」は、横溝正史的血縁ドロドロ話で、女キャラは基本ダーク。
「八雲立つ」、途中までしか読んでいませんが、女の脇キャラ…うーんどれも大差ないみたいな。主人公男子二人との魅力の差が大きすぎる。好感度高いのは、島で神事を行う家の3姉妹次女のみ。あとは、主人公の闇己(くらき)のかっこよさにぽわーんとなってしまう軽薄女子、あるいはじ〜っとりとねばっこい性格。
デビュー作?かそれに近い「マルチェロ物語」では、主人公マルチェロと心通わせる女の子の気持ちが丁寧に描かれていて、けっこういい感じなのですが…悲恋に終わるのが悲しい。マルチェロのキャラ的にそれが自然とは思うけれども。
「獣王星」の女キャラもインパクト弱め。最後に結ばれるか?と思われたかわいい系キャラはやはり悲劇的な終わり方。男キャラ同士の葛藤、友情、絡みの方が、しっかり描かれています。
「暁の息子」の女キャラも、うーん、かわいいとは言い切れない部分がある…ちょっとばかっぽさが前面に出すぎていて。

どれも、主人公男子と仲良し男共との関係にとても力が入っています。女子は添え物。特に、「八雲立つ」は、BL二次創作者の大好物になっている模様。

女子の願望のひとつに「女の子にデレデレしないクールな男子」というキャラがありますから、それが最大限に表現されているのは見事です。
対して女キャラ、特に読者目線に近いキャラを置こうとすると、あまりにきらびやかな男キャラに負けてしまうというところがあるのですね。
作者は何より、ドラマチックな面白いお話を創るということに情熱を注いでおられるのだと思います。そして、とにかく、素敵な男性キャラを堪能する。そのための女キャラ。

藤本由香里氏の少女マンガ考察本で、清水玲子氏が、SFについて“花ゆめ系の作家は、辻褄が合わなくても、見せ場をどーんと作ってそれでひっぱっていく。それを読んで、あ、これでいいんだと。萩尾望都コンプレックスがなくなった”という主旨のことを語っておられます。その花ゆめ系作家って、もしかして、樹なつみ氏も含まれるような気がする(清水玲子氏インタビュー時期と樹なつみ作品時期の整合性は確認していません)。

だって「獣王星」なんて、受刑者が流される惑星で無法地帯的なはずなのに、わりと普通の洋服着てたり。でもまた、そういうのが、まいっかとあまり気にならなくなってしまう、というところがある。だって、男キャラがすごくかっこいいから(結局そこです)。

また「朱鷺色三角」では、本家で蕾が受けていた待遇…虐待を受けていた子供を離れで一人で寝かすかあ?…の酷さとか、蕾の母親の性格とか、近親相姦ドロドロさ加減とか、陰湿ムード全開していたのに、続編「パッション・パレード」ではがらりと変わって明るいアメリカ生活。このバランスがなんとも不思議で、異なるトーンに違和感もありつつ、ま、いっか、と。蕾がかわいいし、零もかっこいいし(やっぱりここ)。
「花咲ける青少年」における日本の中学校や由依登場シーンとも重なる、樹なつみ作品のちょっとしたちぐはぐさ。これは、「とにかくストーリーを面白くする」、「映画のような見せ場を作る」、ってことを追求されていった結果かと思います。

女子キャラの気持ちがとても表面的な描かれ方に感じるけれども、でもそれが、ストーリーや男キャラの素敵さを味わうのに邪魔にならなくていい。
「マルチェロ物語」のヒロイン、そして、なんといっても、「OZ」のヴィアンカは、あまりに念入りに報われない恋心が描かれていて、せつなさを通り越してイタくなってしまい、読後もひきずってしまうので。
こんな神々しい男たちに本気で惚れてしまったら、相当辛いに決まっています。

「OZ」のヴィアンカについては、別途。


2014年06月20日

樹なつみ作品から感じること(「OZオズ」完全収録版を読んで@)

「OZ」あー面白かった!
全五巻。最後のページをめくり終えてすぐ、また最初から読みたいと思った作品は久しぶりです。物語の力が真にすごい。
そしてキャラの魅力。主人公のかっこよさといったら♪推定22歳童顔の傭兵ムトー(男)は、ルックスも言動もいちいちしびれる。心まるごと持っていかれますよ。最後は切なくハッピーエンドで、カタルシスに酔いしれます。すべてにごちそうさまでした!と大満足。

ベルばらやオル窓については友人曰く「これはオペラ」。私も同感で、どんなにネタバレしてもOKだよね特にベルばらは、と思うのですが。
「OZ」は抵抗あります。特にラスト近くの怒涛の感動展開。この驚き、ぜひ堪能してほしい。これからしばらく「OZ」話をちょこちょこする予定ですが、そのラスト肝部分はなるべくぼかすつもりで…のつもりなんだけど。うーんやっぱり自信ない。すみません。熱く語らずにはいられず、だだもれネタバレしそう。

この作品が雑誌発表されたのは1988〜1990年(確かたぶん)。ベルばら世代はすでに社会人で、少女マンガから遠ざかっていた時代の方が多いでしょう。でも、「OZ」は樹なつみ氏のというより、少女マンガの至宝であり傑作。読んだらかなりの確率ではまります。私は、この作品を知らなかったのは人生の損失だ悔しい〜と思いましたから。
マンガ評論家のF氏は、「OZ」のムトーで“これだよ少女マンガのときめきは!”と久々に思ったとツィッター上で語っておられて、ほんとに、ベルばらや24年組のマンガを見て育った世代にとっては特に、ときめき成分がぎっしりつまっている。
男性キャラの素敵さ加減は、樹なつみマンガの最大の魅力。女性も、等身大よりは、ゾクゾクする美しい容姿のキャラが輝いています。「OZ」での圧倒的に美しい女性容貌キャラは、人工知能を持った機械人間の1019と1024。美男美女が絡むシーンは、は〜美しい。絡むといってもエロはありませんよ。「OZ」では、うっとりみとれてしまう場面がとても多いです。
「OZ」のヒロインは一応正攻法で考えればフィリシアで、こちらは平凡な容姿の少女。博士(ドクター)とよばれる天才少女です。最初の一読では良さがよくわからなかったのですが、読み返すうちに、精神面行動面での魅力がわかってとても深い発見がありました。

樹なつみ作品からは、「なんのとりえもなくても心優しければ素敵男子と結ばれる」という少女幻想の拒否、を強く感じるのです。
昔昔の少女マンガは、そういうお話がけっこう多かった気がします…かなりイラッとする感じ。今も一定数あるかと思いますが。レディスコミックなどにも。少年マンガにも「なぜこの冴えない主人公がこんな美少女に好かれる??」という作品が多く、そこはお互い様でしょうけれど。庶民の変わらぬ夢だから。
でも、やはり、魅力ある人間には相応の魅力ある人間がふさわしい。魅力のある者同士だからこそ高いレベルで引き寄せられる。
少なくとも、相手に依存することで心を満たそうとか、相手の魅力で自分のことを底上げしてもらおうという気持ちがくすぶる者は、ヒロインにはなれないのです。
精神的に自立し自分の意志を強く持っていることは、女の魅力の基本。自分がしっかりある女性だけが、たとえ片思いや別れることになっても、恋愛を充実させることができる。
樹なつみ作品は恋愛が主題じゃないものが多いです(「花咲ける青少年」も、一見“恋愛”を扱っているようでやはり主題ではないと感じる)。壮大なストーリーに恋愛要素を加味しているという体裁。人間ドラマの一要素としての恋愛感情。
「OZ」では、主人公のムトーが恋のせつなさに悩むという場面はありません。ムトーの周りでは、男も女も○○もみんなムトーに惚れてしまいますが。恋愛も含めての揺れ動く感情の物語。それを表現するための、近未来SF設定。“たるい”コマ(←ページ稼ぎのような)が一切なく、読んでいる間はただただ、命がけの冒険世界に楽しく浸っていられる。

アクション満載かつ抒情に溢れた上質な映画を、巨大スクリーンで観た心地になれる「OZ」。樹なつみ氏の世界観が最高に結晶化された作品と思います。



2014年06月15日

「花咲ける青少年」(樹なつみ)を読んで

樹なつみ作品は、むかーし、超能力もの?の雑誌連載を読んでいたし、男がかっこいい&女キャラがさっぱりとして媚がなくていいなあっていうのが、印象に残っている。お話に重いテーマを含んでいても、じっとりしたところがないのもよかった。

なんて、作者を語れるほどには読んでいません。すみません。ほんと数作のイメージだけ。でも、たぶんあたっているんじゃないかなあと。
で、お題の「花咲ける青少年」です。
1巻のみ以前読んでいました。そういえばラストどうなるんだろうと、最近ふと思い、一気に最後まで(分厚い全6巻)読破…はまりましたよ。そして、今月、特別編の最終巻が出たとネットで知って、特別編全五巻を大人買いしました。大人って幸せ♪スピンオフや続編をまとめたものです。あ〜楽しかった。エンターティメント満喫。立人(リーエン)のかっこよさは、“パネエ”ですね。

作品名を「花咲ける美少年(or美青年)」と、つい言っちゃう人は多いんじゃないでしょうか。眼福ものの素敵男子キャラ満載。超セレブの生活、国家的陰謀などなど華やか設定です。回りのイケメン4人全員が、主人公花鹿を心から愛するという、いかにも少女マンガな展開。花鹿は中性的キャラでいわばアマちゃんの能年玲奈。これも、虚構世界のイケメン天国妄想を楽しめる要因です。花鹿はかなりの重荷運命を背負っているものの、回りに愛がいっぱいで、常に高スキル男子たちが助けてくれるし、真に過酷な状況はま〜ったくありません。

単行本の表紙見ただけでもジャケ買いしたくなるかと…そしてその期待を裏切らないと思います。本編終了後特別編が発表されるまで16年?くらいのブランクがあったので、お話の中での時代の流れに齟齬がある感じですが、そんなの気になりません。ガラスの仮面だって、途中から携帯電話が突如登場していますしね。

ある子持ちママが「最近の少女マンガ読んでショックだった、(エロさが)凄すぎて」と話していましたが、これならきっと安心。夢があってキャラが魅力的で荒唐無稽な話なのに深いテーマも実は見え隠れして。母娘できっと楽しめる。

少女マンガをせっせと読んでいた頃を、思い出します。昔の、毎月別マを楽しみにしていた真に少女だった時代。その頃この作品を読んでいたら‥妄想が加速して現実世界に戻れなかったかも??

花鹿の唯一庶民の友人由依について。
由依は、花鹿がお忍びで短期間日本の中学校に通っていた時期にできた友人です。
その後も本筋とはまったく関係ない脇キャラとしてときどき登場。なごみ場面担当。
庶民目線で、ありえなーい美人男子ぶり&花鹿たちのゴージャスさにたじろぐ場面、楽しいには違いないのですが、なんか妙に複雑な気持ちになりますね。ぐっと、現実に引き戻される感覚。
あー私はこちら側=庶民側で、このお話には絶対にまじりあわない人間なんだーと。少なくとも英語はぺらぺらでないと。いや、フィクションの現実離れしたお話で、ありえない世界ですよ、わかっていますよ‥。
なんでしょう、この疎外感は。トーンが変わるので脳内リズムがちょっと崩れてしまうのです。

由依の楽天的天然ボケっぽいキャラは、庶民とセレブという違いはあっても花鹿と共通する点も多いんですけどね。

まったく違った庶民派トーンで、由依とユージィンのお話は読んでみたい。超能力ものも、同じ登場人物でトーンをがらっと変えて作品を出されたから、けっこうありかも。

次の樹なつみ作品は、OZを読もう!

2014年05月12日

青年劇場「みすてられた島」

青年劇場「みすてられた島」観ました。

青年劇場っていえば、もう社会派バリバリの演劇。
この「みすてられた島」もタイトル聞いただけで、
おもそーだなあ、今の気分じゃないかも、と思っていたのですが。

よかったです。
もちろんシリアスなテーマではありますが、
映画でも舞台でも滅多に声を出して笑わない私が、
くくっ…と噴出してしまいましたよ。
昨日の舞台は、観客の反応もとても温かくてよかったみたい。

戦後一時期、伊豆大島は日本から分断されていて、
大島の島民たちは、試行錯誤で、独立国家としての
「大島憲法」を創っていたそう。
その史実をベースにした、近未来劇。

青年劇場としては、初めて小劇場系の脚本家が執筆したお話とか。
テンポよく、登場人物がみんなまじめなんだけど笑えるんだな。
基本みんないい人なんだよね。

何かの本だったか発言だったか定かではないのですが、
ネトウヨに代表される、若者の右翼化は、反左翼気分としての右翼化だと。
左翼をきどってきた団塊世代やその少し下の世代の、ずるさ加減に鼻白むのだと。

そういう若者たちにも、無理なく受け入れられる描き方だったんじゃないかな。
自分の回りの等身大の生活とリンクして考えていける。
最後の、お父さんの熱弁も、今までだって言いつくされてきた理想論のようで、
でも結局個人の幸せもみんなの幸せもそこにしかないよね、と思える。年をとるほどに実感いたします。

舞台としてはチケット代そんなに高くない!のでぜひ。18日まで。紀伊国屋サザンシアター。
http://www.seinengekijo.co.jp/top.html

紀伊国屋ホールでやっている、俳優座「七人の墓友」も面白そう。
ラッパ屋の鈴木聡さんの脚本というので、きっと間違いない。
新たな親密圏のありかたという点で、
「みすてられた島」との相似点がたぶんあり、
今の、私の切実な関心のど真ん中です。





2014年02月09日

「失恋ショコラティエ」(水城せとな)を読んで

昨年から楽しみにしていた某TVドラマが今一つ…とがっかりしつつ、たまたま観始めたのが月9ドラマの「失恋ショコラティエ」第3話。原作者が水城せとなとは知っていたけど、なるほど〜“らしい”お話!と納得。以来、続けて観ています。
水城せとな作品は、友人に借りて2冊読んだことあり。「窮鼠はチーズの夢を見る」「俎上(そじょう)の鯉は二度跳ねる」。BL漫画です。恋心がこれでもか!というほどじっとりと描かれていて息苦しいほど。どういう着地点を見出すのか…とはらはらします。
「失恋ショコラティエ」もまさにそう!チョコレート店、チョコレート職人という技が効いてロマンチック感漂いますが、もう片思いの苦しさと愚かさでおなかいっぱい〜。
TVドラマでは、松潤が演じているから「こんなイケメンにこれほどせつなく慕われるなんて〜羨ましい♪」と女子心を刺激しますが…。慕われる側からすれば、一方的に熱い思いを抱かれるのは、なんとも迷惑な話のこともあるわけで。
好きになった側が負け…って「風と木の詩」のセリフであったような。いつもいつの時代も、好きになった側が、どうしようもなく翻弄されてしまう。それを、キレイな言葉でくるんではいけない。甘い期待をしてしまうのは仕方ないけれど、片思いの妄想で現実を歪めてしまってはいけない。恋はときに破滅につながるほどの、狂おしい感情。

原作本も読みました。既刊は7巻まで。TVドラマは、わりと忠実に原作をなぞっています。原作は完結していないので、TVドラマはどんな感じで終わるんだろう。続編に続くって感じになったりして。なにしろ、7巻は、怒涛の展開なのです!!ああ続きが早く読みたい!

主人公爽太の片思いの相手は、男心を惑わす小悪魔紗絵子さん。少女漫画では、王道の悪役キャラのはずですが、だんだん憎めなくなってきます。対して、爽太の店で働く薫子さん。爽太が好きだけど、爽太から友達以上には思われない。多くの読者は、薫子に味方したくなるでしょうが、読み進めるほどに、紗絵子さんへの憎悪や自己嫌悪に苦しむ薫子さんに、それじゃあだめだよっ!といらいらしてくるかと。きっと、それは、片思い経験者ならみんなが経験している気持ちだから。
7巻の、紗絵子さんと薫子さんのやりとりがいい。好きに本気も遊びもないという紗絵子さん。男に好かれたいという紗絵子さんの言動は、尻軽というより健全なセクシーさと感じます。紗絵子さんにはちゃんと同性の友人もいるようだし。もてない系女子を蔑む風情もないし。むしろ、さっぱり女子を無自覚に装っている薫子さんの方が、いやらしく思える。
かといって、薫子さんが、紗絵子さんのようにふるまえるはずもない。今後の薫子さんの行動が気になる♪

10代の頃読みたかったなあ。そうすりゃもう少しうまく恋ができたかも?(それこそ妄想?)
今、10代で(20代でも)苦しい片思いしている人は、ぜひ読んでほしい。恋はとても苦しい。そして、好きな人と結ばれても、相手の心のすべてを掴むことは永遠にできない。

片思いを通して、人の心の本質を深く鋭く描いた傑作と思います。8巻はこの春発売らしい。楽しみ!


2014年01月16日

「ゼロ・グラビティ」を観て

評判につられて観てきました。

宇宙空間に投げ出されてしまった宇宙飛行士の女性が主人公。
ほかに主な登場人物は仲間の男性一人だけ。
さて、この絶体絶命のピンチの中、二人は地球に戻れるのかどうか。
映画「アポロ13」とは、似ているようででも全然違う。
宇宙ものとかSFものとかのカテゴリーではない。

観終わったあと、ああそうか、って思う。これは、私。
際限ない宇宙空間の孤独。それはひとり一人の心そのもの。
直視できないほど、深い宇宙を抱えて私たちは生きている。
つかみきれない、どこまでも果てしない。

めまいのまま落ちていきそうなヒロインを、
仲間の男性が明るくこの世につなぎとめようとする(惚れます)。
たとえつかの間のかりそめだとしても、今、肉体を通じて感じるこの世界の確かさ。
水、土、風…大地をしっかりふみしめて、生きるという旅を続けることの正しさ。

宇宙では宗教を近くに感じるといわれるけれど、その心地を体感できる作品です。

2013年12月10日

gleeシーズン5 1〜3話を観て

先月、FOXテレビで先行放送されたgleeシーズン5の1〜3話。録画してくれた友人宅で上映会しました。

1話と2話はビートルズ特集。これも知ってるあれも知ってるって歌ばかりで、またどれも、ストーリーに合い浸れます。「All you need is love」の合唱が素敵でした。
カートがブレインと初めて会った螺旋階段、ブレインがカートの手を引き走る廊下。カートがブレインに一目ぼれしちゃうあのあの!シーンを思い出します。(そのあとの、Teenage dreamもよかったものねえ。gleeのパフォーマンスの中で一番好きかも、少なくとも私のベスト3内)

そして、コリー(フィン)追悼回の第3話。涙涙です。メンバーの熱唱が心に響く。サンタナの「If I Die Young」がぐっときました。私は十分生きた、という歌詞に泣ける泣ける。もちろん、プライベートでも恋人だったレイチェルの歌も…言うまでもありません。
最期はしんみりシーンだけど笑える。パック気の毒〜シュー先生ひどっ(^_^) そういえばフィンをgleeに入れるとき卑怯な手を使ったものね。

シーズン4で登場した新メンバーの出番は少なく、旧メンバーが前面に出てる。仕方ないね。新旧メンバー両方描いていこうっていうのが無理あったし。gleeクラブは、これからも負け犬のコンプレックス抱えた高校生たちを勇気づけていく、ってことだけソフトに伝える形の方がお話のおさまりがよい感じ。

gleeはシーズン6で完結らしいですが、glee好き友人曰く「シーズン6はニューヨーク組…レイチェル、カート、サンタナ…を中心に(ほぼそれだけ)描くって噂ある」。それはありえる。

2013年12月07日

「ダメをみがく」(津村記久子・深澤真紀)を読んで

対談集です。副題の「“女子”の呪いを解く方法」はいらないと思う。イメージを限定してしまう。

よほど太い親のスネでもない限り、働いて糊口をしのがないといけないわけで。そこに、自己実現ややりがいを求めすぎると苦しい。ならば気楽〜に働いた方がいい。どうにも我慢できないって限界は人それぞれだけど、その見極めを冷静に考える指針になる本です。

そうそう!と思うことがいっぱい。キーワードのひとつは「工夫」して生きる。真面目で優秀な女子が陥りやすい、がんばりやさんになってしまう罠。努力で解決できると考えず、工夫でしのいでいく。そうすれば、うまくいかなかったとき「このアプリはだめだった。じゃあ別のアプリ」と考えられる。

仲良しの友人でも、長年つきあううちにイラッとくる瞬間がある。向こうはたぶんとっくに忘れていて、私が根に持っていることは知らない…悶々。そういうことが何度も続いたり、よほど許せなかったりっていうのであれば、そのまま縁遠くなっても仕方ない。でも、ほとんどの場合それは勿体ない。
そういうときの気持ちの持ち方にも、とても賛同できた。
「自分はこんなにダメなんだから相手だってダメなんだ」ってこと。私のことを好きでいてくれる。嫌いじゃなく面白がってくれる人がいることの有難さを大切にする。
みーんな、ダメな人間で、だから、ほんのちょっとの、いいところを大切にして生きてくしかない。

そして、人生は、将来は…と考え出すとろくなことはない。そういうことを考え出したら心が暇な証拠。暇つぶしになることをちゃんとみつけておかなきゃ。

就活中または働いて間もない若い女性に強力オススメです。働く不安や人間関係のストレスがきっとふっとやわらぎます。

70年代は早稲田政経だって、女子の求人は中華料理チェーン店と自動車販売ショールームのみ。それ以前の時代は言うまでもがな。どんなに不況でも今はいい時代なのですよ。

*追伸
手前味噌ですが‥
稀人舎通信9号の特集「働くということ」も、女が働くということに鋭く切り込んでいます。20代40代50代女の本音と洞察。女性はもちろん男性も読んでいただけたらうれしい。

2013年11月30日

「女海賊ビアンカ」を観て

藤本由香里さんがツイッターで賞賛の嵐。
もうこれは観るしかないっ…と、当日券で鑑賞しました。
劇団つきかげによる上演!

「ガラスの仮面」の劇中劇です。
このマンガでは多数の劇中劇が扱われていて、オリジナル作品も多し。これは、そのひとつ。主人公北島マヤが、体育館の倉庫で一人芝居の舞台をやり喝采を浴びる演目。それをミュージカル仕立ての舞台にしたというわけです。

ロビーには大都芸能速水真澄の紫のバラの盛り花もありました。

お話は…どうってことない…。
とてもマンガチックでわかりやすい。いろいろあれ?と疑問点多々わいてくるんですが。巧みな舞台転換、ダンスに歌、演出の見事さで、飽きることなく楽しめます。
もうそれでええじゃないか、って思います。
主要キャラを演じる役者たちが若くて伸び盛り。その輝きが舞台全体に満ちてさわやか♪

主役のビアンカを演じる唯月ふうかがすばらしい。令嬢時代のドレス姿も可憐だし、男装して海賊に扮するボーイッシュな様子もかわいいし。キュートな声で歌大変うまし。
イケメンぞろいの男優では、ビアンカを守り続けるしもべのアルベルトが、かっこいいですよ。アクロバティックな動きも見事。ただものじゃないと検索してみたら…テニスの王子様ミュージカルですでに知る人ぞ知る人気役者だったんですね。
アルベルトは、ビアンカを光、自分を影にたとえたり、他の男を思い続けるビアンカを見守り気持ちを押し殺して悶々としたりと、アンドレか!っていう。

ベタな展開と歯の浮く台詞は、気恥ずかしくもあるのですが、ミュージカルならではの楽しさを堪能できます。これで6800円は安いな。

東京は明日が千秋楽。大阪での公演も決まっているようです。ガラスの仮面劇中劇第1弾だそうで、今後も期待してしまう。
ジーナと五つの青い壺だったっけ…。あれが観たい。

「女海賊ビアンカ」公式HP

演出家インタビュー記事。

2013年11月21日

「悪の法則」を観て

リリー・フランキーの怖さが半端ないと聞いてこの秋観たいと思っていた「巨悪」。つい見逃してしまったので‥という理由だけでもないのですが、同じく裏社会を描いた「悪の法則」を観ました。

予想以上に…じっとりと怖い映画です。教育的映画ともいえそう。「裏社会につながったらおしまい」。
エンターティメント作品の爽快さはまったくない。えぐいシーンはそれほどないですが(2か所目をそむけましたが)、だんだん辛くなる。平凡な日常が突然反転して追い詰められていく。街中の普通に暮らしている人々とはもう違う世界に身を置いている自分。

緊迫感のままエンドロールに入り、えっここで終わり?と思うはず。期待したようなことはおこってくれず、それがまた真実味を感じさせてくれる。

ラブラブのフィアンセもいる弁護士男がお金欲しさに裏社会とつながりを持ってしまう、しかし命を狙われるはめとなり…という、ストーリーはいたって単純です。
しかし、なんというか、他の映画作品にはないリアルさがじわじわ迫ってきて嫌な汗かきます。映画ならではのダイナミックなシーンはいっぱいあるんですが‥後味悪いです。

任侠映画とかマフィアものとか、シリアス、コメディ、アクション、国際陰謀ものなどなど…あらゆる映画作品で、裏社会は扱われる。でも、それは、現実世界とはかけ離れたファンタジックな世界。

本当の裏社会は、つながってしまったら脱出不可能な暗黒世界…それを疑似体験できます。

主人公が“やばいかも?”と怖気づいて「自分をまきこむな」と言ったとき、「裏社会につながった者はもう逃れられない」と宣告されるシーンが印象的。同じようなセリフを、ある脇役女性も口にし同じように宣告されます。
安易な気持ちでつながって甘い汁だけすうなんて、できないしくみ。
あらゆる場面でお金で仕事を請け負う人々が入れ代わり立ち代わり出てくる。殺人や盗みに直接的に手をくださなくても確実に悪に加担している人々。罪悪感を持つことなく、お金のためにあぶない取引をすることに魅せられてしまう。

一生犯罪と無関係だったはずの人が、ちょっとだけおいしい思い(=お金)をしたくて、人生の破滅を招く。
ううっ、怖い。ほんとに。

私たちの生活の隣にある見えない社会。儲け話やネットのつながりや‥あちこちに誘惑の罠があって、ふとした弾みに陥るかもしれない。自分はもちろん、身近な気のいい友人や親族だって…。ぞくっとする感触がなかなか消えない作品でした。

*キャメロン・ディアスの度肝を抜くエロチックシーンが…苦笑。こんな大物女優が(たとえ代役?だったとしても)とびっくり。ハリウッドってすごいな。
キャメロン・ディアスといえば、私にとってはいつまでも、「ベスト・フレンズ・ウェディング(みんなでI Say a Little Prayerを唄うシーンが大好き!)」の音痴でかわいい女の子のイメージなんだけどなあ。年齢を重ねてもまたああいうキュートな役をやってほしい。


2013年11月13日

「世界よ踊れ」(ナオト・インティライミ著)を読んで

若者の海外旅行熱は低下している、ってずっと言われているから、こういう典型的能天気バックパッカー紀行を読むとなんか嬉しい。ほっとします。

世界を見てみたい!って気持ち、昔の若者はすごく強かった。
私ももちろん旅好きでした。海外体験は数えるほどだしそれほど冒険もしてないけれど。
今私の周りには、かつてバックパッカーだった中高年がいっぱいいて、集まると当時の話が弾んで止まらない。
まだ「地球の歩き方」もなかった時代に行く先々で情報交換しながら世界を旅した…とかね。60代の方の昔語りを聞くと、それはそれは興味深いです。パスポートにイスラエルの入国の印があるとアラブ諸国に入国しづらいから、押されないように画策したとか‥。名物宿もあったそうで。バックパッカー旅の変遷、通しで読んでみたい。

で、この本。著者は現在30代ですが、旅をしたのは20代半ばの頃。文庫本で読みました。
サッカーと音楽という世界共通語をふたつも持っていて、しかも明るい性格。行く先々で人々と気さくな交流を重ねていく様がたいそう健康的で、楽しく読めます。
旅行中、著者が何度も自戒していることは…「無目的のまま放浪し続ける旅人になってはいけない」。海外で無為に過ごしているだけの旅人ってかなりいるものね、きっと。

こういうエネルギッシュな旅をする若者っていいな、やっぱり。まっすぐな思いと行動力。

実際にその場にいかなくては感じられない空気感ってある。私の初海外旅はアメリカだったけれど、行ってみて初めて、人々の表情とか土地の広さとか…場の力を感じ取れた。住宅街なのに家から家が離れすぎ〜とか、ピザ大きい!とか、中南米の移民の多さとか…整理できないいろんな感動の嵐。そして何より、アメリカ人が大好きになってしまった。

大人になってからではできない、大人じゃ感じられない旅の醍醐味。若者だけに許される冒険の時間。
あの頃の旅のわくわく感を思い出して、幸せな気持ちになれる一冊でした。
「インティライミ」の意味もこの本を読めばわかります。

この方の音楽も聴いてみよう〜っと。NHKの深夜番組“生さだ”に出演されていたことがあって、著書のまんま、爽やかな好青年でした♪ 
それにしても…写真は誰が撮っていたんだろ?著者の旅写真がたくさんあるんですが‥その都度たのんでいるにしては…?一人旅ではない??

2013年11月09日

すばらしい世界旅行

本日は、学芸大学平均律にて、
岡村淳監督作品の上映会。

監督の処女作である「なめくじの空中散歩」。
「ブラジルの心霊画家」のドキュメンタリー作品も観ました。
どちらも、日本テレビ「すばらしい世界旅行」で放映されたもの。
岡村監督は、プロデューサーとして何本も関わっておられたのです。

あの!タイトルバック、音楽、ナレーション…!!懐かしい〜!!

小中学生の頃この30分番組を観て、まだ見ぬ世界に思いを馳せたもの…。
世界のあちこちに行ってみたい…!
当時、まだ海外旅行は高値の花で、一生に一度行けたらいいな…くらいの夢でした。
それが、その後、あれよあれよと、円高時代に入って…若者はこぞって海外に行く時代になったのです。

子供の頃の、ここではないどこかに憧れる気持ち、当時の家族の様子も思い出されて…。
今はもう、海外にも何度か行ったし、あの頃よりずっと広い世界に触れているのに。
結局どこへ行っても「自分」は変わらないことを悟ったこの数十年でもありました。

「すばらしい世界旅行」を毎週楽しみにしていたわくわく感。
今も、私の一部として、生き続けている。

追記
思い出した!番組最後に、「この木なんの木気になる気になるみんなが集まる木ですから…」って歌のCMが流れていました。その木の撮影?モデル?の木があるよと聞き、北海道旅行の折、豊頃の河川敷(だったと記憶してんだけれど‥)まで行って見た覚えがある。
木の撮影場所は、確かいろいろ変わったと思うんですが‥海外もあったのかな。

「すばらしい世界旅行」検索していたら、思い出しました。


2013年11月05日

gleeシーズン4まだ途中ですが‥

一気には見られませんのでぼちぼち…

うーん。
もうすでにFOXテレビの放送で全編視聴済みの方も多いでしょうが‥どう思われたでしょう?

卒業生が幅きかせすぎじゃね?って感じです。
ブレインやアーティーやティナやブリタニーだけではドラマ展開が難しいか。
いっそう、卒業生のみにしぼっても…。
エンターティメント王国アメリカですから、脚本は十分吟味されているでしょうが、シーズン3のあの盛り上がりで終わってもよかったかなあ‥って。迫力不足カタルシス不足は否めないと感じます。

とはいっても…!やはりそれはそれとして、大好きなキャラが出てくるのはうれしい。

卒業生がこれからどんな人生になるの?ってのもたいそう気になる。
gleeクラブ抜きにして、パックとか、サンタナとか、高校卒業後の一人ひとりを主人公にしたスピンオフドラマが観たくなる。

まだ6話までしか観ていませんが‥
軍隊を離れ、道がみつからないフィンが、
これからの60年を思うと反吐が出そうだ‥と苛立っているのを観て、
ああ、若いなあ…と(^_^)。老いることってまだまだずっと先の話だった時代。
でも、けっこうすぐ。60年はあっという間と気がつくまで意外と早い…。

ユニークの“居場所がほしかった”という言葉にじいんとしました。
国や年齢は違っても、
人は誰でも、自分の居場所がほしくてあがいている。
自分の居場所がはっきりしているっていうのが、きっと一番幸せなこと。

2013年11月03日

やっぱりスー先生♪@glee

gleeシーズン4のDVD&ブルーレイが発売され、
レンタルも開始です。

1巻は貸し出し中だったので2巻を借りて3話・4話を視聴。
悲しみを癒すのは日にち薬。
フィンの姿にもそれほど動揺せず、最後まで観られました。
ブレインの、Teenage Dream 弾き語りが切ない。
日系人女子?日本人女の子?の扱いがちょっと〜ですが、
こういうイメージなのかなあ‥。
日本でも、ドラマで外国人を画一的イメージで描きがちだからお互い様か。

3話のスー先生毒舌〜やっぱり最高です!
日本語訳と声優さんがぴったしなのね〜。
「よっ、ケツアゴ」ってシュー先生に声かけるとこから、きたきたきたーーっって感じ!


シュー先生が、gleeの大会向けアイデアが浮かばず才能ないんだと嘆いていると…
「そんなばかな」
「自分の才能のなさに気付いてなかっただけだ」
「あんたは、退屈な上に超単純なアドバイス吐くのが好きだろ?」
「大人の友だちいないってのもあんたの特徴だから、子どもに風船配るキモイピエロなんかもむいてそうだな」

ほか、口汚い言葉もたくさん使っています〜。この回はスー先生にしては穏やかな方だけど‥
あーすかっとする!スー先生毒舌を集めたダイジェストが観たい。

そして実は、スー先生とシュー先生は意外と仲良しなのもいい。
きっと、けんか友達として人生に欠かせない存在なのです。



2013年10月16日

ブラジル映画祭真っ最中

12日よりブラジル映画祭が始まりました。東京は18日まで。

おすすめは、「サントス〜美しきブラジリアン・サッカー」
サッカーに興味がなくても楽しめます。
ブラジル人のサッカー好きのメンタリティがよくわかる。
華麗なプレーにも見惚れてしまう。
こんなすごいチームに、カズはいたことがあるんですね。

心に残った言葉は、
「ぼくらは“テルマ&ルイーズ”」の
「女は理解しなくていい。愛すればいい」
家族におきかえて考えられる。というより人間関係全般。

今回のテーマは家族ってことですが…全体的にちょっとまじめすぎるかも??
「逆転夫婦!?」のようなおばかな作品もまた観たいな。


コーリー追悼回

今夜も台風のため
glee3放送は延期…2週続けて。

でも、観ると悲しいし観てないんだよな…

と思っていたら、gleeシーズン5の
コーリー追悼回の動画が、You tube等で出ているね。
黙認かなと思ったら、番組自体が公開している模様。

は〜っ…悲しい。
人が死ぬって、無になることなんだと思う。
もうその人の思い出は更新されることがない。

FOXテレビでは、シーズン5のこの回(第3回たぶん)までは、
先行放映するそう…観たい。シーズン4も観てないんだけど。

追記
この記事も泣ける…

2013年10月15日

「風童<かぜわらし>」(花輪和一)を読んで

「母がしんどい」の著者、田房永子氏のブログで紹介されていたコミック。気になって取り寄せました。ずっしりと、もやもやと、心に残ります。私の読後感は…どこか「沈黙」(遠藤周作)と似ている。ちゃんと救いはありますし、しみじみといい気持ちになる人も多いかもなんですが‥。

人生何が辛いって…何も起こらないから辛いんだってこと(作中にも確かそんな述懐があったかと)。

自分を救ってくれる奇跡は訪れない。嫌な奴に罰はくだされない。期待や保身にまみれて矮小に揺れ続ける心。
辛い状況の中から、何かしらの糸口をみつけて、じわじわと心を立て直していく。人生はその繰り返し。

人々が好む、映画や小説の多くはすかっと爽快。フィクションとわかりつつも、どこかそれを信じたいと思っている。脳内を興奮させて身もふたもない現実を忘れさせ精神的苦痛を麻痺させている…たぶん。
そうじゃなきゃ人は生きてこれなかったきっと。心を癒してくれる物語がなければ。

「風童」はリアルで。リアルすぎて…じくじくと傷口が痛む。
読み返す気分には、今はなかなかなれないけれども。
心にひっかかったまま、ずっと気になる作品だと思う。

2013年09月30日

世に二郎はたくさんいる(「風立ちぬ」を観てD)

*ネタバレあり

こうした天才が、ではありません。二郎クラスの薄情な人は、という意味で。

この作品を観て、二郎のひんやりとした人間性というのは多くの人が感じることだと思いますが、現実世界に、この程度の薄情な人間はごく普通に存在すると思いませんか?家族に親族に職場に…ごく身近に。
社会的に問題があるとか、周りから眉をひそめられる悪人とかいうわけではなく、むしろそつのないふるまいでときには魅力的にさえ感じられる人たち。

彼らに惹かれてしまったら大変。その片思いの辛さっていうのは、加代に象徴されますね。加代が女医になったのもきっと、聡明な兄二郎を慕う気持ちがベースにあってのこと。
二郎と加代は、蚊帳の中で枕を並べて眠るほど近しい存在の兄妹。なのに、二郎の加代に対する態度といったら。二郎にとって、加代は自分の人生に関係ない、いてもいなくてもよい存在。
黒川家にやってきた加代に対し、またしても(!)、来ることを忘れてたと言う二郎。たとえそうだとしても、です。加代の顔を見て嬉しそうな顔のひとつも見せない兄っていったい。元気かどうしてる?と、気にかけることがない。
加代の気持ちになると、せつなくなってしまう。兄の薄情さがわかりつつも、自分に強い関心を持ってほしい、愛情を向けてほしいという願いを、どうしてもあきらめられない。

いつも情の深い側だけがふりまわされ、悲しい思いをするのです。

情の深さ、他人に対する共感度というのは、個人差がとても大きく、グラデーションで存在し、二郎はそれが極端に少ない性質の持ち主。犯罪者や異常者のラインではないけれども。それどころか、多くの人に愛される、求心力を持っている。

もし菜穂子と出会わず恋愛をすることがなければ、たとえば本郷のように、「仕事のために身を固める」という理由で結婚するかもしれない。
本郷の場合は、たとえ見合いで互いに打算ありの結婚をしたとしても、長い年月の間に夫婦の情を育んでいきそう…たいていの人がそうであるように。年を経れば、けっこう奥さんと口げんかなんかしたりしてね。
でも二郎はきっと、結婚しても研究だけが生きがい。妻には優しく接し、経済的社会的には満足のいく状況を与えたとしても、どこか殺伐とした夫婦。二郎は、妻の心を慮ったりそのふるまいに心かき乱されたり、ってことがなさそう…妻にとってはそうとう精神的にキツイ。寂しくてたまらない。でも、その残酷さに無神経なのが二郎。

職を求めて線路をひたすら歩く人々、倒産する銀行に押し寄せる人々…。彼らを見ても、二郎は自分の世界と隔絶しているものとしてしか捉えられない。
自分の作っているものが兵器であることに心痛を感じてないのでは、という批評も多いけど。こういうメンタルで生きられる人っていうのも、けっこう現実には大勢いそうな気がする。うーん。私たちだって、多かれ少なかれそんな部分はもちろんありますが。

婚約者の菜穂子が喀血したと知り、彼女の家に向かうため急ぎ列車に乗る二郎。デッキで仕事をしながら流す涙に嘘はないだろう。でも、ベッドの菜穂子に走り寄り抱き合って放つ最初の言葉が…「きれいだ、大好きだよ」。…えーっ。ここは、まずは、「大丈夫か?」じゃないのか??
お山の病院で療養する菜穂子のもとへ届く手紙には、菜穂子の心情に寄り添う言葉がなく、3行目くらいからいきなり自分の仕事の話(←友人にいわれ2度目の鑑賞で確認した)。
菜穂子の不治の病ゆえの苦しみというものに対し、共感が薄い。もう、これは、変えられない二郎の性分。

ほとんどのエンターティメント作品の主人公が持つ、人に向けられる濃密な情…それが憎悪であっても…がないのが「風立ちぬ」の二郎。熱く血潮たぎるキャラではなく、淡々としたとても現実的な匂いが漂う主人公で、フィクションの美しい世界に浸りきれないひっかかりを感じてしまう。それゆえに、この作品を観終わった後、多くの人がなんとも落ち着かない気分にさせられるんじゃないかと思います。






2013年09月15日

「手紙をください」(西谷祥子)を読んで

*ネタバレあり。

少女マンガです。1970年代末の週刊誌連載。単行本は全6巻。
むかーし貸本屋だったかで途中までは読んだ覚えがあり、最後どうなったのかなあ、と気になっておりました。

で、先日、明治大学現代マンガ図書館で読みましたよ。(国会図書館には、残念ながら4巻のみしかない模様。どなたか国会図書館に寄付して〜)

そうそうこんな感じだった!と読みながら、懐かしくそして発見もありました。

昔、すごい売れっ子だった西谷祥子。
主人公がいつも文句なしの美少女ぷりだったような。他のマンガと比べても突出していたような…それはそれは憧れましたよ。私は、話の筋が好きだったというより(話に夢中になったのはやはり別マの美内すずえ!)、絵柄と共に全体的な囲気がなんかツボでした。昭和30年代ぐらいの少女小説の、良家の子女の世界を垣間見るような感じ。いえ、西谷作品の主人公の多くは、設定が庶民だったと思うんですが。雰囲気がとってもお嬢さん。ちゃんとしたお嬢さん、だった気がします。(細かなあらすじは、ほんとどれも覚えてないんだよねえ)。

で、「手紙をください」の話。下記、記憶を頼りに書くので、セリフ等は正確を期してはいません。

主人公は白樺若子、BFは三上次男。名前に時代を感じますね。中学3年生です。
若子ちゃんの恋愛模様のあれこれ。若子は10人並みの容姿ってことだけど、もちろん、絵柄はとってもかわいい〜&素直な性格です。
若子が長年憧れていた片思いの王子様は、家族と共にアメリカへ。その彼と、ある事件を経て文通をすることになるのでこのタイトル「手紙をください」。二人は文通を通じて友情を育んでいきます。
一方、王子様がアメリカへ行った後に、転校してきたのが、三上君。なんだかんだあって、二人は、おつきあいするんですが。もう、二人のバカップルぶりがよいですよ。トラブルの多くは、三上君のやきもちだしね。

今、読み返すと、いかにも昔の少女マンガなんですが、なーんかいろいろ深いものもありますね。思春期少女の戸惑いやネガティブな気持ちをちゃんと描きながら、でも暗くない。
初恋の王子様のときとは気持ちが違う、三上君をほかの女の子には渡したくないと、強く思う若子。「三上君のことになると、自分はドウモウになる」、と気付いたりします。なので、三上君に猛アタックする、美人で頭が良くてキツイ性格の女子との対決にも、負けちゃいないのです。じめじめしていないのがいいね。

三上君は、少女マンガの王道キャラ、つまりライバルいっぱいのモテ男子。健全でまっすぐな性格。アブナイ部分はまったくなくて、安心して読んでいける。

若子の恋する気持ちがとっても繊細に描かれていてよいなあ。時代は変わっても、恋心に変わりはないですね。何かに夢中になっている男の子にきゅんとしたり。初めて手をつなぐ、初めて抱きしめられる、のどきどき感もリアルです。

若子は、三上君に夢中ではあっても、盲目じゃないんだよね。三上君がやきもちから「あんなやつと付き合うな」と言っても、若子は、「それはおかしい。自分が誰と友達として付き合おうが、それは私が決めること」って意志をはっきり持っている。それで、三上君ときまづくなっても曲げない。
いろんなことを、二人でいっぱい話し合っているのがほほえましいです。

姉びいきで若子にはやや冷たい母親…というのも(重くは描いてないけど)、ああこういう気持ち母親にはあるかもと、今では感じたり。親子の愛情はあっても、なんだか気が合う合わないことって、普通にあるものね。家族だけじゃなく外に強く目を向けていくことで人は成長していく。家族以外の人の愛情を信じられるようになっていくのが、大人になっていくってことなんだなあ…。

若子には、双子のように仲良く育った同級生の従姉妹がいて、その子もアメリカへ留学。大好きな彼女なのに、ときどき暗い気分になってしまうことに若子は驚きとまどいます。貿易商という目標を持ちばりばり頑張る姿にコンプレックスを感じたり、先にBFができて差をつけられたと複雑になったり。
大好きで誇りでもある従姉妹なのに、制御できない黒い気持ちがふっとわいてくる。この加減もちょうどよいのです。

たぶん今の中学生が読んでも十分納得できる場面がいっぱい。全体的に明るいトーンなのもいいな〜と思います。

若子は、友人男子母親のことをとても尊敬しているのですが。その人が発する言葉は、今読んでもなかなかよいのですよ。容姿に自信のない若子に、おしゃれをするのは楽しいってことを教えてくれる。そして…
「10歳は10歳なりの、15歳は15歳なりの美しさがある。20歳も30歳も、その年齢の美しさがある」…心に浸みる言葉です。

三上君は志望校を超進学校に絞り受験勉強。で、若子は、無謀にも三上君と同じ高校へと考える。その理由は今だってモテ男子の三上君と高校が離れたら心配、ってことが一番。将来のこととかまだ全然考えてないあまちゃん若子…それもまた普通っぽくていい。実際大好きな両想い彼がいる中学生女子の心情は、今だって同じじゃないかな。(これからは女も仕事しなきゃ能無しって思われる、って若子のセリフ、別場面ではあったんですけどね)
無理な志望校を考える若子に、先の友人男子母親が諭すのです。「目標を高く持つのはいいことだけど、あまりに遠いと辛くなってよくない。精いっぱいの努力ができたということが大切(というようなニュアンス)」
で、若子は、少しだけ背伸びをした志望校にする(中の下っていう表現あり)。そして合格発表のときは、悔いなし!という晴れ晴れとした顔。

恋愛と友人と家族と。狭い世界の中で生きているっていうのは、いつの中学生も同じ。その中で、自分の思考を深め、いろんな気付きを得ていく。

読後感がとってもよいお話です。それにしても、若子ってば、なんてリア充な。

表題にもなっている、アメリカに渡った初恋王子様との手紙のやりとり。その、手紙がね。今だったら、中学生はおろか、中年世代だってこんな思慮深く品のよい手紙を書ける人がはたしているのかと。手紙って深い思いが伝わっていいですね、やっぱり。

西谷祥子作品、いろいろ読みたくなってしまいました。次は「あわ雪さん」、かな。

★明治大学現代マンガ図書館は、古いビル内にあり、古書の匂いがぷんとかおるスペース。図書館をイメージするとちょっと違いますが、古いマンガがいっぱいあって…こんなとこ通い始めたら、時間がどんなにあってもたりません。大好きだった山田ミネコ作品もけっこうそろっていたし。
山岸涼子の「押し入れ」の扉絵?も掲示されていて、心動かされたけど。読んだら後悔しそうなので(押し入れがきっと怖くなる)読めません…。


2013年09月11日

号泣glee3地区大会「Man In The Mirror」

glee3は、DVDや、春の集中放送ですでに観ている。
7月下旬からの放送は深夜だけど、それでも、なるべく観たいなあって思ってた。
フィンの訃報を聞くまでは…。

しかし‥今朝早朝というか、昨夜深夜は地区大会の回。
やっぱりこれは観るべと、久しぶりにgleeを観ました。

ああ…フィンの姿を一瞬見ただけで、
もう、同じこの地球上にはいないんだなあとうるうる。

そして、地区大会でのパフォーマンス「Man In The Mirror」で涙腺決壊。

今こそ目を覚ませ
鏡の中の男から始めよう
生き方を変えるんだ

目の前の自分を変えろ
立ち上がれ行動だ

立ち上がれ愛のために

フレーズに、フィン役のコリー…薬物依存と闘っていた…が重なってしまって。

学校に戻ってから皆で歌う「We are young」
レイチェルを見つめて歌うフィン。もう、新しいフィンチェルは永遠に見られないんだなあと思うと(T_T)

ぼくらは若い
世界に火をつけよう
ぼくらは太陽より熱く燃える

glee大好きだけど、まだ見ると辛い気持ちになってしまうよ。


*今、マイク役のハリー・シャム・ジュニアが初来日中なのね。
 gleeメンバーも撮影中に笑顔が戻っているらしい。
 生きている者は生き続けていかねばならぬ。みんな。

2013年09月06日

清々しい宮崎駿引退会見

「紅の豚」放送日に会見やるとは、鈴木敏夫プロデューサー抜け目ない。

宮崎駿引退会見、全部見たくて、ニコニコ動画のプレミアム会員になっちまったよ。
部分的にはTVニュースでやってるし明日もやると思いますが、1時間半すべて通しで見ることをお勧めします(期間未定でニコニコ動画で公開中)。幸せな気持ちになります。いい人生なんだなあって。特別ジブリに思い入れがなくても。

会見は、ほとんどが来場者との質疑応答。中には、失礼だなあとかいらっとする質問もあるのですが、どれに対しても、宮崎監督は紳士的かつ真摯に答えておられる。それは人としてあたりまえのことなんですが、なにしろここ数年は傲慢な政治家が記者いじめする映像を頻繁に見ていたので、とても清々しい気持ちになりました。子どもたちは、この会見全部見るといいのに‥。
相手が誰であろうと、人に対しては尊重する態度で接すること。その素敵さがわかると思う。

宮崎監督はリップサービスも交えて、とても正直にいろんなことを話されています。そして笑顔が多い!いい顔!
テレビでは報道しない部分…9条に関する発言(改憲反対)のことなどもたいそう興味深い。鈴木Pの9条問題発言に対し脅迫があり、それで3人だったら攻撃が分散されるだろうと思って自分も発言したとのこと。高畑監督はすでに発言されていたそうで。

監督やって楽しかったことはまったくない。でも、アニメーターになったのは、自分の天職でとてもよかったと。アニメーターとしての自負がとても強い。
「いい絵が描けたら2,3日、少なくとも2時間は幸せでいられる」。いいですね。熱中できるものに出会い、その楽しさはずーっと今も続いているんですね。

「自分は文化人になりたくない。町工場のおやじでいたい」
「私は自由です」

巨匠の監督として扱われることの居心地の悪さ、がずっとあったんでしょう。
自分は、高畑監督のような監督業ができる人間ではない。まわりに助けられながらやってきたことを熱弁しておられました。
また、自分の思想というものを周りから求められることの戸惑いも。自分が社会に影響を与えているのではなく、自分が社会の多くのものから影響を受けて、創ってきたということ。

鈴木Pのことは本当に信頼しているのが伝わってくる。
そして、高畑勲監督のこと、端々で楽しそうに発言されていました。
ほんとはこの場に一緒に出ようと高畑監督にいったんだけれど、冗談じゃないって顔で拒否された。だから、彼はまだまだ続けるつもりなんだろう。そう話す表情がいたずらっぽくてすごく嬉しそうで。

「ルパン三世カリオストロの城」は4か月半で創ったとか。あのころは、長編アニメ創れるなんて一生に一度のことぐらいだと思っていた。自分もスタッフもみんな若くてがんばりもきいた…そう。

1時間半の会見を終えて、というか、途中からもう、じいいんとしてしまって。目頭が熱くなってしまって。いいドキュメンタリーを1本観終えたような。
宮崎駿、高畑勲、鈴木敏夫。3人の出会いが奇跡的で深い。

やりたいことはやる人生じゃないと。好きなことだからがんばれる。

ひとつの時代が終わろうとしてるんだなあ、としみじみもしつつ…。
かぐや姫楽しみだ!
そして、来年夏にはジブリ新作品公開だと…!ここで発表するとはああ鈴木Pどこまでもしたたか。
鈴木Pの後継者育成の方が、ジブリ存続の要かも?

追記
ツィッターでつぶやいておられる方がいましたが…
確かに、宮崎監督、たびたび半藤一利氏へのリスペクトを話されていたものの、
マスコミではスルーでしたね。HPのインタビュー全文公開でもなかったような。
うーん。なんで。

一部分を切り取られることで、全体像が意図的に歪められることってあり得るなあと実感。
古くは、トシちゃんの、ビッグ発言もそうだったようですしね。
ネットって、問題点はあっても、やはりいいものだって思う。



2013年09月03日

空飛ぶ映像は大好きだけど…(「風立ちぬ」を観てC)

今までで一番好きなアニメといったら、ダントツで「ニルスの不思議な旅」。先月、NHKBSで、このお話に出てきたスウェーデンの地域を空撮した番組がありましたが、驚くほどTVアニメでイメージしていた光景でした。スウェーデンといえばこのニルス!を思い出す人も多いんじゃないかな(ある年代以上)。出てくる動物たちもかわいく、一緒に空を飛んで旅している気分になったっけ。ムーミンより身近な感じがします(国は違えど北欧括りてことで)。

宮崎アニメも空飛ぶ映像が欠かせない。それはとてもハイクオリティーで、映画館で観ていると心地よい浮遊感に浸れる。楽しかった―!っていう満足。「千と千尋の神隠し」の龍が水面から垂直に空へ昇るシーンとか、きれいで何度も観たいシーン。

「風立ちぬ」の空飛ぶ映像は二郎の夢の中だけだったかと。二郎は自分では飛ばないものね。空飛ぶシーンはそんなに多くなかったはずですが、その幻惑感が映画全体の基調となっていて最後までふわふわふわふわ。観ているときは没入していたものの、心地よい余韻ではないのです。あとになればなるほど、空飛ぶ映像がなんか悪酔いだったような気がして楽しい印象が残らない(空飛ぶ映像気持ちいいと語ってたんですけどね…やっぱり変な気分が残るなあというのがじわじわと‥)。

観終わった後に思い出したのは、アニメ映画「パプリカ」。他人の夢に入り込むお話で、夢の中を表現した映像が画期的でした。そうそう夢ってこんな心地。
眠っている間に見る夢って説明が難しい。脈絡あるようでないようで、まったく無意識でもなかったような映像が次々に連鎖し展開していく(つげ義春の「ねじ式」にも通じる)。そのなかで、ときに恐ろしくなったり楽しい気分になったり。揺れる映像とともに、自分の心が、心もとなく浮遊していく。
「風立ちぬ」の空飛ぶ映像、もしかしてちょっとやり過ぎだったのか??…と後から感じるのは、ストーリーとの相乗効果でそう思えるのでしょう。研ぎ澄まされたセンスと技術により、宮崎アニメの空飛ぶ映像はいつもたいそうダイナミック。でも、「風立ちぬ」の映像は、100%主人公の心象風景というべきもので、しかも純粋に見えて狂気をはらむという重層構造。その点が今までの作品と大きく違う。観客の心が二郎の(宮崎駿の?)夢とくっついてそれに翻弄される。それは、「パプリカ」の映像を思い出させ、覚めない悪夢に心身が囚われていく感覚がありました。

作り手も時代も違うのだからあたりまえですが、「ニルスの不思議な旅」での空飛ぶシーンはつくづく、単純に楽しめたなあと。ああいう作品を、気楽にのんびり観たい気分になっています。

あ、でも、もう1回は「風立ちぬ」観るかなたぶん。


2013年08月24日

「風立ちぬ」を観てBアニメと実写の違い&お姫様願望の呪縛

*ネタバレあり。

「風立ちぬ」を観て、初めて実感した。アニメやマンガって、優れた妄想加速装置。「そんなこと今さら?」と、多くの人にあきられるだろうし、あなたベルばら二次創作もの読んでるでしょ?ってつっこまれそうだけど。はっきりくっきりと自覚したってことです。私がベルばらやオル窓にはまるのは、これが「マンガ」だから。実写ものなら絶対こうはならなかった。

「風立ちぬ」を観ている間は、画面に夢中で必死でストーリー追ってるし、主人公の味方で応援モードだし。基本、二郎LOVEなわけです。私の気持ちは、菜穂子自身へと投影される。戦前お金持ちのお嬢様か〜と、憧れのライフスタイルを疑似体験。もろもろひっかかりは…特に二郎の性格については…とりあえず深く考えずにほっといて。観ている間はラブラブ物語に没入して心浮き立つ♪…のはずだったんだけど。
二郎の菜穂子に対する愛の賛辞は、「きれいだ」のみ。二郎が彼女の考え方や生き方に関心を寄せ、彼女の内面へとフォーカスしていく場面はない。どこか不自然な関係性。そのひっかかりを、完全にははずせなかったんだな。
結婚式場面で、二郎が菜穂子にささやく言葉「きれいだ」。そこで、さーっと背中に水をかけられた感じ。映像と自分との距離が一気に広がった。妄想スイッチがパチンと切れて、悲しい気持ち。「ああ、このお姫様は自分ではない」。まあそれは一瞬で、そのあとすぐ気を取り直しましたが。

「そんなのあたりまえじゃん!」…そうなんだけどね。
アニメだと、思いのほか、自分自身をその作品世界にすっぽり入り込ませて観ているものなんだなあ、と気付いたわけです。恋愛物語の箇所では、無意識に完全菜穂子気分ですよ。みんなそうじゃないのかな。男ならたぶん二郎気分。

花嫁姿の恋人を見て、きれいだとささやく恋人。それはとてもナチュラルなことで、素直に感動できる場面のはず。な・の・に…現実にひきもどされてしまうとは…!もったいない。

もし、この恋愛物語部分が実写なら、たとえ同じような脚本だとしても、こんなに気持ちが引くことはなかったと思う。実写ではどんなにファンタジーでも、生身の人間が演じる以上、圧倒的な「リアル」がある。あらゆるアニメ技巧を駆使しても創りえない、繊細な表情や動き、声のかすかなトーン。ただ立っているだけで揺るぎない存在感。底知れぬ心のひだまでがにじみ出てしまう。体温を持って存在している生身の生。その現実感が、観る側に妄想耽溺をセーブさせる。
実写の美男美女が繰り広げるあまーいロマンスは、美しい〜かわいい〜すてき〜ってうっとりしつつも、そこに自分を置き換えるってしない、っていうかできないですよね。自分とは違う人間、重層的な厚みのあるそれぞれに個性的な人間が演じているわけで、そこから目をそらせない。その上で、夢物語を楽しむ。作品世界への没入はあっても、妄想作用は少ないと感じます。実写物で二次創作している人も多いけど、でも妄想に限界があるように思う。

アニメは違う。アニメは、映像世界と自分とを地続きにして、どこまでも続く妄想への耽溺を許す(マンガもね)。
アニメの映像世界は、作り手により変幻自在。その世界の登場人物は、生身とは違って、作り手のセンスに100%ゆだねられたもの。そのキャラで現実世界にコミットしたお話を作った場合、違和感が大きいと、心地よい妄想が崩れてしまうのです。
実写のような現実感ではなく、アニメ的現実感が必要。それを損なわないように、恋愛物語を作るってたいそう難しそうです。心が究極に接近していく男女の物語。しかも「風立ちぬ」は、それを繊細に描こうとしている。そこに嘘くささを感じてしまうと、急速に妄想から覚めてしまうのですよ。

アニメ映像は、空を飛ぶとか海をもぐるとか、非現実世界を描くには最高によいのだけれど。
「風立ちぬ」の恋愛物語は、とても美しい映像で、そこに没入し尽くしたいのに、私はどうももやもや感から抜けられなかった。全否定ではないけれど、もっとこの恋愛妄想に耽溺したかったのに〜ってことです。

どこまでいっても二郎は“ひんやり”としたキャラに感じられて、本来あるべき恋愛の温かさになじまない気配がひっかかり続けて。そして、クライマックスの結婚式での愛のささやき。結局、そこかよ!みたいな。そこだけかよ!みたいな。深く心がふれあった上での、「きれいだ」と感じきれない自分がいて、妄想スイッチが思わずオフになってしまったようです。そして、ふっと悲しみがよぎった。

ここからは、その悲しみ話。
女性が幼い頃からすり込まれている、お姫様願望って大きいなあ〜!ってことです。映画「小公女」でセイラが「女の子はいくつになってもみんなお姫様なのよ!」って言っていたかと記憶しますが。たぶん、多くの女性が、そういう部分を持っている。ダブルスタンダードで生きている。

昔からお姫様の条件は、きれいであること、王子様に愛されること。というより、きれいでなければ王子様に愛されない。多くの女性は、成長するに従って、そんなことに囚われない知恵をつけて、気持ちの落としどころをみつけ、気の合う恋人も得たりしますが…。
でも、この呪縛はけっこう大きそう。「風立ちぬ」の菜穂子は、やはり、お姫様キャラだし、そこに自分を重ねて妄想するのは気持ちよかったから。

ちなみに、ベルばらのオスカルが未だに年代問わず人気なのも、人間性と仕事能力+お姫様願望が満たされているからですものね。

アニメは女性監督もいますが、多くの有名作品は男性監督によるもの。そこで描かれる女性キャラには男性願望が強く反映されていて、もちろん、監督によってカラーは違うのだけれど。やはり、男性キャラに比べて、ある程度パターン化されているように感じます。この話をつきつめていくと、ドラえもんのしずかちゃん入浴シーン問題まで話は広がる…。

「風立ちぬ」は、恋愛物語部分に最後まで気持ちよく浸れるかどうかが、鑑賞後の満足度をかなり左右すると感じます。

2013年08月22日

「風立ちぬ」を観てA誰が観ても二郎は…

*ネタバレあり

多くの人が様々な「風立ちぬ」評を語っている。それがもう多分、この作品が優れていることの証。おもしろくなかったら、みんな無視するだけですものね。

私は、大好きとは断定できない作品。好き、とも言い切れない。でも、気になって気になって仕方ない。感じたいろんな思いがいくつもの断片のまま浮遊して、うまく整理できない。
この映画に感動し号泣したという友人いわく「人それぞれ、抱える状況によっていろんな捉え方ができる」。うん確かに。
作品を観てそれを自分の言葉で語ることで、曖昧なままうっちゃっておいた自分の考え方生き方が、たちのぼってくる。そういう作用がある。

観ている間は…
@
夢の中で空を飛ぶシーンが気持ちいい♪
A
ごく普通に主人公に感情移入。当然二郎に恋する菜穂子に心はシンクロ。ロマンチック気分を味わった。ただ「美しいときだけを覚えていてもらいたかったのね」っていう、黒川夫人の言葉は聞きたくなかった。いやな気持ちになってしまった。

まあ全体的におもしろく、最後まで飽きることなく観られました。
が…
観終わった後…

B
は〜軽井沢で避暑。超エリートとお金持ちは、どんな時代であろうと優雅な暮らしだったんだな。
C
二郎が魅力的な人物としてまったく心に残らない。なんで?研究男子好きなのに。
D
個人の夢を純粋に追うことを絶対的に肯定…原爆開発の科学者も、同じね。もんもん。
E
堀越二郎は宮崎駿。
F
風が吹いているときは迷わずそれに乗れ。このメッセージはわかりやすいし、誰もが共感できるツボ。仕事にしろ恋愛にしろ。若い情熱たぎるとき。こわいもの知らずで進んでいける時期。
G
「戦前の美しい風景を残したかった」(観るまでの事前情報)ってことだけど。田舎賛美、昔賛美的なものに対し、田舎庶民育ちの自分は、いつも素直には賛同できないんだな。きれいなんだけど懐かしいんだけど複雑な気持ち。きれいであればあるほど、その向こう側の残酷が際立つ。
H
ラブラブ物語…だよね。でも「きれいだ」って以外に二郎の愛の言葉がなくて。なんだか不思議な恋愛模様。えっと恋愛?なのか。


まずはEについて。堀越二郎=宮崎駿。
CUT9月号の宮崎駿インタビュー記事によれば、監督自身は、堀越二郎=宮崎駿と捉えられるのは不本意だそう。そうなんだ。でも、誰が観ても絶対そうとしか見えないかと。監督、自分のことは、案外わかっていない??

二郎にしろ本庄にしろ菜穂子にしろ、酷い時代ではあっても酷い生活はちっともしていない。底辺で余裕のないぎりぎりの生活をしている大勢の大衆に対し、一握りのエリートと上流階級。
それは、そのままアニメ産業界の構造に重なって見える。大衆=無数のアニメーター。十分に表現欲を満たすことができるクリエーター(宮崎駿監督のような)は特権的存在。
大衆の存在なくして、エリートも上流階級の存在もありえないけれど、現実社会では分断される。
夢の世界に生きることが許される。それはとっても幸せなこと。たぐいまれなる才能でより大きな夢を叶えていく。そこに立ち続ける苦しさはあるけれど、そこにいるからこそ実現できる。

次元の高いステージに立ち、躊躇せず、より高みへと夢を追い求める。堀越二郎に宮崎監督を重ねるな、っていう方が無理ってもんです。

2013年08月21日

「風立ちぬ」を観て@唐突違和感シーン

*ネタバレあり。

宮崎アニメ、わりと観ているけど、どれも作品全体の流れはあまり覚えてない。テレビの再放送を熱心に観たりもしない。いつもストーリーには、それほど入れ込んでいないんだな私。お話のつじつまに疑問があっても、あまり気にならない。どれも、「ま、宮崎アニメはこんな感じ。それもよしなんだよね」と流していた。
ナウシカだけは、最初観たとき、そのテーマ性と処理の仕方がすごい!って感動しましたが。

私が宮崎アニメで惹かれるのは絵の美しさ。なかでも空を駆ける場面が快感すぎる…それを、「風立ちぬ」を観て確信しました。

小原篤氏(朝日新聞デジタルで「アニマゲ丼」連載中)は、「風立ちぬ」における空中浮遊映像を、ほとんど「淫する」状態だと表現しています。ほんとに。恥ずかしくなるくらいの恍惚感。これはやはり、おうちのテレビではなく、映画館の大画面でなくては堪能できませんね。

がしかし…今回、「風立ちぬ」は、あーきれいで楽しかった、では終われずにいる。もやもや感がものすごくて、落ち着かない。ひっかかっている。そういう方、とても多いようです。

報知新聞の特集号を購入し、「半藤一利と宮崎駿の腰抜け愛国談義」(半藤一利・宮崎駿/文春ジブリ文庫)、「風に吹かれて」(鈴木俊敏夫/中央公論新社)も読了。このところ、「風立ちぬ」のこと、宮崎駿氏ご本人のことを、ずっと考え中。

宮崎アニメは熱烈なファンがいる一方、まったく観ないって方もけっこういる。先日会った女性も「女の子の描き方がいや。抵抗ある」とのこと。いわゆるロリコン色を強く感じてしまうのですね。

「風立ちぬ」の菜穂子も、もちろんその範疇。絵コンテでは、21歳菜穂子のことを少女と記載しているそうで…。成人していても、造形として「女」ではない。
前述の書「風に吹かれて」によれば、宮崎駿氏本人の作品企画として、60歳男性と18歳女性の恋愛ものがあったそう。宮崎駿氏が熱心に多数の絵コンテを描いていたとか。これを、プロデューサーの鈴木敏夫氏が断固阻止。実写ならともかくアニメで観たくない、と。

「風立ちぬ」で、私が一番、違和感が大きかったのは、二郎の通う学校(大学…かな)に、計算尺が届けられ、教室から飛び出し玄関からグランドを見渡す場面。そこで、お絹の後ろ姿が描かれているのだ。
えーっ?? なぜお絹?
ここは何にも描かないか、描くなら、お絹と菜穂子二人でしょう!お絹の後ろ姿に、手をひかれる菜穂子が首だけこちらを向けてにっこり笑っている…そんな絵なら二郎の心の動きとしてしっくりきます。

震災の場面で、二郎がお絹に心ときめかせている気配は皆無(だったと思う…もう1回観てみようかな)。お絹は最初から、二郎にとって眼中にない脇役。お絹の魅力は描かれていない。二郎はずっとお絹をおんぶしてドキドキはしただろうけれど、でもそれよりは、菜穂子(12歳設定らしい)のことが印象に残っている…そういう描き方。菜穂子とのやり取りに心弾んだはず。恋愛感情ではなくても、絶対にそう。
下宿にもどった二郎が、女のお客さんが来たと聞き慌てて部屋に向かうところだって…もしかしてお絹かと思ったようですが??変。唐突過ぎる。

私はこれらのシーンは、宮崎駿氏自身の「私はロリコンではない」という、遠回しな弁明と感じられる。その真意を知りたいなあと思ってしまいます。

追記
まだ2回目は観てないけど。膨大な感想や批評がネット上に出ていますからね。それによると、二郎がお絹を気にしているシーンはあったとか、常に女性を目でおっているとか←いつも人の話はうわの空できょろきょろしてるってのは印象にあるけど。
そうだったかな〜。お絹にね…記憶にない。
私には、主人公が(というか宮崎駿が?)お絹に恋していたって記憶がまったくないのだ。注意力足りないかなあ‥。だって観客として観ていたとき、菜穂子がとにかくかわいらしく、彼女と外国語で詩の暗唱しあうなんて、二郎だって強烈に心に残るでしょうよ。
お絹がそれほどチャーミングに描かれていなかったのは確かかと。やっぱり、唐突弁明的なシーンと私には思えます。

追記の追記
成長した菜穂子が、“お絹は結婚して子供もいる”と一生懸命二郎に説明し始めたときは、あれ?と思いましたが。菜穂子が、二郎はお絹に気があったと勝手に勘違いしてる? やはりここも唐突と感じた場面でした。

2013年08月15日

「風立ちぬ」音楽を耳にして

昨日NHKで、ジブリとディズニーの映画音楽番組をやっていて、「風立ちぬ」のところで、うわっと涙があふれてしまった。

「意志的に生きる」という言葉が浮かんだ。
私は私の意志の責任において生きるんだということ。そのことだけに熱意を持つ。思い通りにならないことに心を煩わされるな。それが、自分の人生を生きるプライドだから。(菜穂子はともかく二郎をそう単純化して語れないことは、重々承知しつつ)

不意にわきあがった強い思い。人それぞれその時々の心の状態で感知するものが違ってくる。

期待するまいと思っても、つい思い通りにならないことに悲嘆する自分の心に、響いてしまったようです。

2013年07月15日

gleeの訃報に接して

旅先で知った、フィン役コーリー・モンティースの訃報。

gleeにはまりはじめた当初は、フィンのこと、それほど魅力的とは思っていなかったのです。

でも、だんだんと、高校生らしい、おばかで単純で(レイチェルの胸を触らせてくれと“キリストースト”に祈る回とか!)、そして純粋で優しいフィンのことが、大好きになった。なんていいやつなんだ〜!シーズン3の最期の決断は涙涙…。
特別な何かの才能がなくったって、ヒーローになれないままだって、すばらしい人生。愛すべき人物とはこういう人。フィンは、世界中のgleeファンの心に生き続ける。

演じたコーリー・モンティース本人のことは、よく知らない。

「人に感動を与える」って、それだけではおなかは膨れない。
世界の難問の解決の特効薬でもたぶんない。

でも、gleeを観て感じた強い思いは、私の人生をおそらく少しは変えている。
ほんの少しでも、“良い方向”へ。そういうベクトルが、世界に、たくさん生まれた。

フィンがいないgleeなんて、今は想像がつかないけれど。ショックだけれど。
始動し始めたシーズン5、フィン抜きでもできるのか、というより、プライベートでも恋人だったレイチェルが、メンタル面で難しそう。

フィンチェルの歌声、大好きな結婚式の回のパフォーマンス…。きっとこれから何度も思い返すと思う。

フィンの人生をドラマの中で完璧に生き続けたコーリー・モンティースの偉業に敬意を表し、感謝いたします。







2013年07月12日

「野心のすすめ」(林真理子)を読んで

おすすめ本、というわけではありません。
それはどうよ?と思ったり、相当鼻に突く部分もあったり。でも、林真理子氏が「自分の性分とうまく折り合う人生」を体現してきた点、すごいなと思う。
変えられない性分とうまくつきあうって、誰にとっても生涯かけた課題だから。

人に一目置かれたい、人に見くびられたくないという思い。たいていの人はどこかで、何かの理由をつけ自分を納得させる。
林真理子氏は、自分のこの強烈な野心は静められない、何が何でも実現できなければ自分は生きられないと、強く自覚し行動した。自分の性分を、一般論的常識でなだめたりはしなかった。

デビュー作「ルンルンを買っておうちに帰ろう」は、衝撃的でした。こういう手があったのか!と思った。これなら私だっていっぱい経験しているわー、ほんと理不尽よね―と。でも、それをこういう形で表現できる女子はやはり当時はいなかったのだ、彼女以外は。自分の醜さみじめさをさらし尽くす…その勇気を持った先駆者。

きれいに幸せそうにふるまっていたい女子願望。そこからは、大きくはずれていた。

使いたくない言葉で大変失礼ですが、この場限りで使います。ブスという言葉。
ブスという言葉の破壊力は凄まじい。たいていの美しくない女子は、ブス!と揶揄されないよう、おとなしく可愛げを持って生息するしかなかった時代。ブスはそれだけで、異性からも同性からも軽んじられる。ブスは目立てば叩かれる。

林真理子氏は、若い頃かなり生意気だった、と述懐している。愛嬌があれば、愛されキャラでいけたかもしれないが、そういう風にはふるまわなかった。たぶんふるまえなかった。
生意気な女子でも、美しい人は、「美人だけど生意気」になるが、そうでないものは、「ブスのくせに!」と容赦がない。

林真理子氏は、どんなに叩かれても、自分は美しくなりたい、って願望をストレートに語った。それもとっても新しかったです。

自分のランクを最高にあげて、自分をばかにしていた者たちを必ずひざまずかせてみせる!…って生き方。心情的には理解できても、それを実現させてしまうっていうのは、やはり稀有な存在です。

「野心のすすめ」では、結婚や出産のすすめも、珍しく力説しておられますね。
不妊治療の末、念願の出産をされたときのエッセイをおぼろげに覚えている。我が子のことはエッセイのネタにしない、という決意表明。出産はすばらしい、出産した女はえらい、という風潮に迎合しない、という意志。完璧な家庭が持ててシアワセと、臆面もなく“女の勝利感”を醸し出すような人間にはなるまいと。
本当は、子育てをすればするほど、書きとめたい母としての心情がたくさんあっただろうな。未婚子なしが多い時代、どう書いてもそれは鼻白む自慢話…そういう判断もあって、我慢してたんじゃなかろうか。

もうね、この人は、シアワセ家庭自慢も悔いなく存分にしてくださいな、って思う。それが持ち味って思う。読むかどうかはさておき。
好き嫌いはともかく、やはり80年代のエポック的な女性なのです。

2013年06月08日

進撃の巨人

既刊10巻で今9巻途中まで読んだ。

む、難しいよね‥だんだんとついていくのが大変というかちゃんとついていけてない。
でも‥です! おもしろーい!! 勢いで読まされてしまう。

昔昔の、漫画家さんは、一人の人が考え絵も描いていた。今は、どんどんストーリーが複雑化緻密になり、ほころびが少ないメガヒット作品が多くなったように思うけど。
なんか、この漫画は、作者の妄想情熱がどわーーっとほとばしっていて、いいね!

人生訓ぽいセリフもツボにはまる。

我が家は観られないけど、アニメもよさそうね。予告はネットで観られる。
あの、空中を自在に飛び回るのが、かっこいいし、楽しそうだしやってみたーい。

女子にちゃんと十分な戦闘能力があって気持ちよいわ。すっきりとした女子キャラたち。(昔、宇宙戦艦ヤマトにはまれなかった大きな理由は、ある意味慰安婦的女子‥いなくても戦闘能力に問題なしというより足手まといだろっ的…存在が受け付けなかったから。幼顔にセクシーボディとかロリコン的なキャラが出てくる漫画も‥これは青年誌?か‥も気持ち悪いし。女武器にする=女の容姿に弱い男を手玉に取るなら、もうふじこちゃ〜んくらいじゃないと)

兵士としても人間としても男女は対等。こういうのは作者の無自覚の意識が表れると思う。

まだだいぶ続きそうだけど‥あまり長くなり過ぎない程度でお願いしたいな。20巻くらいか長くても25巻ぐらいで。そのうえで、このとんでもない妄想世界を最期まで爆走し続けてほしい。


2013年06月05日

「きっと、うまくいく」を観て

様々なメディアで絶賛されている映画。
“あの”インドテイストは、ほんの少しサービス程度で、誰もが楽しめるエンターティメント作品です。

後半は、あの伏線ここでこうきたか!…っていう快感が次々やってくる。「穴」(ルイス・サッカー)読んだときに似てる。映画なら「運命じゃない人」とか「アフタースクール」とか「キサラギ」とか‥。お話のパズルがどんどんはまっていく醍醐味は久々♪

わかりやすい悪役キャラも◎。オチがばればれのネタもあるんだけど、それがまたよいのですよ。黄門様の印籠や遠山の金さんの桜吹雪と一緒。来るぞ来るぞ来るぞ…キタキタキタキターー!という快感を存分に味わえる。

テーマはとっても普遍的で、台詞や歌詞もいい。特に印象に残った言葉は、「成功はあとからついてくるもの」。成功のために努力したり、先々の心配から用心深く生きたりしても、どうなるかは誰にもわからない。観る人それぞれ、人生の大事なことを思い出させてくれる。

好きな場面は‥ヒロインが「ランチョー(主人公の名ね)大好き!」って思わず言っちゃうところ。私も大好き!って心の中で叫んじゃいますよ。

映画が終わり明るくなった観客席で、おもしろかったー!という声と笑顔。み〜んないい気分なんだなーって思えた映画でした。


2013年06月02日

SHERLOCK

SHERLOCK2の最終回を再視聴したら…あ〜シーズン3が待ち遠しくてたまらない!もう撮影は終わったのかな。日本で観られるのはやっぱり来年?

70年代小中学生の多くは、怪人20面相、ルパン、シャーロックホームズは一通り読んでいたように思う。今は違うんだろうね。

大人になってからはすっかり忘れていたシャーロック。
「世紀末ロンドン・ラプソディ」(水城嶺子)を読んで、シャーロックの熱烈ファンをシャーロキアンということを知った。シャーロックの世界をネタにした小説が世界にたくさんあることも。(当時、オタクという言葉はまだなかったような。二次小説…ってのも聞いたことなかった。しいていえばパロディ小説??コミケは‥あったのかな。でもまだごく一部の人が知っていた程度)

そして、また再び、出会ったSHERLOCKの世界。現在進行中のBBCドラマは、原作の魅力を生かしつくした究極の2次創作(と言っていいんだよね)。はやくシーズン2最終回ラストの謎解きが知りたい。ワトソンの喜ぶ顔が見たいよ♪

*検索したら…「世紀末ロンドン・ラプソディ」の発売は1990年で、当時もう、オタクって言葉はありました。でも、とってもネガティブなイメージで使われていたと思う。







2013年05月30日

文藝別冊「総特集山田太一」を読んで

今発売中の、KAWADE夢ムック。即買いです。語り手の中には疑問の人選もあり一瞬迷いましたが‥それでもやはり!これは買っておくしかない。
山田太一氏のドラマが日本に存在しそれを好む人が大勢いるのは、それだけでどこか安心!大丈夫!と思える。

冒頭の書きおろしエッセイと奥田英朗氏の文章が、山田太一氏の魅力と本質をよく表していると感じました。

世の中えらそうな人で満ちている。そういう人は、むかーしから大勢いたけど、ネット時代になってからは特に、えらそうな物言いをすることに、はずかしさがなくなってきた。
自分だってそうだけど。こうやってブログ書いたりするのも‥自己顕示やら自慢やら…。たいそうはずかしいことだと自覚しつつ、書き綴っている。

山田太一氏曰く、ある時期からエッセイの仕事は極力断っておられるそう。ついえらそうに語ってしまうことへの抵抗が、強いのでしょう。

正しさ断定型の表現をよしとする人が、増えてきているように感じる。ヒットするドラマとか、人気の政治家とか…。いや政治家は自らの正義を信じてなきゃ困るんだけど、どんなに高圧的でも歓迎されているようで。

昔、岡田恵和氏がご自身の著書の中で、ドラマ「思い出づくり」について書いておられた。
「思い出づくり」は、年頃の女性3人が主人公。最終回では、仕事も女性関係もルーズだった男が、結婚し真面目に仕事に通うようになる。そして、いわゆる家庭におさまってめでたしめでたし‥で終わらず、男は、つまんねえつまんねえ…とぶつぶつ言い続け暗い顔をしているのだ。そう、これが、山田太一ドラマ。私も、このシーンはとてもよく覚えている。多くの人を悲しませ怒らせる不埒な人生でも、男にとってはその方が生きがいがあったに違いない。

有名な脚本家や作家が、「足るを知ることが大事」などと発言されているともやもや…。経済力も社会的名声も十分に獲得した人にしたり顔で言われてもなんだか‥。学者や文化人と称される方々が、格差社会について語っておられるときもそう。収入格差にしろ恋愛格差にしろ、「身の程をわきまえなさい」という説教臭さが高見の見物している特権階級的で。
要するに、薄情さが漂い、愛がないのだ。

山田太一氏のドラマは、正しさを提示しない。いつもそれは、疑問として、観る側に投げかけられる。そこには、単純に言語化することを拒否した深い愛情があり、どんなにせつない結末であろうと、観る者を救ってくれる。

これから、小説も読んでみよう。脚本じゃ表現しきれなかったことがたくさん込められていそうで、楽しみです。



2013年05月23日

Furou5号

詩人の川口晴美さん、紺野ともさんが発行している
現代詩誌Furou。(森岡美喜さんの写真もあり)

5号のテーマは「サンダル」
初夏のサンダルの、
どこか心もとないエロス。
軽やか&キュートな浮き立つ心。

今年初めてサンダルをはくときの気持ち、思い出す。

http://furoruberrycherry.seesaa.net/

2013年05月17日

「私の箱子(シャンズ)」(一青妙)を読んで

古くなった家を壊すため母の遺品を整理したところ、ふと見つけた母の箱子(シャンズ)。中には、両親が互いに送ったラブレター、著者が父に送った手紙などがぎっしり詰まっていた。ほかには、母子手帳や日記やメモや子どもたちの絵…。呼び覚まされる幼き日々。家族の歴史が、自分の心のルーツがたぐりよせられていく。

…というとありがちなテーマに感じるでしょうが、通り一遍のエッセイではありません。

著者は、台湾人の父と日本人の母を持ち、妹は歌手一青窈。父親は台湾5大財閥の長男で、東京で日本人の母と出会い結婚した。二人の娘に恵まれ、一家は台湾と日本を行き来する生活を続けたのだ。著者は11歳まで台湾の小学校に通い、その後生活の拠点を日本に移し以後日本暮らし。台湾のことは、心の奥に深くしまわれたままだった。

箱子をあけたとたん、むせかえるようによみがえってくる記憶の数々。
夏のフルーツライチ、美味しいカエル、蒋介石、孫文、テレサテンなどなど…台湾の記憶が一気にあふれ出てくる(このくだりで私も、そうだニイタカヤマって富士山より高い台湾の山だった…と不意に思い出しました)。
子ども目線の台湾の風景がほのぼのと温かい。著者の気持ちと一緒になって、不思議なほど懐かしく感じる。スペアリブや煮玉子がのったお弁当、水筒を持って豆乳を買いに行く階段道、お手伝いさんのカサカサの足の間に座るのが好き、やさしい運転手さんとの秘密の買い食い…。
40歳の著者が気づくこと。それは、台湾と日本に、そして、そこで縁のあった多くの人に育ててもらったという思い。
著者にとって、幼少期のバイリンガル生活は楽しくも無意識のストレスが内在しただろうし、思春期は帰国子女としての苦労や家庭の問題もあった。今を生きるだけで精いっぱいで、過去を振り返る余裕はなかっただろう。というか、誰にとっても若いときはそう。今と前だけを見て走り続けてなきゃおかしい時期。

子ども時代の風景を懐かしく…苦い思い出も含めて…優しい気持ちでふりかえるようになるのは、十分大人の年になってから。子どもの頃は、何気ない日々の営みの時間に終わりが来るなんて、深くは考えない。それが、どんなに宝物かということに気付かない。

著者のような異国暮らしや大財閥の特別な生活じゃなくても、誰でも心にしまわれた箱子があり、ときが来て開けられるのを待っている。ただ昔を懐かしがるためではなくて。
確かに自分の回りには愛しいものがあったこと、自分を愛しく思ってくれた人たちがいたこと。そのことをくっきりとさせるために。自分を育んだ鮮やかな心象風景が…もしかしてそれは現実より美化されていることも多いかもしれないけれど…疲れた気持ちにそっと寄り添ってくれたり、新たに人生の示唆を与えてくれたりする。

著者は、家族の辛い思い出もていねいにたぐりよせ、その背景をきちんと理解しようと亡き父母の人生をたどっていく。激動の時代を生きた両親、とりわけ父親の人生が重い。国家と戦争が人の心を翻弄する残酷さが、ずっしりと迫ってくる。
1928年、父親は台湾生まれの日本人として生を受けた。当時台湾は日本の統治下で、十歳で台湾を離れ日本へ。学習院の中等部へ進学し、日本での学生生活を謳歌した。けれど1945年、思いもかけないことがおこった。日本は敗戦国、台湾は戦勝国となり、父親は、異国の“台湾人”となったのだ。日本人としてのアイデンティティが突然否定されることの苦しみ。精神的に追い詰められた父親の胸のうちはいかばかりだったか…“日本人”だったときの弾けるような笑顔の写真を見て、著者はその心情を慮ろうとする。

私自身、一度だけ台湾に行ったことがある。
仕事がらみの強行スケジュールで行動範囲は限られていたけれど、それでも、台湾の人々の温かさは十分に感じることができた。日本語ペラペラの高齢者世代の人々が、娘や孫に接するように優しくしてくれる。
ふだん台湾にあまり関心がない人たちも、今回の震災で多額の援助金を日本に送ってくれたことは知っているだろう。なぜこれほど親日…?…という、ひとつの答えをこの本で知ることができる。

台湾人は日本人だった時期があるということ。

一青家の父親…顔恵民(イェンフェイミン)氏のニックネームはガンテキ。親友の家に居候し、多くの友人に囲まれ意気揚々と日本で暮らしてきた。それが、ある日突然、外国人になり台湾に還らなければならなくなったのだ。その後日本に密航してきたときも、ガンテキのことをかくまい力になった友人たちがいた。苦しみもがいた半生だったけれど、日本、台湾とも、彼を慕い大切に思う多くの人々がいたことに、著者同様心が慰められます。

著者は歯科医で女優。好奇心旺盛で活発そう。
経営をめぐっての親族会議に亡き父の娘として出席することとなり、「華麗なる一族」みたい♪とわくわくする様は、ミーハーぶりが伝わってきておもしろい。
経営者を変えようとするクーデター派と保守派の攻防など興味津々。しかしながら、こんなに詳しく書いて大丈夫?と心配になったりも…。台湾では有名な名家。台湾で翻訳されたら一悶着ありそうな…。読者としては、とても楽しかったですけどね。


2013年05月07日

頭髪問題A「ハゲに悩む 劣等感の社会史」(森正人)を読んで

前回頭髪問題の続き…

思わず買っちゃいました。読みました。本書は男性の身体コンプレックス、特に薄毛を主軸に書かれていますが、その歴史や社会についてのみならず、なぜ人は容姿を気にするのか、個人の心情と商品との関連など、多くの考察に満ちています。

そうだよね、ハゲの悩みっていえば、かつては男性のみにスポットがあたってた。
本人にとっては深刻な悩みなのに、そうでないものにとっては笑いの種。ハゲちゃびんなんて呼ばれたりして。
最近、生徒にハゲをからかわれて体罰した男性教師が問題になりましたが。体罰は絶対的に悪いけれどそれとは別に、ハゲをからかいの対象とすることのハードルは社会全般とっても低いよなあと感じた。ハゲを笑う者は必ずや自らハゲに泣く‥という呪いがあればいいかも‥。

不思議です。だれもがハゲになる可能性はあるのに、それもかなりの確率なのに。ほとんどの人が自分はならないと信じこんでいる。

…でもないか。近頃は、ハゲになることを恐れて頭髪ケアに熱心な若い男性もけっこういるらしい。

抜け始めてわかる髪はながーい友だち…あのコピーはまさに名文句ですね。著者がこのCMを見たのはごく幼い頃。まさかわが身に降りかかるとは思ってもいなかったことでしょう。

本を読んで真っ先に感じたのは、私は、美醜問題について女視点でしか考えてなかったなあってこと。
絶えず残酷な美醜差別にさらされる女。女にとって美しいというスペックは無敵。そうじゃない者は、個人差はあれど、自分の容姿との折り合いのつけ方、気持ちの落としどころを見つけなきゃならない。男は女ほど、容姿で評価されなくていいよねえ‥(たとえばアナウンサー。太った男性アナはいても太った女性アナは皆無なのが納得いかん。女性の方がはるかに容姿の基準が厳しいのは一目瞭然)。

…と思っていましたが‥!

男だって、あたりまえだが容姿に悩む。そして、女とは違って、“容姿を気にするのは女々しい”‥という圧力があるのは厄介そう。

「ハゲ」はその典型です。自らハゲを笑い飛ばしたり、いっそう丸坊主にして堂々としていたりするのが、好ましいと褒められる。そうできない者は‥。こっそりかつらをつけてみるもののそれを隠さなきゃというストレス。周りも、本人に指摘しちゃ失礼と気づかないふりをし、陰では含み笑いで噂話。

著者は、男の三重苦「チビ・デブ・ハゲ」のすべてを経験してきたそう。とりわけ、10代の頃のエピソードがせつない。雑誌広告に載っていた「身長が伸びる!」という文句につられ、購入してしまうヨガビデオ。送られてきた品を見た途端、だまされたとためいきをつく。3000×12回払い。ああ、クーリングオフだよクーリングオフと思わず叫びたくなった(中高生に消費者教育…クーリングオフは絶対に教えておかないといけないね)。

女性向け雑誌に美容整形広告が多数掲載されているのと同じように、男性向け雑誌にも、容姿関連産業の広告ページがものすごくあるんだと気づかされた。容姿コンプレックスが、社会の巨大産業に結びつき、経済に大きな影響を与えている。人の弱みにつけこむってのは一部の詐欺師の世界じゃなく、もっと大きな、社会全体に不可欠な構造にもなっているんだな。

ハゲ話に戻して…。

ちょんまげや日本髪を結い続けるというのも、髪にけっこう負担がかかってきたそう。日本髪は頭頂部の薄さを隠してくれる便利な髪型でもあったんだろうな。同じ黄色人種でも、中国人や韓国人よりも日本人の方がハゲ率が高いらしい。
私の行きつけ美容院の美容師Mちゃんいわく、フランス人と日本人だけがえりあしの毛の生え方が上部に向かっているとか。長年の髪型アップスタイルがDNA的にも影響を与えているのね。

発毛祈願の神社ってやっぱりあるんだ、とも知った。京都のトロッコ嵐山駅近くにある日本唯一の髪の神社「御髪神社」。髪結職の始祖が祀られていて、美容室関係者等の信仰を集めています。かみ頼みで、毛根復活を願う薄毛さんたちが少なからずお参りにきているそう。

美しいものを人は求めるし、自分の容姿はやはり気になる。そうしたことを少し客観的に考えてみる一助になる一冊です。



それにしても…これだけ科学が進歩しているのに、需要がこんだけあるのに、ハゲの完治はできないってもしかして何かの陰謀が?と勘ぐりたくなる。三上博史主演の「パンドラ」ってテレビドラマで、癌の完全治療薬を発見したのに、さまざまな思惑で世界の人に公開できないってのがありましたが。
発毛、育毛、増毛、かつらetc…関連商品やケアは、とってもお値段高い。悩む者の足元見られている気がしてしまう。もっとオープンに消費者が話せるようになれば、価格も適正になるような。秘密裏にこっそり人に知られず治したいという切実な思いに、つけこまれている感じ。
ハゲは医学的に治せる…と、医療的アプローチもありますが。ケアすればしないよりいいけれど、その成果は人それぞれ。
今のところ特効薬はないようなので、せめてかつらが安く…靴を買う程度の値段で‥販売されないものかと思う。悩みに悩んで妻に相談し了承を得て、っていうおとうさんがかつては多かったはず。パソコン等の値段と比較すると、いくら品質がよいとはいえ、もう少し手ごろな価格で安心品質のものがあってよいよね。





2013年04月30日

「長嶺ヤス子 裸足のフラメンコ」を観て

先週下高井戸シネマで開催された
「優れたドキュメンタリー映画を観る会」。
トリは「長嶺ヤス子 裸足のフラメンコ」でした。

ドキュメンタリー映画って
たいてい、ちょっと眠くなったりするのだけれど。
これは、そんな部分がまったくなかった。
とてもエンターティメントな作品でした。

踊りの場面が多くて楽しいし、
犬猫からも目が離せなくて、
何より長嶺ヤス子さんの存在感が圧倒的です。
発する言葉の数々が示唆に富んでいて、
深く心を動かされる。

「ほんとの私じゃないかもよ。あなたが質問して、
あなたが撮るのでしょ。私を通してあなた自身を観るんじゃない」
それは、彼女の踊りを観る観客自身にも向けられた言葉。

本を読んだり絵を観たり、いや何も、
そんな高尚なこと芸術的なことじゃなくても、
どんなことでも私たちは、
他者の“生”を見ることで、自分自身の生そのものを見ている。

彼女がスペインに渡ったのは昭和30年。
19歳の女性の心の高ぶりを想像してみる。
それからどんな人生を歩んできたのか、映画ではほとんど語られない。
けれど、今の彼女の生活すべてに、今までの人生すべてが映し出される。

誰だって、彼女のような人生を歩む可能性はあったのだ。

どの人間の人生もたった一度きり。やり直しはできない。
その時代のその人だけの。

震災の話にふれて、
「今までだってかわいそうな人はいっぱいいたのよ」
という言葉も、重みをもって伝わってきました。

長嶺ヤス子裸足のフラメンコ公式HP

2013年04月10日

「世界の窓」グラフィック社

衝動買いして以来、
何度も眺めている。
写真集としてはそれほど高くない。
世界22か国、
主にヨーロッパの街角の窓、窓、窓。

同じシリーズで、ドアもあるのだけど。
ぱたんと遮断されてしまうドアと違って、
窓は、続いていく物語が感じられていいね。
(オルフェウスの窓を例にあげるまでもなく…)

花々、カーテン、窓辺のインテリア…
それぞれの家ごとに
大切な暮らしの佇まいが感じられて。
夜がふければ、窓越しの明かりが温かい。
ときには思い切り開けはなたれ、
家人が身を乗り出すこともあるだろう。

ゆるやかに外界とつながっている。
カーテンをしめきることも、
おそるおそるのぞきみることも、
いざとなったら、飛び出すことだって可能。

考えるほどに、窓は人の心みたい。

だから、
何度もページをめくりたくなる。
いくつもの物語を巡る時間が楽しい。

「世界の窓」 グラフィック社
http://www.graphicsha.co.jp/book_data.php?snumber3=1260

2013年03月31日

衝動買いマンガ本

どんなにおもしろくても
連載中のマンガはレンタルですませる。
ラストががっかりってことあるし。
一気に読みたいってこともあるし。

けど、
「関根くんの恋」(河内遥)4巻、
つい衝動買いしてしまった。
レンタル店が、いつも貸出中なので。
30歳で初めて
自分から女子にアプローチする関根くん。
天然モテキャラのくせして
ほんとは超不器用でどきどき。
4巻なかなかよかった。
しかし…まだまだ先は長そう。
次が待ち遠しすぎるよ。

それにしても999円…最近はマンガ本、高いんだね。

2013年03月27日

プレゼント絵本

友人の出産祝いに何度か贈っているのが、
「やんちゃなマルキーニョ」(ジラルド/松本乃里子訳/静山社)。
ブラジルの大ベストセラー絵本です。

幼児向け…というより、大人がじいんと来る。
最後のページをめくるとき、
生まれてくる子どもがみんな
幸せな子ども時代を過ごせますように、と願わずにはいられない。
私は、
西荻窪のAparecidaで購入しています。

女の子が主人公の絵本なら‥
「わたしのワンピース」(にしまきかやこ/こぐま社)。
空からふんわり白い布。
うさぎの女の子がミシンでワンピースを作ります。
そのワンピースを着てお出かけすると‥
お花畑ではお花模様、雨が降ると水玉模様。

心軽やかになれて、何度読んでも(見ても)楽しい。
ルルルンロロロン…と一緒にスキップしたくなる♪
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